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元気よく飛び跳ねる女性

惨めな人生を送ってきた理由(わけ)【前編】~顔で笑って心で泣いて~

「顔で笑って心で泣いて」「武士は食わねど高楊枝」この2つの言葉、全然違うようで似ているところがあります。それはどちらも『世間体』を気にしている…というところ。『我慢』…と言い換えても良いかもしれませんね。ではそんな『世間体』を気にして、他人の顔色ばかり伺い、『我慢』していると、どんな人生を送ることになるのでしょうか?キーワードは“惨め”。さて、今回ご紹介する女性が“惨め”から、いったいどの様に変身したのか?是非ご覧ください!


Mさん 50代 女性【福島県】

惨めな人生の始まり…

私は、2人きょうだいの長女として生まれ、父と母、祖父母、叔父達など周りの大人達からとても可愛がられていました。

ところが、私が2歳の時に弟が生まれ、幼い私は、「両親の愛を弟に奪われてしまった。」と思い込み、そこから私の『惨めな人生』が始まっていくのです。

悪い子の私は愛されない

母に離乳食を食べさせてもらう弟が羨ましくて、思わず弟の指を噛んでしまったこともあり、さらにそのことで母に叱られ、熱いお灸を据えられたこともありました。

幼い私にとって、それはとても衝撃的な出来事で「悪い子の私は、もう母から愛されなくなってしまった!」と更に思い込み、“惨めさ”を感じ、それは深い傷となりました。

母は姑との仲が悪く、父からも守ってもらえず、いつも怒っていました。そんな母の愚痴や不平不満を聞かされ続けた私は、母を反面教師とし、「私は母のようにはならない!信頼されて、大切にされる人になろう!」と心に誓い、理想を掲げました。

弟ばかりが可愛がられ、惨めな思いをする私。仕事ばかりで家庭を顧みない父にいつも裏切られ、いつまでも幸せを感じられない惨めな母。またその母を虐める祖母…。そんな家から早く出たい!といつも思っていました。

幸せな結婚生活のはずが…

その後私は、父とは正反対の、私の言うことを何でも聞いてくれ、私を幸せにしてくれそうな男性と21歳で結婚し、実家から遠く離れた都会で、幸せな結婚生活をスタートさせました。

ところがまもなくして、待望の妊娠をするのですが、すぐに流産してしまいました。
「流産なんてする女は家系にはいなかった。もともと結婚も反対だった!」
慰めてもらえるだろうと思っていたところに、姑からのまさかの酷い仕打ち…惨めでした。

そして再び26歳で長女を妊娠。「今度こそは流産しないように!」と、大学病院からサプリを取り寄せ、ドクターの注意を遵守し、規則正しい生活を送りました。その甲斐あって、出産も教科書通りの安産で、理想の子育てをしていました。ところが、そんな幸せな期間は長くは続きませんでした。

2年後、『子宮外妊娠』の疑いが浮上して来たのです。

「またしても流産?!」過去に姑から受けた、あの酷く惨めな体験が蘇り、幸せだった日々が一気に不安で埋め尽くされていきました。

誰にも頼ることができない

その頃夫は、会社で大切なプロジェクトを任され、出張続きの毎日。一番そばにいて欲しい夫に頼ることが出来ませんでした。実母には、そもそも親から逃げるための結婚であったのでやはり頼れず、姑にはもう2度と流産の事は話さないと決めていたので、結局誰にも頼ることが出来ず、手術をする病院の乳児院に長女を預け、手術を受けることになりました。

辛い事を我慢し、誰にも頼らず、平気な顔をして“根性で乗り越えて行く”という癖が身体に刷り込まれてしまっていました。

そうやって頑張って生きていましたが、「娘に寂しい思いをさせてしまったのではないか?」と、自分を責める感情が湧いてきて、とても不安な気持ちになることがありました。

「大切な人をただ守りたいだけなのに…。」

頑張って必死で手に入れたものが、スルスルと私の手からこぼれていく恐怖を感じ始めたのです。

後編に続く

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