『世間体』を気にして、他人の顔色ばかり伺い、『我慢』していると、どんな人生を送ることになるのでしょうか?キーワードは“惨め”。さて、今回ご紹介する女性が“惨め”から、いったいどの様に変身したのか?是非ご覧ください!
Mさん 50代 女性【福島県】
惨めな人生の始まり…
私は、2人きょうだいの長女として生まれ、両親、祖父母、叔父達など周りの大人達からとても可愛がられていました。ところが、2歳の時に弟が生まれると、幼い私は、「両親の愛を弟に奪われてしまった。」と思い、そこから私の『惨めな人生』が始まっていくのです。
悪い子の私は愛されない
母に離乳食を食べさせてもらう弟が羨ましく、思わず弟の指を噛んでしまって母に叱られ、熱いお灸を据えられたことがありました。幼い私にとって、それはとても衝撃的な出来事でした。「悪い子の私は、もう母から愛されなくなってしまった!」と思い込み、それは深い傷となりました。
惨めな母親
母は姑との仲が悪く、父からは守ってもらえず、いつも怒っていました。そんな母の愚痴や不平不満を聞かされた私は「母のようにはならない!信頼されて、大切にされる人になろう!」と心に誓い、理想を掲げました。
弟ばかり可愛がられ、惨めな思いをする私。仕事ばかりで家庭を顧みない父にいつも裏切られ、幸せを感じられない惨めな母。またその母を虐める祖母…。そんな家から早く出たい!といつも思っていました。
幸せな結婚生活のはずが…
その後私は、父とは正反対のタイプの男性と21歳で結婚し、実家から遠く離れた都会で、幸せな結婚生活をスタートさせました。ところがまもなくして、待望の妊娠をするも、すぐに流産…。
「流産なんてする女は家系にはいなかった。もともと結婚も反対だった!」
慰めてもらえるだろうと思っていたのに、姑からの酷い仕打ちを受けました。惨めでした。
そして26歳でようやく長女を妊娠。「今度こそは流産しないように!」と、大学病院からサプリを取り寄せ、ドクターの注意を遵守し、規則正しい生活を送りました。その甲斐あって、出産も教科書通りの安産。理想の子育てができました。ところが、そんな幸せは長くは続きませんでした。
2年後『子宮外妊娠』の疑いが…。「またしても流産?!」過去に姑から受けた酷く惨めな体験が蘇り、幸せだった日々が一気に不安で埋め尽くされました。
誰にも頼ることができない
その頃夫は、会社で大切なプロジェクトを任され、出張続きの毎日。一番そばにいて欲しい夫には頼ることが出来ません。そもそも親から逃げるための結婚であったので実母にも頼れず、姑にはもう2度と流産の事は話さないと決めていたので、結局たった一人で、病院の乳児院に長女を預け、手術を受けることになりました。
辛い事を我慢し、誰にも頼らず、平気な顔をして“根性で乗り越えて行く”という癖が身体に刷り込まれていました。
そうやって頑張って生きていましたが、「娘に寂しい思いをさせてしまったのではないか?」と、自分を責める感情が湧いて、とても不安な気持ちになることがありました。
「大切な人をただ守りたいだけなのに…。」
頑張って必死で手に入れたものが、スルスルと私の手からこぼれていく恐怖を感じていました。
後編に続く