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  3. ☆純真無垢な自分と出会えた!

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親にとって我が子はとても愛しく、大切です。特に母親は子供との関わりが深くて、「幸せな人生を歩んでもらいたい!」と思うあまりにやりすぎてしまう人も多いようです。子供に過剰な期待をかけて、勉強を強要してしまう「教育ママ」などは、その表れではないでしょうか。今回の男性も子どもの頃に、引っ越しに伴い母親が急に教育ママになったことで、様々な思いを抱えて過ごしたようです。そんな中で、義理の姪っ子さんの動きを見て、子どもの頃の自分を思い出して頑張っていた自分に「最高」と言えました。

Kさん 50代 男性 【京都府】

子どもの頃の思い出

子どもの頃の記憶でこんなことを思い出しました…。

わたしは小学校3年生で新築した家に引越しましたが、同時に母が「教育ママ」になりました。テレビ制限、門限、通信教育が突然、始まったんです。

それは新居ご近所の教育ママの影響でした。

とても不思議なことがあります。

わたしは当時母が大変怖かったはずなのに「母の怖さ」を全く記憶していないのです。

唯一、当時の忘れられない思い出があります。

ある日私は音楽の教科書を無くしてしまいました。

私はどうしたかというとクラスの女の子の音楽の教科書を盗み、自分のものにしました。

普通は母親に相談すれば良いと思いますが、当時の私は母にそれを言えなかった。

怒られたくなかったんです。

親友のことも覚えていない!

また、小学校3年生の親友を全く覚えていません。

彼と中学校で再会して話しかけられたのですが「誰?」と、私は全く覚えていませんでした。

そして
「言うこと聞かないなら出て行きなさい!」この躾が私や妹に効き目があったそうです。
しかし、私は実はこれも覚えていないんです。

私はその頃の記憶が本当に抜けています。

母を恐怖に感じては、小さなわたしは生きていけない。

なので、それを感じない様に、その頃の記憶を失ったんだ…そうとしか思えませんでした。

ミロスを知り「貴方はお母さんが怖かったんだよ」とパートナーから言われます。

しかし、ほんとうに母が怖いとは全く思えませんでした。

私が高校3年の時、母は病気がきっかけで教育ママが終わりました。

それ以降の母は生き方が完全に変わり気楽に話せるようになったということでした。

子どもの行動は面白い!

そんなことを以前、思い出してから…

子どもの頃の自分ってどんなだったのかな?と感じながらの

ある日の出来事です。

自分にとっては凄く面白いことでした…。

それは、

先日パートナーの実家に行き、親戚たちと一緒に食事に行きました。

小学生の姉妹も一緒でした。

下の子は遊びたい盛りの2年生で、わたしの隣にズンと座ってきました。

何して遊ぶ?
ひとつが終わると
次何して遊ぶ?
次何して遊ぶ?

ジュースを飲む時も楽しそうで、隙間なく遊んでいます。

私は、食べるときは味わって、箸を置いては、下の子の遊びの相手をしていました。

姉の方は6年生で、もはや落ち着いて周囲に気づかい出来るほどお利口。

そして時折、妹を叱る。

まさにお姉ちゃんです。

家族のみの個室的な空間だったので、キャッキャと笑って少々騒がしくても楽しい時間になったのですが、

状況によっては「遊ぶな!」とか「いい加減にしなさい」「大人しくしなさい」と、
下の子に言わざるを得ない場面はあるだろうな〜と思いながら見ていました。

無邪気に遊ぶ、笑う、騒ぐ、喜ぶのはダメなこと、良くないこと、迷惑をかけること!

アカンこと!

笑うな!
騒ぐな!
遊ぶな!
喜ぶな!

あれまぁ、まさか!?
自分が自分に超強力に抑制してる!?

たしかに私は、小学2年の頃までは、こうだった気がします。

陰気と呼ばれていた

しかし、小学3年の時、突然「ザ・教育ママ」と母がなったわけで…。

それがキョーレツ過ぎたのか、この1年間は本当に記憶が飛んでいるんです。

当時の親友の事も覚えていませんでした。

更に躾けられた記憶もです。

母から「言うこと聞かないなら出て行きなさい!」という躾があって私は泣きまくっていたと聞いてますが、それも含めて思い出せなかったんです。

小学生5、6年の頃に、私は母のルールを守らない弟に腹をたてていたのを覚えています。

もうお利口さんな私になってたんですね。

ですがその頃、本当は私は転校先で馴染めずで、学校が嫌で嫌で仕方なくって、行きたくなくて、とても辛い時期でした。

そして周りからは「陰気」と呼ばれていたんです。

本当に苦しかったのですが、どうしようもありませんでした。

でも中学生になると、流れが変わってモテる様になったり明るさも出てきたのですが、

それ以来、「明るい」とか「目立つ」とか言って貰えた時に嬉しく感じてしまっていました。

そうか、これエゴだったんだ!

自分は「暗い」と思い込んで、その暗い自分を強烈に嫌ったんだ!

そんな私が、父親をどう見たか?というと、

「作り笑顔」「カラ元気」「面白くなろうと努力していた姿」でした。

これ、全部、父の嫌なところです。

まさに自分の嫌な所!でもあります。

そのまま父に見ていました。

新鮮な日々を楽しむ!

明るいのが良い!
遊ぶのが良い!
笑うのが良い!
楽しむのが良い!
喜ぶのが良いこと、

と明るい空に飛び立とうと努力して傾いていた、ずっとバネにしていたんだ!

自分が暗いと言われても、分かってますけど…って感じだったんですが、
本当に暗かったんだ!

おもしろい!
ほんと最高です!

こんなに面白いことはない!

毎日、自分を知って、どんどん新鮮になっていく日々!

うれしいなぁ〜

まるで子どもの頃の純真無垢な自分を思い出しているようです。

ここまで来られた自分

最高です!

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