「お姉ちゃんなんだから」と子どものころから親から期待されることで、妹弟を支えてきたり、面倒みが良かったり。親のために一生懸命に頑張っている方は意外と多いのではありませんか。そんな経験からもしかしたら、人の反応を気にしすぎて本音が言えなくなったり、人に頼るのが苦手だったり、甘えられなかったりなどしてしまう。今回の女性は人に合わせることばかりで、自分の思いを素直に感じていなかったのですが、両親の思いに気づいていくことでドンドン解放されました。喜びの声を聞いてください。
Mさん 60代 女性【愛知県】
長女として生まれて…
カリキュラムを受ける中で一枚の白黒の写真を思い出しました。
その写真は今は無くて、その存在すらすっかり忘れていました、ですが小さいころの記憶を思い出したことがありました。
それは、保育所に通いはじめたころになります。
私は長女としてうまれました。その当時、両親は共働きで、私を保育所に預けるということができない頃だったのか、私をいろんな所に預けて仕事をしていました。
幼いながらも『私なんか愛されてないんじゃないか』
『いない方が、よかったんじゃないか』
『生まれてこなきゃよかったんじゃないか』
と間違った自己イメージを作っていきました。
保育園で預けられた私はブランコに乗っていました。
父に手を引かれ、帰って行く父に『私を置いて行かないで!!』と寂しい気持ちで叫びたい気持ちを我慢していた私。
そんなことを急に思い出したのが、白黒の写真に写る当時の寂しそうな自分だということです。
親に寂しい気持ちを言えなかったし、我慢していたのだと思います。
親を困らせたくないし、親に心配されないように、いい子でいることを良しとして生きていきました。
父とは真逆な夫のハズが?
やがて、7才離れて下に弟が生まれましたが、弟は何も気にせずにわがままでした。
ですが私は相変わらず手のかからない良い子でいましたが、心の内では欠乏感をもったまま大人になっていきました。
そして結婚したのですが、父がひ弱な感じの人で父自身でも「俺は弱いんだ~~」と口癖のように言っていたのが嫌で、結婚をするなら父とは正反対の、元気で社交的な主人を選びました。
ですが時が過ぎると父と同じように感じることがありました。
それは「寂しさ」でした。
主人は海外出張や単身赴任(海外)をしていました。
「俺は家事はしない!」ということをよく言っていましたが、考えて見たら海外では
1人でいるので、家事もしただろうし、きっと寂しさも味わっていたと思います。
主人は家族の為に一生懸命頑張ってくれました。
主人も寂しい思いをしましたが、私も主人がいなくて寂しい思いをしていました。
お互いに感じることは「寂しさ」でした。
さびしさを感じる根底には…
何故こんな風に寂しさを感じるのか?両親の生い立ちなども含めて感じてみました。
そこで思い出したのが母の生い立ちでした。
母は、9人兄妹の上から4番目でした。
当時のことなので子だくさんの家族が当たり前の時代。そんな母は5年生の時に子どものいない夫婦のもとに養女としてもらわれたのです。そして結婚するときに養子さんを迎えましたが、祖父と気が合わずに養子さんをいじめて、最初のお婿さんはかえってしまいました。そして2番目に来たのが、私の父親でした。
父は当時、奥さんと2歳になる可愛いさかりの娘さんを亡くしたころでした。親戚の紹介で父と母は結婚しました。お互い寂しさを抱えながらの再婚となりました。
これでやっと幸せになれると思ったのに、祖父がまた父をいじめるのです。同じことを繰り返したくなかった2人は、祖父母の家を出て、私や弟を育ててくれたようでした。
ですから両親ともに働いていても祖父母にも預けられず、私を他人の誰かに預けながら仕事をしていたそうです。
当時のことなので、誰かに預けることは、とても難しかったのではと思います。
母親との記憶といえば、働き者ですが、気の強い母という印象があります。
母は養女としてもらわれて甘えることも下手だったのではと思います。いつも父をけなし、やることが遅い!約束しても遅れてくるとよく言っていました。
そして父が「俺は弱いんだ~~」と口癖のように言っていたぐらいなので、
《気の強い母とひ弱に感じる父》
甘えられない寂しさを感じながらも私たちのために一生懸命に頑張る両親の姿でした。
子育てに不安があった
やがて私たち夫婦に、子どもが2人生まれました。
ですが、私は幼少期の欠乏感を抱いたまま大人になり、結婚しても育児に向かう中の子育ては、とても不安がありました。
親との関係性も希薄だと思っていたのか、子どものころの寂しさも手伝って、その上主人が単身赴任となった時に、不安はピークをむかえていました。
その頃に、たまたま誘っていただいた宗教の方に、「子育てにいいですよ」と言われて入り、のちに多額の借金をしてまではまり込んでしまったのです。
『子育てのため』『幸せになるため』にと金銭を出してきましたが、そこで幸せを感じることはありませんでした。むしろ、宗教に縛られているように感じたり、それはもう束縛に感じていたのだと思います。
毎年、決められた目標額を収めることに躍起になっていましたがどうにもならず!
そこまでのめりこんで、気づくと10年が過ぎていました。
そんな時に、ミロスに出合い、これでやっと『自由になれる!』『好きなことをしていいんだ』
と思ったことを今でも忘れません。
その当時の事ですが、今から思えば束縛してきたのは外側の誰かではなく、ミロスを知って自分が自分を束縛していたことがわかり、漸く解放されたのだと感じます。
自分の気持ちに嘘はつけない!
今回、藤岡講師のLifeコースに参加してみて
私は、人とのコミュニケーションが苦手で散々人に合わせて生きてきました。
自分の言いたいことも言えず、いつしか本当の自分の気持ちがわからなくなっていたのでしょう、
いつの間にかミロスを知ったかぶりする自分もいました。
『これ以上嘘をついて生きていけない!』となった時にお手上げしました。
コミュニケーションが苦手だったのは、自分とのコミュニケーションを
してこなかったことが外側に映っていたということが解り解放されたのです。
3年前に脳梗塞を起こしましたが、お陰様で後遺症も無く軽く済みました。
言いたいことが言えない分、自分に我慢した分、体で表現していました。
どれだけ自分が自分を解ってやらなかったか、聞いてあげれなかったのか、自分の体を苦しめてきたかを知りました。
気が付いてやれなくてごめんなさいと、この体が愛おしく感謝でした。
ミロスに出会って
『私の白黒の人生がフルカラーに変わりました!』
回り道をしていましたが全ては、これで良かったんだと落ち着きました。
両親を感じてみると
朝目覚めた時にこんなことを感じました。
今まで、点でしかなかった人生の出来事が、やっとすべてが繋がりました。
あまり面識の少ない方に誘われても、今までだったら断っていましたが、私にもタイミングが来たのでしょう、今回はそんな方に誘われても断る事もなく「は~い」という風に、このLifeコースに参加できたように思います。
自分が解放されていくのと同時に、今まで《置いてきぼり、寂しさ》ばかり感じていたのが何故そう感じていたのかがわかりました。
私の両親は再婚どうしの結婚でした。
《両親の思い》その気持ちをあらためて感じていくことで漸く自分の中に、
ずっとあった《寂しさ》を感じてあげることができました。
もう父も母も今は亡くなっています。でもこうして思い出して書くことが出来たことで喜んでくれていると思います。
幼い頃に、自分の思い込みで創った傷を自分の人生の中で、何度も体験を繰り返し、やっと今それが一直線に繋がりました。
あらためてミロスシステムに出合って人生を紐解いたことで解放されました。
これから生きていくのがとっても楽しみになりました。