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子育てをしている親にとって病気は大敵。もしも、親が子育てができないほどの病気になったら、核家族化が進む現代社会ではまさに親子共々、死活問題にもなりかねません。
今回の男性も、こどもの頃から母親の病気によって様々な苦労をされた方。そんな彼が選んだ職場での扱われ方が、叱責を繰り返すことに可笑しさを感じて紐解いてみることで、ある理解がありました。今まで【否定】されたと思っていたことがホントはアドバイスだったり。間違った思い込みが外れることで、もう職場での問題がなくなり変化しか感じられない状況に!楽しんでいる夫婦の笑顔が見えてきます。

Kさん 50代 男性【東京都】

繰り返しの人生

私は、大学を卒業して就職した会社で今年32年目を迎えました。

システムエンジニアを志望して入った会社でしたが、ある日突然、事業部が解体になり全く違う部門へ転勤になったり、そこで慣れてきたかと思うとまた転勤、営業職へ異動、また全く違うグループ会社へ出向、根無し草のように異動そしてまた出向を繰り返していました。

頑張って仕事を身につけた頃に、異動や出向になってキャリアがリセットされ、異動先では、一から仕事を覚えなくてはならなくなり、活躍するどころか、自分はお荷物になっているようにさえも感じる状態でした。

職場の中でも、ミスをしないようにと注意を払ってもミスをしてしまい、上司や同僚から、全てを否定されるような叱責を受けることの繰り返し。

そんな状態ですので、これといった成果を上げることもなく、同期や後輩にどんどん先を越される万年平社員でした。

なぜ上手くいかなかったのか?

なぜ、こんな人生なのかを考えてみました。
ここで、私の両親の関係性を書いてみます。

《父》
父は、無口で優しい、けれども、頼りない、小心者なのに癇癪持ち、無関心、私にとっては害の無い人と思っていました。

そんな父は、兄弟がいなかったことで両親(私の祖父母)に厳しく育てられました。

父は父なりに役に立とうと頑張るものの、親からは認めてもらえず、頼りないと言われていました。
仕事は、工場の職人で定年退職するまで万年平社員でした。

《母》
母は、明るくて楽しいが、口うるさく過干渉。

その母は、私が11歳の時に後縦靭帯骨化症という難病を発症し、同時に脳内出血で倒れて半身不随となり手足が不自由になりました。

あまりに変わった母の姿形が原因でイジメにも遭い(母はゴジラ、私はミニラとからかわれていました)、私はいつの間にか母を毛嫌いするようになりました。

倒れた母を、父や当時同居していた祖母が看病することになりました。

自分のパターンを知る

その頃の私が両親をどう観ていたのか?ですが…。

父は、身体がままならなくなった母に代わり、家事にしても何にしても、当たり前のように一切の文句を言うことなくやっていました。

でも、皿を洗えば洗い残し、買い物に行けば間違えて買ってきたり買い忘れしてきたりと、役に立とうと頑張っても役に立てず、迷惑を掛けて母に怒られていました。

この父と母の関係性が、【私と妻】、【私と職場】の関係性にスライドしていました。

私も、うつ病で家事ができなかった妻に代わり、家事を当たり前のように一切の文句を言うことなくやっていました。
ですが、やることが足らなかったり、間違えたりしてしまい、迷惑をかけ妻からは怒られていました。

役に立とうと頑張っても、役に立つことができず、挙句、迷惑を掛けて怒られる。
まさに父と母の関係性そのまま。

そして、職場でも、役に立とうと頑張っても、役に立つことができず、どこへ行っても上手くいかない根無し草状態となっていた自分のパターンが、

父と母の関係性と同じだったと理解できたのです。

父の人生=自分の人生

そして、もう1つ一致したことがあります。

父が他界したときに、父は全てを受け取ってくれていたと感じることがありました。

私が一人で抱え込んで勝手に決めてしまった進学や就職にも、
母が身体障害者となったことにも、
祖母が介護になったことにも、

一切文句を言わず受け入れてくれていた。

そして、父の人生は母を救うためにあったと感じられたことです。

妻が私に出会ったときに、彼女は

「この人は私を、この暗闇から救い出してくれる人」だと感じたと話してくれたことがありました。

まさに、私が父に感じたものと、妻が私に感じたものが一致したのです。

なんでも話せる喜び

自分が嵌っていたパターンをシステム図を通して理解したことで、自分が何か行動を起こすときに何か起こっても、

“あ!そうだったのか!”

と理解できるようになり、物事に動じないようになりました。

システムと言う芯が通ったような感覚です。

そして、妻とは、お互いが感じたことを素直に喜び分かち合えるようになりました。

以前は、妻が感情的になったり、私は言いたいことを溜め込んでしまったりと、会話しづらい状態だったのが、

今では日々の出来事から色々なシェアをしています。

それは、結婚前に私が築きたいと思っていた「何でも話せる家庭」の姿そのものになりました。

謝ることができたことで…

職場でも、頑張ることがすっかり緩み、私は、今所属している部門で根を張って仕事をすることができるようになっています。

コロナ禍に入って、商品を誤った配送先に届けてしまったことでお客様からクレームが入りました。

日々、状況が変化する中で、急遽、配送先が変更になっていたのです。

私は、迷惑を掛けないよう、配送手配を担当する同僚に正しく情報を伝えたと思っていましたが台数の情報が抜けていて、そして、同僚も私に確認をしなかったことが原因でした。

以前の私なら、責められないように同僚が原因だと主張していたような事でしたが、同僚も私も、迷惑を掛けないように頑張ったのに、足を引っ張る側になってしまい、同じだったと理解できたことで、自分の「非」を謝ることができました。

それ以降は、大きなミスは起こっていません。

問題ではなくなる

重箱の隅をつついて来るような指摘をする先輩がいましたが、以前は否定されたとしか思えず煙たく感じていました。

しかし、その先輩に、相手の役に立とうと頑張っていた自分の姿が映っていたと理解できたことで、

その先輩の話をじっくり聞いてみると、私に対する《アドバイス》だったと理解できるようになりました。

また、職場に問題だ問題だと言ってくる同僚がいました。

最後に決まり文句のように、「何かあったら責任を取ってくれ」と言っていたのが、

自分が両親のパターンに嵌っていたことを理解したことで、この決まり文句は聞かなくなっています。

こうして書いたことで、観る世界が全く変わっていたこと、妻や職場の変容を実感として認識することができました。

今では、色々なことはあっても、問題にされることが無くなっています。

出合った「縁」に感謝しかありません。

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