言葉で自分の気持ちを表現すること。「伝える」ということ。でも子どもの頃って自分がどんな風に、思って話していたんだろう?と。色々な感情の数々、人とのつながりや、言葉にできないものもある。今回は彼女の友人のお話の中に、子どもの頃に「無邪気ほど人を傷つけるものはない」と言われたという話。きっと表現することで相手にどう思われるのか?が怖くて本音を伝えるのが難しくなったのではと思う。それが分かることで、彼女達の会話が弾む事は間違いない!もう楽しむことしかないと感じられた。
Rさん 60代 女性【鹿児島県】
自分の傷とパターンが分かると…
先日久しぶりに友人からの連絡で、話をじっくり聴かせてもらう機会がありました。
その空間が訪れたことで、友人を通して私の傷とパターンをハッキリ見ることができ、終わっていった体験を報告させていただきます。
ミロスに出逢った初期の頃からのご縁深い友人です。
この頃は大まかな活動の様子や近況等をSNSで垣間見るぐらいで、県外のため、
リアルに話す機会も無くて、
「久しぶりにいろいろシェアしたいなと思ったので、都合どうかな?」
と連絡もらえた事が嬉しく、睡眠不足気味も何のその、喜んで聴かせてもらいました。
私が感じる彼女の印象の1つに、人に対して優しく丁寧な関わり方をしている、というのがあり、それは素晴らしい性質で羨ましく感じていました。
子育てしていた頃の私は、単身赴任の夫不在のワンオペ3人子育て&家事。
そしてフルタイム勤務との両立にあえぐ生活でした。とにかく日々の生活に忙殺され、やらねばならぬ雑多なTO DOリストの処理ばかり。
いきおい物事は粗くても良いからとにかく任務終了が至上命令のごとく、こなして流して、まわして済ませて生きてきた私。
そんな私とは対照的で、彼女は夫婦仲も良く、ほぼほぼ専業主婦でゆったり子育ての生活で生きてきたので、心にも余裕があっただろうから丁寧に接していけるのだろうなと思っていました。
感情に触れるとは?
そんな彼女が話してくれる人間模様の機微を聴かせてもらっているうちに、途中から「ん?」と思いました。
話があちこち飛んでいくのです。
言いたいことや想いが伝わってこない。
言葉が上のほうだけで流れていって、上滑りしている。
そう感じたのです。
「いろいろシェアしたい」
という事でしたから、いろいろな出来事、事象を話してくれていたのですけれど、
肝心の感情に触れていく様子がありません。
ぐるぐる話が廻っているように感じたのです。
けれども意見したり批評したりせず、そのままただただ聴かせて貰っていました。
一時間くらい経った頃、あることを感じたので
「ねぇ○○ちゃん、もしかして幼い頃ってものすごく無邪気で明るい子だった?」
と尋ねました。
すると彼女は、そうだったと言い、そして
「無邪気ほど人を傷つけるものはない」
と身近な人に言われて、とても驚いたと話してくれました。
そして自分が無意識のうちに人を傷つけるのではないかと恐くなったと。
そんな事を突然に言われたら、逆に彼女は傷ついただろうなと思いました。
彼女はそれ以来、言葉を慎重に選んで話すようにしたり、相手の気持ちを汲むように努めたりしていると話してくれました。
「そうか、それだったのか!創った傷は、それか!!」
と私は思いました。
「あ~やっと出てきたょ」
と私は感じました。
伝わらない思いを感じて
相手を傷つけないよう慎重に言葉を選んで話すようになっていけばいくほど
伝えたい感情から離れた上滑りの言葉しか並べられず、
言葉は喋っているけれども、伝わらない。
だから、いくら話しても話しても放てず、モヤモヤは消え去り離れていかない。
だから、いくら伝えたつもりでも、受け取ってもらえていない、消化不良な感覚を繰り返していくパターンと感じました。
本当に表面の事象は喋れるけれど、その時に感じた感情を話すことや、その奥にある感情を感じる事は、人間には難しいことなんだと改めて痛感しました。
そしてこれら彼女に感じた一連のことは、全て私のものであることを
話を聴かせていただいている中でずっと感じていました。
本音が話せなくて
私の場合は
「社会に出たらどう他人と接すれば良いか、何も親から教わってこなかった」
という「反省」を持ってしまったことが発端でした。
高校卒業後に親元を離れて、神戸でのびのび学生生活を過ごしたのち、
地元に戻り町役場に就職して、人口2万人田舎の窮屈さを嫌いながら
浮いてしまう自分を抑える中で、社会経験で身につけた「処世術の賢さ」のはずでした。
けれどもそれは、自らが自分につけた傷でした。
彼女と同じで、言葉を選び、相手の思いを汲んで言動するようになっていきました。
その積み重ねで、どんどん伝えられなくなっていった感情は私のなかで膨れ、特にネガティブ感情は身体の不調をつくりました。
素直な本音コミュニケーションは心を許すごく少人数としかできないので、
人前ではいつも笑顔で愛想よくしていました。
だから、周囲からは認めて貰えない事ばかりを感じていました。
自分の無意識が目の前に映る
ここに到達する前に彼女の内からやっと出てきたのが
「怒り」
「大切にされていない」
であったのは、当然なことでした。
それは、私の中にあったものでした。
ちゃんとシステムの理解がある彼女は
「これは私が私を大切にしていない、ってことだもんね」
と言っていましたが、腑に落ちた感じはあまり伝わりませんでした。
今思えば、その瞬間に私がハッキリと自分の無意識であった!!
と受け取っていなかったからでしょう。
思考は後から理解できるので、鮮度が落ちた翌日に受け取れました(笑)
豊かさを楽しめる事
最後に彼女へは
「無邪気と遠慮を超えた、本当の上質な無邪気で豊かさを楽しめるってことだね!」
と話したら、
彼女が
「上質な無邪気さってどんなの?」尋ねたので
私は
「それはね、私達が知っているあの方の無邪気さだよ~!」と…。
彼女
「あの言葉良かったよね!ただ逢いたいから…ってね!」
と言いました。
そして2人でしみじみと
「立ち返る雛形の基本形の方が存在して下さっていることが奇跡で、感謝だよね」
と楽しく話しながら歓喜していました。
こうやって見て知っていくことで、先祖からの傷とパターンが終わっていくことに、またまた感謝歓喜でした。
気づけば表現できていた
そんなことがあった数日後、私は素直に言葉を表現できている自分に気づいて嬉しく感じました。
職能団体の理事をしているのですが、会長へ送ったライン文に、過去に会長へ感じたネガティブ感情を、何のエネルギーも乗せずに、そのまま表現できていました。
ちゃんと会長の立場へも想いを寄せながら。
表現できた自分が嬉しかったです。
夫へ表現するのが最も簡単で、最も苦手ですから、まだまだトライやジャンプは続きますが、
自分の感情や想いを素直に表現していくことを、これからも1つひとつクリアしていきます。