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  3. 【前編】容姿コンプレックスが一瞬で消えた!

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身長が高いとか低いとか、見た目の事、もしかしたら言いたいことを上手に伝えられない性格など、人それぞれ違うコンプレックスがあると思います。自分のことを大好きとまではいかないとしても、自分を大切にすることが幸せの鍵。そう思ってはいても受け入れきれないこともあります。でもそれを認めてあげると世界は変わるのではないでしょうか。今日の女性は長い間、コンプレックスをバネに生きてきました。ですが気が付けばそのバネは彼女が手放せない大事なエネルギーの源であり最も必要としていたものだったのかもしれません。

Mさん 50代 女性【神奈川県】

私の容姿、特に顔コンプレックスは相当なものでした。

今から半年前、約50年続いた顔コンプレックスが終わった体験がありました。

先日仲間とシェアをしていた時に、あるメッセージをくれたことで、「ああ、本当に終わったんだな」とはっきり認識することができたので、改めてこのタイミングで書こうと思いました。

そのメッセージとは、私の配信しているLINE LIVEのアーカイブを見てくれたものでした。

「貴女がどんどん若々しくかわいくなっていく。過去の外見コンプレックス完全に越えてるよね~、私の内側でもあるのかな」でした。

顔コンプレックスの軌跡

顔コンプレックスに気づいたのは、妹が2歳、私が7歳位の時。

妹の顔は、テレビに出てくる可愛い子役になれるような、お目目パッチリ、まつ毛はくるりんとカールしていて、くっきり二重でお人形さんみたい、可愛いな~と思ったことが始まりでした。

何より顔のパーツひとつひとつの大きさやバランスが完璧でした。

それに比べて自分は…
目は小さいし一重
まつ毛は短くカールしてない
鼻はぺしゃんこ
唇がやたら厚く口もデカイ
おでこが狭くてバランス悪い
髪は太くて固い
妹と比べて可愛くない!!

目が二重でぱっちり大きくて、口(唇)が小さいのが美人なのに!全く逆でアンバランスなパーツとブス顔に憎しみさえ持っていました。

アルバムに写る自分の顔、鏡に写る自分の顔がその頃から猛烈に嫌いで、絶対隠したい、こんなことを思っていること自体、誰にも知られたくないと、その苦しい気持ちを固く封印しました。

コンプレックスとの戦いが始まる

ちょうどその頃、私の顔コンプレックスを加速することが起きました。私が生まれてすぐ、母の背中におんぶされていた時のことを母が話してくれたのです。

ご近所のおばさんに
「この子お世辞でも可愛くないわね~」

と言われてショックだったと母が話してきたのです。
(お母さん!私の方がショックだよ!!)

「私は本当に可愛くないんだ」
これを強烈にインプットしたあの日…

そこから私の顔コンプレックスと戦う人生が始まりました。

小学5年生くらいまではあまり意識してなかったけれど、可愛い子が学級委員になるんだ!という思い込みがありました。

ドライヤーで毛先に動きを出してスタイリングするようになったのは小学6年の時。嫌いな顔を隠すために、ヘアスタイルでごまかすことを覚えました。

中学生の時、机の引き出しに大切にしまっていたもの、それはディズニーの手鏡(直径15cmはあった丸い大きな鏡)でした。これを休み時間の度に、引き出しから取り出しては前髪をチェックしていました。

前髪は女の命!目の小ささを隠すために、前髪は目の上ギリギリになっているかを、常に確認することに必死でした。

高校を選ぶ時、地域の中ではトップの高校を受験。偏差値ギリギリで、周囲からひとつランクを落とした方が安全と言われていたけれど、どうしても受けたかったのは、私服とパーマをかけていい高校だったからでした。

高校生活が、地味な制服と直毛(私の髪質は、固くてコテで巻いてもすぐ取れてしまいました)で3年間過ごすなんて考えられませんでした。

顔のコンプレックスを髪型や服装でカバーするために、なんとしても合格して高校生活を謳歌しないと!と思ってました。

無事合格して、聖子ちゃん風にパーマをかけて、私服で過ごせましたが、当時の写真はどれも斜め45度下を向き目線は上で顔を隠してるつもり。そしてどれも自信なく寂しそうな表情でした。

短大へ進学し、そこは付属中学、高校から進級してくるお嬢様が居て、そのお嬢様達を見たとき、雑誌cancanに出てくる様な人達、短大生活お先真っ暗な気持ちでいたのをよく覚えています。

この顔でどうやって短大生活を謳歌しようかと真剣に落ち込んでました。女子大は他校男子学生からチヤホヤされてたので、回りの子達がチヤホヤされ、自分は全くされない敗北感で居たたまれなく、自分の顔を最高に憎んだピークの時でした。

OLになった時、「あなたは体力採用」と聞いてしまい、配属された人事課は顔採用と言われていたのに、私は特別枠(笑)の体力採用と聞いてしまう始末。

ここまで自分が思い込んできた、私はブス!こんな顔大嫌いは、こんな辛辣なメッセージばかりを拾ってしまっては落ち込むの繰り返しでした。

プロのメイクに心が高揚する!

私のことを「面白い人ですね」とは言ってくれるけど、「可愛い」「美人」など言われたことがないことへの惨めさもたくさん感じてました。

そんな惨めだと思い込んできた私にも春が来て、恋愛で結婚することになりました。

結婚式のメイク、ヘアメイク、当日気にくわない、なんてことが起きたら取り返しがつかない、そんなことになったら一生後悔すると思い、無理やりお願いして、前日にリハーサルまでする用意周到ぶりでした。

これならいける!(ごまかせる!)と思う上手なメイクさんが、なんと当日チェンジ、どういうことーー(泣)絶望でした。

結婚式の写真は見たくない物になりました。リハーサルをしたにもかかわらず、納得いかないメイク、可愛くも綺麗でもない花嫁、アルバムを無きものにしたい、こんな気持ちで私が本気で悩んでいたなんて知らなかった元夫。

そして仲人さんの奥様の方が綺麗ね、と聞いてしまう始末。主役は私なのに!本当に惨めさいっぱいでした。

心の中で私ブスなのになんで私を好きになってくれたのかな、の思いがずっーと長いことありました。

結婚13年目くらいの時、化粧品の物販のお仕事を始めることになった時、それまでなんでもオッケーしてくれた元夫が、初めてその仕事をあまり賛成しないと言いました。

当時、視力がかなり悪くメガネをしていたのですが、化粧品会社のメイクレッスンなどもあり、思い切ってレーシック手術をすることにしたのです。メガネは顔を隠すためのツールだったので、レーシックはとても勇気のいる決断でした。

元夫からレーシックは反対されましたが、私は反対を押しきり手術をし、メガネを外した見慣れない顔になりました。

メガネを取り、プロにメイクしてもらうと、あれれ??メイクすると可愛くなれるんだ!と生まれて初めて心が高揚し、とっても嬉しかったのを覚えています。

そこからです。小学生から私はブスだ!何しても可愛くない!と固く閉ざした扉がばーんと開き、メイクやまつ毛エクステに夢中になっていきました。

今振り返るとそこから夫婦がギクシャクし始めたのです。

コンプレックスがバネになり

レーシック手術で視力回復、顔の隅々まで見えるようになり、細かいシワやシミが気になりだし、形成外科で治療することをやり始めました。

シミとりレーザー、ヒアルロン注射でふっくらさせてました。40代前半のことです。形成外科の手を加えると、こんなに若返り綺麗になるんだ!!まさにとりこ状態でした。

そこからさらに、眉毛、アイラインのアートメイクをし、顔をいじることへ歯止めがかからない状態でした。

そして、そこからプチ整形できる魔法の化粧品が私の目の前に現れました。メスを入れなくても整形できるんだ!!ボルテージ上昇しました。(笑)

ストイックに商品を使い、みるみる変容若返り、会社内のビフォーアフターで賞を取るほどでした。

振り返ると、顔のコンプレックスのバネはこんなにもそれを克服しようとすることに向けて、爆発的なエネルギーで行動してきた私の人生でした。

そして私にとり一番大事な部分、それは目。顔の中で一番、目にコンプレックスがありました。目の大きさ自体はなんともならないので、まつ毛エクステで目を大きく見せることを11年間も辞めれなかったのです。

11年間一度も休みなく3週間毎、同じエクステサロンに通い続けました。途中骨折しても、何かがあってもエクステサロンまで通うほどの執着でした。

プライベートで人に会う時も、化粧品の仕事で人に会う時も、エクステの日程を必ず人に会う日の直前に合わせ、綺麗に付いた完璧な状態にしていた徹底ぶり。何か強迫観念でおかしくなってました。

12歳から53歳まで止まることのなかった顔コンプレックス。少しでもなんとかしようと頑張ったエネルギーの源は、「この顔じゃダメ!!」「誰からも好かれない!」凄いエネルギーだったんだと、ここまで書いてみて私が驚いてます。

それがコロナ禍で強制ストップになったのです。それは何か…

※後編はこちらから

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