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“親を鬱陶しく思う”というのは大人になる過程でよく起こることだと思います。もしかしたら「生んでくれと頼んだ覚えはない!」と八つ当たりをした方もいるかもしれませんね。親にとっての子育ては初めての経験です。“嬉しいこと・辛いこと”など様々な体験があると思います。今回の女性は子どもの頃、父親が苦手でした。親の思いにふれていくことで、漸くどれだけ親から愛されていたのか気づいていくことで、今は父との時間が「宝物」と言えてしまうことが素晴らしい!

岸本 知子 (キシモト ハルコ)さん 40代 女性【神奈川県】

黒板に書いた名前

先日、コンプレックスをテーマにした親子関係のミロス体感講座を受講しました。

『コンプレックス』というワードに毎回私の中にある幼少期、小学生の時の思いが疼き、今回もその感覚がありました。

私の家族は父と母と3歳上の姉が居る4人家族です。

父は私が小学2年生の頃までは、〇〇市の研究所の職員として、専門分野の理数系を活かした仕事に就いていました。

私が当時、父に対して感じていた事は、しつこい、怒ると怖い、父の母との口喧嘩や少し感情的になった時の大きな声も苦手でした。

母は専業主婦で、家事、育児をしながら、時々ミシンで私達姉妹の服を造ってくれたり、内職などもしていて、忙しそうというか邪魔しちゃいけない感じがありました。

そして我が家で嫌いだった物の1つ。

それは冷蔵庫の横に掛けられた
大きめの黒板。

その黒板はある時は落書き用として、ある時は恐怖の1つに変わる物でした。

ある日の朝、ひらがなに興味を持った私は幼稚園に行く前に黒板にひらがなで自分の名前を書きました。

それを見た父は「おっ、名前を書けるようになったのか??」と褒めてくれました。 が、「よし、じゃー次はお姉ちゃんの名前を書いてみなさい。」

???

私は書けませんでした。。
黒板の前でモジモジしている私にだんだんと父の声が大きくなり、その声の大きさに驚きに感じ、怖くなり、分からないし、書けない私はその場で泣き出しました。

父との勉強での関係性はそれ以降もずっと続きました。

勉強なんて大嫌い!

小学生になった私に待っていたのは、夏休み中に父が算数を教える『魔の時間』。
その時間は、父の気分で始まり、父が黒板を持ってきたら最後。。
地獄のような時間のスタートです。。

姉の名前が書けなかった時と同じで、算数の分からない私に父の声が大きくなり、「どうして分からないんだぁ!」と言いながら黒板をバンバン叩く父。
我慢して押し殺した自分の思いは、『分からないものは分からない。』という気持ちも言えない自分が嫌で、惨めで情けなくて、どうしようもない感情が涙となり、 同時に『勉強なんか嫌い。算数なんか大っ嫌い。お父さんも大っ嫌い??』という思いや『どうせ、やっても分からない。』という諦めのような虚しさのような感情もありました。

徐々に私の中で勉強が出来る。
は良いことで、憧れでもあり、理想でもありました。

作戦は失敗!

その私の理想は小学5年生の時にある問題を引き起こしました。

当時のクラスでは毎週、漢字10問の小テストを行なっていて、もちろん漢字の書き取り練習なんかしない私の点数は3~5点くらいまで。
それ以上の点数が取れず、いつも貼れるシールの色は黄色?、
点数の高い子は銀色や金色の○シールを貼っていました。

私はそんな他の子を見て、『いいなぁ、私も銀色とかのシール貼ってみたいなぁ。』と羨ましく思っていました。

私は頑張って書き取り練習するのは嫌だったので、本気で何か良い方法はないか?を考えました。

そして、私が思いついた作戦はカンニング。

消しゴムくらいの小さい紙に範囲内で自分の書けない漢字や間違えやすい漢字を書いて、消しゴムケースに隠しておく作戦でした。

1回目は成功。
『やったー。出来た!』と静かに喜びました。
そして、念願の銀の○シールを貼ることが出来ました。

でも、2回はありませんでした。
担任の先生にバレて、私だけ呼び出され、その瞬間、初めて自分の愚かさに気付き、後悔の渦に飲まれ、心臓がバクバクし、手が震えていたのも覚えています。

コンプレックスがあったことで

その後、どうなったか?
あまり記憶はありませんが
確か、担任がクラスメートにも私のした事を話していたように思います。

私がずっと持っていたコンプレックスや自己否定、そして羨ましさ。
周囲の子が当たり前に銀や金のシールを貼っている事に憧れ、その理想の自分が欲しかった。

でも、それは見事に反転しました。

私はその件で絶対に両親に怒られると思っていたし、おそらく担任からも母親に連絡があったと思います。
でも両親からその事を聞かれることもなく、不思議に思いながらも月日は流れていきました。

その後も私の勉強に対してのやる気の無さは変わることなく、
自分の中では諦めていたし、勉強をする意味が分らないまま、行きたかったわけでもない地元の私立高校へ進学しました。

人生は学びの連続

私にとって、高校生活は毎日平坦でクラスの中に居ても、グループの中に居てもあまり楽しいと感じることなく過ごしていたように思います。

そして、勉強に対するモチベーションも相変わらずで授業も半分うわの空で受けていました。

自分の中でなんとなく将来やりたいことは決まっていても、やりたい事と学業が結びつかず、『早く卒業したい。』という気持ちでした。

そして、高校1年生の1学期中間テストが始まり、結果は中の下の成績。
『やっぱりなぁ。。』という感じの自分。

その成績の結果を見た父は、私を呼びました。『あぁー、怒られるのかなぁ。嫌だなぁ…』と思いながら父の前に座ると、成績表を見ながら、

父 「自分でこの結果を見てどう思うの?」
私 「良くないなぁと思う…」

父 「将来何かやりたいことはあるのか?」
私 「… ファッション関係。」

父はその仕事に就く為にもそのやりたいことに近づく為にも勉強は必要になってくる。
人生は学びの連続なんだ。いくつもやる必要はない。1つでいいからその1つを頑張ってみる。という話しを叱るでもなく、諭すように話してくれました。

父の提案に了承する

そして、1科目でいいから少しの間だけ、勉強を見ようと思う。との父の提案。

もちろん、あの頃の記憶が蘇り、
拒絶感もあり、正直…嫌でした。

嫌だったけど、父の提案を了承しました。

父からは数学か英語なら教えられるけど、どっちがいい?と聞かれ、
数学はもう絶対に嫌だったので、英語を選びました。

究極の選択です。(笑)

それから数日して、父との1対1での
お勉強タイムが始まりました。
週に2回くらいで60分ほど。

黒板なしで、以前のように父の声が大きくなることもなく、どうやって勉強を進めるのか?
主に勉強の仕方を教えてくれました。

父の愛情に気づく

その勉強タイムは次の期末テストくらいまで続きました。
そして、次期期末テストの英語の結果を見た時、自分でも予想してないくらい点数が上がっていたことに驚きと喜びを感じたことを覚えています。

その結果を見た父は、
「おー、良かったじゃないか!じゃ、あとは自分で続けてやりなさい。」と言って、父とのお勉強タイムはそこで終了しました。

私は高校生になって、今まで向き合わずにずっと遠ざけていた勉強と初めて向き合うことが出来、その後の成績は他の科目も不思議と上がり、行きたいと思っていた服飾系の短大にも推薦で入ることが出来ました。

姉の名前が書けなかったことで、父の声の大きさにビックリ??し、怒られてる、責められてる…。自分はダメなんだと思い込んだ時から、字を書いたり、本を読むこと、勉強することへもどこか諦め、ただ勉強に対してのコンプレックスだけを持っていました。

そして、父も満州で生まれ育ち、日本へ引き上げてきて、日本の小学校に入った頃は、周りの子のように日本語が上手く話せず、最初の頃はその言葉に苦労したそうで、国語が嫌いで苦手で、父にも文字、言葉、勉強に対してのコンプレックスがあった事を大人になってから知りました。

父は自分が苦労したからこそ、我が子にもそんな経験をさせまいという熱い思いで感情が出てしまった。
不器用だけど、愛情だったと。

父との時間は私の宝物

ミロスに出会い、システムを少しずつ理解していくと、あれだけ強烈に父から注目して貰えてたのに、ちゃんと見てもらえてたのに、算数が分からないことで父から大きい声を聞くたびに、否定されてると思い込み、自己を否定し、諦めた変な世界を自分が創っていたなんて??驚きです。

そして今回のミロス体感講座を受けて、
幼少期の自分を思い出し、父を思い、高1の時に初めて自分の言葉に耳を傾けて、父と向き合って話しを聞くことが出来たんだ。
と改めて感じることが出来ました。

今ではあの父との時間と空間は私の宝物だったと感じてます!

これからもミロスに触れて、自分を知る実践をしていきます。

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