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綺麗なものを見て、素直に綺麗だと思える事って当たり前に思うかもしれませんが、人は常にジャッジして「きれいだけども…」と思ってしまいがちではありませんか。今回の女性も、日頃から物事に対して様々な《葛藤》を感じて生きていたと言います。そんな女性がある時ふと気づくとそんな気持ちがない!!清々しいとさえ感じてしまう。生きることの意味を知り、新たな知性を手に入れた女性の姿は誰かが見つけてしまうものなのではないでしょうか。

Fさん 40代 女性【茨城県】

生きるという意味

生きながらにして生まれ変わった感覚を持って新たに人生を歩み始めたことを記録として書かせて頂きます。
3月末に、両親と話していた近くの公園へ花見に行きました。
ちょうどよい天気で桜もほどよく満開。
「きれいだなあ」
と、単純に感情が湧きました。
そして、これが今までできなかったんだ、ということに気がつきました。

《桜が美しい》

こんな思いさえも、私はジャッジをして「きれいだけど・・・」と、葛藤を感じていた。
一時が万事、そういうことをしてきたのでした。

清々しさの中で、川沿いを歩く老若男女をぼーっと眺めていました。
これが人の営みなのだな。
人が家庭を作ることの「重み」みたいなものをただ感じました。

人間が生きることに意味はあるのか、ないのか。
私が生きる意味はあるのか、ないのか。
それをずっと問い続けていました。

そうではなくて、その意味は、人が生きることそのものが意味。

そんな感じを知りました。

思考のノイズに邪魔されていた!

数日前に、松本講師と話をする機会があり、自身の変化を語ってみて気づいたことがありました。
どうすれば正解か、間違いか、という目の前の意味よりも、もっと物事の本質の部分に触れて理解することができるようになった。

素直にやればいいだけなのに、今までは、やりたくても色々な思考のノイズに、無意識に、邪魔をされてしまっていた。

そんな変化を感じられました。
人間を知り尽くす、という言葉を松本講師はよく使っているのですが、人間を知るということは、今まで難しかった人間への深い理解ができるようになるということ。

それは、高い精神性や知性が備わるということ。

そういうことなのだと思いました。

問題解決のための受講だった??

その後にも、中澤講師のカリキュラムを初めて受けましたが、
そこで学んだことも、三次元の事象では「異常」なものや極端だったりするものに遭遇するけれど、その本質とはなんぞや、ということを見る目です。

元は小さくて、シンプルな、ささやかな親に対する気持ちだったりする。

春の陽気にぴったりな、異常でありながらもあたたかい、マザーの話。

柳沢かおり講師のミロス体感講座も気がつけばマザーの講義でした。

《母と虐待》

虐待された側とした側をセットで受講。

今まで私は自分の問題解決のためにカリキュラムを受け、話よりも自分事を話に合わせて理解することで解決させようという、そういう受講の仕方でした。

今回は、誰かの人生を借りて様々な実証例を人間の思考パターンとして学ぶ、という本来の受講ができたように思います。

場数が大事とどこかでかおり講師は話していましたが、あらゆる側面から人間を見ることができるようになる。
そんなことが体系的にできるようになるのがミロスの世界なのだと思います。

ワークスタイルが変化した!!

この間に、私は新たな仕事に就きました。

年末に辞めたかった仕事を辞めて、新たに就いた短期バイトの時給が2.5倍だったのですが、それだけでなく仕事内容も労働形態も含めてワークスタイルが私にとってちょうどよく、こういう仕事のスタイルが続くといいなと思っていました。

気がつくと、2件のオファーが来ていました。

こんなところから話が来たぞ?!と驚くぐらいの10年ぶりの友人からの誘いと、もう1件はこの短期バイト先から、知り合いを通じて年間契約を結ぶ人を探しているという紹介。

私は、10年ぶりの友人との交流を再開しつつも、短期バイト先で丁寧な雇用形態のすり合わせをして1年お世話になることになりました。

そのほかに、大学で初めての講師の仕事も入り、3月・4月は新しいことがいくつも始まって忙しくなりました。

バランスが整うと変化が…

ここでの気づきがあります。
正職員や正社員になったことのない自分を、自分の選択であるにも関わらず、どこか惨めに感じたり、社会人になれない劣った人という思いがつきまとっていました。

ですが、むしろ今は自分の好みのワークスタイルを始めることができたフリーター的なスタイルに単純に満足している自分がいました。

もう一つの気づきは、電車で都内に通勤することが再び始まったのですが、これまでの私は、帰りは必ず女性車両に乗っていました。

【男性が嫌だったからです】

当時はなんとなく嫌、と思っていましたが、本当はすっごく嫌だったのです。

ところが、気がつくと私は帰りも普通車両に乗っていて、今までわざわざ端っこの女性車両を目指してホームを歩いていた自分を思い出したのは通勤開始数日後。

思い出してわざわざ女性車両に乗ってみました。

こっちのほうがなんだか違和感あり、でした。

こんな小さなこと。。。

いいえ、こんな小さなこと一つ一つが私の偽物の人生を作る全てでした。

この変化こそがとんでもない、私の中の大いなるバランスが整った結果です。

数年後の自己イメージが生まれる

やりたいことが思いつく。

そんな自分を許せる日もきたのです。

コーヒー農園を作ってみたい。。。

未経験なのに、そう思いつきました。

数年後の私の生活のイメージでした。

同時に、自身の研究では、これまで私が参考に勉強してきたある人類学者の研究が、そういえば社会進化論を追求していた人だったことに今頃気がつくということがありました。

私は自身の研究でも、環境問題や森林消失、土地紛争といった問題を解決するための研究を求めてきましたが、自分自身が葛藤だらけだったので、研究活動でも、資金繰りから調査からテーマ設定から、何から何まで心はいつも葛藤だらけでした。

これから文明が切り替わる時に求められる研究として、この人類学者の研究を追って、私も社会進化について考えていきたいと思いつきました。

とはいえ、問題を見つめる研究は、過去を見つめる研究で、言ってみれば、三次元の研究活動はおそらくみな、社会進化といえどもこれまでの過去の研究から学ぶことには変わりはなく、
これから始まる全く次元の異なる文明にとって必要なことがあるかどうか、今の私には分かりません。

ですが、少なくとも今の私は同時に未来も視野に入れられるようになって、これまでの自身の研究における視角が変わったなと感じました。

研究発表の機会に恵まれて

まさに、自分の人生において問題ばかり、過去ばかりを見つめてきた自分が、

これからやりたいこと、
居心地がよいこと、
楽しいこと、
に焦点を合わせるようになったように、
研究関心もまた、人類の進化というミロスのテーマに沿うかのような社会の進化という言葉にヒットしたということでした。

4月の終わりには、これまでの自分の研究を発表する小さな機会がありました。

《完璧主義で劣等感の塊だった私》にはあり得ない場でしたが、
指導教授が推薦してくれていました。

新しい人生のスタート

こうして私はいつも、三次元で例えひどい状況にいても男性に要所要所で救われてきたことをまた思い出しました。
今まで、男性が助けてくれたと思ってきたけれど、自分だったのでした。

発表では、
出来ていること、
出来ていないこと、
そのままを述べることができ、
よい参加者の先生方にも恵まれて実りある議論ができました。

新しい人生の始まり。

正当に、そして本質の自分を見れる人生の始まり。

新しい職場での新しい人たち、研究活動での新旧交えた人たちとの交流の広がり。

自分が自分を下げていたことに気づいたことで、人生は自然に少しずつ、でも気がついたら随分と、そしてどんどんと、広がりを見せてくれています。

今度の職場は一転して男性ばかり。
どんな展開が待っているのやら。
また報告したいと思います。

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