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  3. ☆求めて続けてきた心の平和がここに!

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「夫婦ゲンカは犬も食わない」とはよく言ったもので、仲違いしている夫婦も時間とともに、また元の良好な関係に戻ることは多いですよね。だけど子どもからすると、両親の激しいケンカが怖かったという方も多く、トラウマを感じるケースもあるとも言われています。今回の女性は、「心の平和」を望みながらも、強烈な無価値感によって翻弄されてきた人生でした。そんな女性が自分を知っていくことで、あるパターンに気づき一気に解放され、心穏やかな新たな人生のスタートになりました。

Aさん 40代 女性【長崎県】

夫の楽しそうに働く姿が嬉しくて!

夫の観ている景色が、今までとは全く変わって、妻の私からみても、とても嬉しくて話したくなりました。

2020年コロナ禍に入り、在宅勤務となり、今までは見えなかった夫の働く姿を傍で見ていました。
トラブルが多く、叱責を受け、また突然のお叱りやお怒りのお電話・・・。

長年勤めている会社ですが、今から考えてみたら

結婚前も転勤が多く、結婚後も《出向・部署移動・また出向・部署移動》

と落ち着くことのない会社生活でした。

それが、今ではトラブルはなくなり、会社ですから、とうぜん問題は起こることもありますが深刻化しない。
そして、突然のお叱り、お怒りのお電話もない。叱責もない。

コミュニケーションもスムーズになされ、また、今までは
『余計な事は言わなくて良い』と、意見は通らなかった世界が
『貴方はどう思うか?』とご質問頂いたり、意見や提案もスムーズに通る。

観る景色がすっかり変わった世界を毎日楽しそうに生き始めた夫の姿を嬉しく日々感じていましたが、

それは夫の変容、夫の世界だと感じていました。

自殺願望が消えていた!!

しかし、夫に観る姿こそが、私の観る景色の変容であり、私自身が生き始めていたことを感じたのです。

私は幼い頃から、
『心を救えば人類を救える。心を救いたい。』と願ってやまない思いはあるけれども、実際は人とは何故か揉めてしまうことばかりでした。

関係性を築く事は難しく、特定の友達も出来ず、グループなどもなく、何をやってもどこにいっても、上手くいったことのない人生でした。

そして、幼い頃から、どうやったら死ねるか?真剣に考え、時には死に向かう行動を起こしてしまう人生でもありました。

それでもずっと求めてやまなかった思いは『心の平和』でした。

父に観た姿、夫に観た姿が自分と一致した時に、漸く自分の思いに寄り添うことができて、

静かに心豊かに癒されていったのです。

これこそが、今までが「内なる安寧を求めたが故の闘い」であったことを知り、私の人生そのものも愛おしく感じられ喜びと共に泣けました。

すると、幼い頃から、消しても消しても何をしても消えなかった『自殺願望』が、まるでなかったのか!
のごとく消えていました。

最近までその事に気がつくことがありませんでした。

両親の喧嘩が絶えず・・・

ここで私がどのように両親を見ていたのか?そして夫を見ていたのか?を、
私の人生を通して書かせて頂きます。

私の父は医者です。勇猛果敢という良さがある反面、自分の思い通りにならないと激しく怒る。

そして母も医者です。母は母で自分の主張も相当激しかったです。

両親にすれば普通のコミュニケーションかも知れませんが、私にとっては激しいコミュニケーションで、さっきまで仲良くしていたかと思ったら、いつの間にか包丁が飛び交うような物凄い喧嘩が始まり大変でした。

私から観た父は更に常軌を逸したようになり、この人をこのままにしたら、自ら命をたってしまうのではないか?という状態にまでなり、私はとにかく何とかしなければと必死でした。

なので、幼い私は少しでも両親が和解の方向性が見えただけで、涙を流し拍手をして喜んでいるような子どもでした。

なのに両親は朝になると何事もなかったのように支度して出勤していきました。

そんな急激に感情が変わってしまう両親に適応出来ず、喧嘩が始まらないように、また喧嘩が始まってしまうと、早く穏やかになってほしいと、両親の心が穏やかであってほしいと、いつもいつも願っていました。

ドンドン壊れてしまう心・・・

そんな私自身も、自分の感情をコントロールすることができず、苦しんできました。
心を救いたい。しかし、救うどころか人間関係が築けない。
何をやっても上手くいかないどころか、トラブル続きで、解決するだけで精いっぱい。

高校を卒業し、日本に居場所がなく、アメリカに行けば何か花開くのではないかと思い、卒業して1年後にアメリカへ留学するものの、人間関係も恋愛事情も上手くいかず、当時お付き合いしていた日本人男性から

『お前はダメだ。だから、ダメなんだ!!』と言われ続けたことがきっかけとなり、追い詰められてしまい、

最後には何も感じられなくなり、そして、《幻覚・幻聴》が聴こえるようになり、

怒りの感情が極限に達してしまい、自分ではもうどうにもならなくなって暴れてしまった時に、友人に保護され精神科に強制入院となりました。

入院し、しばらく経った頃
医師から『貴方を日本に帰すことにします。危険なので警備員をつけます。』と言われ、母が迎えに来たことで、強制送還ではなく帰国となりました。

当時母から
『見えないものが見えたり聴こえたり、わかったりするのは、娘の能力だ。病気ではない!と医師に伝えたからね。貴女おかしくない、正常だ。』と言われて、何も言えなかったことだけは、覚えています。(今から思えば母親なりの娘への愛だと!)

帰国後、精神科に通院しました。
『心を救いたい』という思いはあれど、とても社会に出られる状態ではありませんでした。

精神科への強制入院

私は姉と兄の次に3番目の次女として生まれました。

医者の家系に生まれたのです。家族全員が優秀だったため学力がなければダメだと思い、進学の道に進み、紆余曲折を経て大学院修士課程に入学しました。ですが大学院に入れたものの、学力は全く追いつかず、人間関係は上手く行かず、
恋愛事情にも忙しく、教授からの厳しい指導にどんどん追い詰められてしまい、父に助けを求めど助けてもらえず、

私は遂に
『もういい!全てから解放されたい。この苦しみから逃れられるなら死んだほうがいい!』

どうにもならない行き場のない《怒り・苦しみ》から解放されたくて、自殺を図りましたが、
死ねなかったとわかった時に、暴れてしまい再び精神科への強制入院となり、数ヶ月の入院を経て退院。

その後、別の病院に通院するものの、別の病院に転院・・・。

心を救うどころか、救われる側に・・・。

何をしても、どこに行っても、上手く行かないどころか、争いが絶えない人生。

挙げ句の果てには、
『人をみたら敵と思え』と、毎日が戦闘モードでした。

私は大学院を何とか修了し、日本語教師の非常勤として働けど、トラブルは絶えませんでした。

笑っているだけでいいから

私の人生はどうしたら良いか?
結婚するしかないと思い、お見合い相談所に入るものの断られる。
2度目の相談所に入り、そんな時に夫とお見合いパーティで出逢いました。

遠くに立っている夫を一目見た時、優しそうな人だなと思い、
『私はこの人と結婚したいな』一目見たときにそう思いました。

何故なら、父が激しい人なので、穏やかな人と結婚したい、という思いがあったからです。

そして、この人は、
『私をこの暗闇から救い出してくれる人だ』とも思いました。

その後、夫と結婚し、カウンセリング、宗教、チャクラケア、占いなど様々なところに助けを求めましたが、人間関係で上手くいかず、長続きすることがありませんでした。

ミロスに出会う前は、夫に対して『助けてほしいときに役に立たない』と感じ、怒りをぶつけることがしばしばありました。

夫は、そんな私の怒りが収まるまでずっと耐えていました。

そして、私の怒りが収まったときに、よく私に対して、夫は目から涙を溢れさせながら
こんな言葉を言ってくれてました。
『あなたが笑っていてくれたら、それだけでいい!』と……。

その夫の姿が、子どもの頃に激しく怒った父の感情が収まったときの、《怖い》と思うのではなくて、
とにかく少しでも『父の心が穏やかになってくれたらいい』と願い、ほっとした気持ちになって涙を流していた私の姿と同じでした。

『私が父を見る目と夫が私を見る目』が一致した思いだったのです。

そして、精神科に入院していたときに父から送られて来た手紙が出てきました。

そこには、『おまえが、ただ明るくいてくれたらいい』と書かれていました。
父が私を見ていた目とも一致しました。

父が自分の心を平和に保つために、相手や私をコントロールして従わせようとする姿に私は恐怖を感じていましたが、私自身も心の安寧を得ようと相手をコントロールし従わせようとしていたのです。

『心穏やかにあってほしい』というのは自分が自分を観ている目だったことが、漸く理解できました。

自暴自棄の正体がわかる

夫は、以前ですがこんなことをしていました。

ある日のことですが、夫は、電車に乗り遅れただけで、自分の感情を抑えきれずに叫んでしまったり、壁に頭をぶつけたり、自分で自分の頭を殴ってしまう、そしてベンチを殴る。

けれども、その次の瞬間には何もなかったかのように振る舞い、次の電車に乗るといった具合だったのです。

父の激しさを嫌い、穏やかな相手を選んだつもりが、夫も父と全く同じように攻撃性を持っていたのです。

ただ、外側に向けて表現するか、自分に向けて表現するかが違っていただけでした。

このことが理解できたことで、私と夫と父が一致しました。

自分の心の安寧のために、人を見たら敵と思ってきた自分の思考が、人間関係が上手くいかない状況を作っていたことが理解できたことで、心の平和のために戦ってきたことが滑稽に観えて、全てが赦せました。

そして、人から『お前はダメだ』と言われたり否定的な態度を取られたと感じると、勝手に追い詰められてしまい、

『誰からも受け入れられない。誰も助けてくれない』と思うとさらに、

『どうせ私がダメなんだ。私は生きている価値がない』という

『無価値感』という間違った思い込みに触れたときに、

自暴自棄になってしまい、自殺未遂を図っていたことが理解できました。

すると、「何かあったら死んでやる!」という、消しても消しても消えなかったどうにも止まらなかった自分への怒りが消滅していました。凄い驚きでした。

自分の世界を生き始めた!

お店に買い物に行っても、店員に少しでも気に入らない振る舞いをされると、

以前であれば、責任者を出せと怒るか、店員を責め続け気が付いたら泣かせてしまっていましたが、今では一切なくなり、「あ、そうなんだ」と観ることができるようになりました。

そして、今まで誰も助けてくれないとしか観えていなかった世界が変わりました。

今までであれば、自分が何かをしていても、あと1歩のところで足を引っ張られたり、人との関係性が壊れてしまうか、自分が壊してしまうかしかなかった人生が、

本当に寄り添ってくださる方や、親身に相談に乗ってくださる方、応援してくださる方が次々と現れ、自分達がやりたいことをやれる場ができてました。

困ったときに困ったと相談できる人がいて、分からないときに助けてと言える人がいます。

今までであれば、おかしいことをおかしいというと、あなたがおかしいと言われていたのが、ちゃんと聞いてもらえる世界に変わっています。

そして、怒りが出たとしても翻弄されることがなくなりました。

たとえ何かがあったとしても、その体験こそが活かされると思っていましたが、もう戻る必要がありません。

自分の世界が生き始めたことを感じています。

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