いつでもイライラしている怒りっぽい両親や周りの人を見て「あんなふうにはなりたくない!」と反面教師にすることはよくあると思います。感情を表す「喜怒哀楽」という言葉に含まれているように、怒りはもともと人間が持っている感情で、怒りを感じることはまったく悪いことではなく、ごく自然なことなのではないでしょうか。今日の女性は「怒り」の正体が理解できたことで、自分に優しくなれて目の前の方の変化を感じる事で毎日が楽しいと言われます。何を理解したのでしょうか。
Kさん 40代 女性【大阪府】
理不尽だと感じて
先日3年ぶりに友人に会いました。
彼女は以前一緒に働いた仲間でした。
とても頑張り屋さんで仕事のできる賢い方だったのですが、ある事をキッカケに納得できない…理不尽だといって突然仕事を辞めてしまいました。
彼女との時間はとても楽しく時間を忘れてしまうほど。そんな時、こんな話をしてくれました。
『あの時何故仕事を辞める事になったのか今でもわからない。今の職場もいいのだけれど、前がどれだけ恵まれていたのかわかったの!!だから、何があっても辞めたらダメって今悩んでる人がいたら言いたい』
その時、人は何か不満があって次に進んでもこれでよかったにはならず後悔するんだ。現状に不満を抱く人が、聞けたら救われるだろうな〜くらいの聞き方しかできませんでしたが…
後悔しているのかも?!
帰りの電車の中で彼女の話が、
私が離婚をした時の状況と合致!!
幸せな家庭をと頑張っていたはずなのに、ある時ものすごく嫌になりちゃぶ台をひっくり返す勢いで、誰の声も聞かず結婚生活を終えたあの時の姿に…
そしてミロスに出会って、自分の結婚生活が恵まれていた事に気づけましたが、もう元に戻ることはないと思って、
これでいいと思っていたけれど、私は離婚した事を後悔しているのかと驚きました。
父、母に見たものもそのまんまでした。
離婚はしていないけれども、何度もそういう危機を私は幼い頃何度も見てきました。
どちらも頑張る努力の人だけれども、必ずどちらかが足を引っ張り、裏切る。
そして裏切られたと、ものすごい勢いで怒り壊しにかかる。
壊せずとも、この経験を糧にまた頑張るの繰り返しで、私の目には、幸せというものが映らなかった。
私の人生のパターンは全てこれだった…
父母の思いにふれると…
そしていつも何故だか湧き上がる怒りを押さえられなくなる事があった。
突然キレる。
子供の頃は父、母にその姿を見て怖いと感じ、大きくなると全く同じ事を私がやっていた。
自分に優しく大切にできないから誰かにやってあげたり、してもらおうとするしかなく…結果扱いが悪いものしか見えず、それが怒りに変わる。
全く同じだったと、父母の気持ちにもやっと触れる事ができた。
自分を大切にできない、大嫌い…だからこうやってちゃぶ台ひっくり返したり、怒ったりして逃げるしかなかった自分にもう
『あなたのせいではない。もういいよ』
と声をかけてあげた。
もう後悔も反省もいらない。
新たな事にチャレンジ!!
数日後、目の前に同じ光景をみた時『そりゃ上手くいかないわ!!』と笑えた瞬間がありました。
いつもなら目の前の光景、相手に飲み込まれ、心がザワザワどうにかしたくなっていたのが、不思議と感情も動かずジッと見守れた。
完全に終わったのだと思えた。
今新しい職場で新たな事にチャレンジしています。
今まで苦手で逃げてきたテリトリーに入りましたが、抵抗感が全くない事に驚きます。
新しいから大変なこともある。
でも私の前にきたものは全てできる。
真正面から受けてみようと思える。
逃げる必要がなくなった現在、目の前の自分は責めたり、否定してきたりすることもない、そして私がそれをすることもない。
自分に優しくなると
現在職場で言ってもらえることは、『ありがとう』『良くやっている』しかありません。
自分に優しくなるとはこういうことなのだと体感しています。
目の前の可能性豊富なものばかりを目にする毎日!!
楽しくて仕方がありません。
自分の中の葛藤を終わらせていく事がどれだけ、世の中に影響力があるのか!!
そして彼女という私が言ってくれたように、目の前に来てくださる《自分》に大丈夫と話せる。
身をもって体験できる事に感謝です!!
この父母の元生まれてきて
私は幸せです。