「昔取った杵柄(きねづか)」とは若いころに身につけた技能のことをいう。過去に鍛えた腕前や能力が、今でも衰えていないという意味があることわざです。 まさしく今回の女性のお母さまのこと。若いころに英語が堪能だったり、着付けが出来たり。親は、いくつになっても、子どものためならと頑張る方は多いと思いますが、78歳になって自分の能力が活かせる場が社会にあることが凄い。年齢なんて関係ない!自分でなんでも挑戦することで、身体も気持ちも最高のプレゼントになっているのだと感じます。
Yさん 40代 女性【高知県】
自分を知るのは自分
最近の私は、普段のいろいろな気づきや変化を、Instagramに投稿しています。
ここでその変化を改めて表現させていただくことにします。
私の母は、ステージ4の直腸ガン、肝臓への転移があったものの、3度の手術と抗ガン治療を乗り越え、8年経ちました。
現在は78歳。
そんな母は、いつも足が痛い、足が痛いと杖をついて、足をひきずるように何年も歩いていました。
私は実家で父母と一緒に暮らしていましたが、結婚をきっかけに家を出ました。
(とはいっても、父母の場所から車で5分の距離です)
私の結婚生活は、最初の頃はパートナーと喧嘩ばかりでした。
けれどもある時、きちんとシステムで見たとき、
私がパートナーに依存しきって
「私を幸せにしてよ!」「あなたが私を幸せにするのよ!」
と半ば支配的になっていたことに気づき、
これ、逆にされたら、絶対嫌だな、と冷静に自分の行動を見ることが出来ました。
「私は、パートナーに依存していた。そしてパートナーの幸せなんて考えず、自分の欲求を満たすための道具に、パートナーを扱っていた。」と気づき、
「自分で自分を幸せにするのは、自分。自分を知るのも自分。それは結婚してからも変わらない。パートナーは私の欠乏感を埋める道具じゃない。一緒に生きて行く”存在”なんだ!」と改めて気づいたのでした。
道具に依存するのをやめた!
そう気づいてから、しばらく会っていなかった母に会うと、
なんと杖をつかずに、スタスタ歩いていたのです。
えっ!?
あんなに足をひきずっていたのに!?
母に聞くと
「杖に頼ると、筋肉が弱って、どんどん弱くなるみたいだから、そんなのは嫌だから辞めたんだよ」と。
私が「パートナーを依存する道具にしてた」とそれを認めて辞めたから、母は杖という道具に依存するのを辞めたのか!?
とそう感じました。
分かりやすくて、笑っちゃいました。
通訳の仕事が舞い込むことに
そんな母。
元気がありあまって、私の家の前の雑草を引いてくれたり、木をのこぎりで切り始めたり、
私の副業のゲストハウスのシーツを変えてくれたりと、まぁ、とにかく動いてくれるのです。
シーツ替えは地味に大変で、シーツも1セットは1㎏の重さがあります。なのに母は5人分とか平気でやってくれて、洗濯・乾燥まで5㎏分をこなすのです。
78歳の老人をそうやって働かせていたら、私の方が非難されてもおかしくありません。
でも、本当に平気でやっているので、あえて甘えてやってもらっています。
そんな中、ある話が舞い込んできました。
ある国際結婚のカップルの方の通訳をしてくれないか、と。
実は、母は昔、10代の頃、アメリカに渡った経験があり、日本では大使館で働いた経験があります。
地元では、英語を話せる人材はあまりおらず、国際結婚で私の地域に住んでいる外国人女性にこの話が来たのですが、彼女は都合が合わず、母に話が回ってきたのです。
(普通、この歳だと認知症などになってもおかしくなのに、母は英語を明瞭に覚えているのです。)
しかし、迷っていた母に
「お母さんの英語の力が人のために役立つんだから、やりなよ。お手伝いをする、という視点でいればいいんじゃないの?」
と伝えました。
ミロスでは常に、どちらの見方になるとかならないとかでもないから、お二人の話をよく聞いて通訳してあげればいい。
そうして母は通訳のお手伝いをすることになり、結果、結構なお給料もいただいたそうで、とても喜んでいました。
次々に母の活躍が…
そんな矢先です。
私のゲストハウスには、外国人がたくさん来るのですが、オーストリアから来た家族が海に行きたいけど車がない、という話になり、父に車の送迎を頼みました。すると母も行く!と言い出して。
その家族はドイツ語と英語しか話せないので、英語を話せない父の代わりに母が英語で通訳し、大きな車は運転出来ない母の代わりに父が運転したのです。
するとその家族は非常によろこんでくれ、謝礼を置いていったのです。
母にまた臨時収入が入りました。
さらには、私のゲストハウスに来たアルゼンチンの女性。彼女が着付け体験をしたいというのです。母は、まさに着付けを出来るので、母に頼みました。
英語OKな着付け体験はなかなかこの地域では無いので、お客さんはとっても喜んでくれ、母にはまた臨時収入が入りました。
この前は、母の所属する婦人グループで、市に図書を寄贈して、市の広報誌に寄贈式で着物姿の母が写真に写っていました。
保育園の子ども達に英語を教える、という話も来て、母はそんな活動もしています。
78歳のおばあちゃんとは思えない活躍です。
年齢なんて、もう関係ない!
あれ?
なんだか、母の能力を活かす場が社会から与えられている!?
そして感謝されている!?
能力開花、というよりは、能力を活かせる場が開花したという感じ。
そして価値を評価されているのです。
とても微笑ましいなと思う毎日です。
年齢なんて関係ない。
私は、もう母を「老人」という扱いをしないことにしました。
最近の嬉しいご報告でした。