両親の離婚を経験したけれども離婚の理由は全く知らない。「なぜ離婚をしたのか」と尋ねることは、子ども心に聞いてはいけないと思うし、その上「別れた親に会いたい!」と口に出すこともままならない。そんな風に感じている子どもさんは意外と多いのではないでしょうか。今日の女性も子供の頃に両親の離婚を経験し、長い間、母から聞く父の姿しか知らなかったけれども、様々なカリキュラムに触れ続けて、講師の絶妙なナビゲートの元、真実の父の姿が浮き彫りに!どんな父だったのでしょうか?
Y さん 40代 女性【東京都】
変わっていくご夫婦の姿に感動
柳沢講師のミロス実践コースとLifeコースを受講しました。
この頃、毎晩配信していたTeam Abuseのclubhouseでは、
《お金を愛と感謝で循環させたい!》《夫を喜ばせたい!》
の連鎖が起きていました。
そしてこのカリキュラム中に、Lifeコースをご一緒に受講していたNさんの
『一番認めて欲しかったご主人から認められた!』という場面を目撃して、
そこからどんどん変容されていくご夫婦を間近に見させて頂き感動しました。
ずっと男性を憎み戦って来た女性達が、男性を完全に理解する事で、男性の最初からずっと変わらない大きな愛を知って、どんどん変容していく何組ものご夫婦の姿に、まだ独身の私も感動し心から癒され、男性への想いがすっかり変わってしまいました。
だからこそこのカリキュラム期間中に、
今まで触れる事が出来ずにいた実の父を理解する事が出来て、父への想いも全く変わり、
僅かな父の情報を辿り柳沢講師のナビゲートで真実の父と出会うことが出来ました。
最悪な父の姿しか知らなった
私の父は母と離婚した後、数年で他界しました。
私が5歳の時でした。
母と私と暮らしていた東京を離れ、父の実家のある岐阜からも遠く離れた九州での病死でした。
私には父の記憶も思い出も何もなく、父が生きているかどうかも、21歳になるまで全く知りませんでした。
父の事を母に聞いてもあまり話したがらず、母から聞く父の話は、母が私を妊娠中に浮気をして、浮気相手の女性が母の所に乗り込んで来たり、お酒を飲めない代わりに薬物を服用して眠らず夜遊びをしていたり…と最悪な父の姿でした。
そんな父を悪だとずっと憎み恨み続けていました。
父は4人兄弟の末っ子で、歳の離れた長女の姉から一番可愛がられていたそうで、家族の住む岐阜を離れ東京で飲食店を経営していました。
父と母が離婚する時に、自分が子供を育てる!と父が1歳前の私を無理矢理引き取りました。
子供と引き離され憔悴しきった母の様子を見ていた祖母が
『このままでは、この娘はおかしくなってしまう…』と心配して、
伯母夫婦(母の姉)が私を連れ戻しに父の元へ行きました。
男手一つでの1歳前の赤ちゃんの私の子育てと仕事の両立は無理だった様で、おむつかぶれや湿疹やらで私は酷い状態になっていて、父は私を手放しました。
その後、どうして父が九州へ移り住み病気で亡くなったかはわかりません。
父の想いと母の想いを知る
柳沢講師からの課題は、
“父を取り戻してあげる…それは、父の愛の欠乏、どうしてそんな人生だったかを理解してあげる…”
という事でした。
子供を奪われてごっそり欠乏した父の絶望は、私が子供の頃に体験した度重なる
《急に環境が変わってしまった時の絶望》と同じ。
父が母に対して
『何で自分の想いをちゃんと伝えてくれないんだ!』といつも言っていたのも、
母は酒乱だった自分の父親に怯えて育って来たので、男性に心が開けず素直な想いを伝えられなかったという、母の想いと、
自分にちゃんと向いてくれない寂しさで浮気をしてしまった
父の想いだったと知り、
父が愛の欠乏で薬物に逃げても仕方なかったな…と理解出来ました。
(これもおとぎ話に現実逃避する私と全く一緒でした)
母に父の事を聞いても、いまだに母はあまり父の事を話したがりませんが、
母は昔から『長野の女性』というワードが出る度に、『長野の女』を嫌って来ました。
それは、父の浮気相手の女性が長野出身の女性だった為でした。
母は何十年経っても浮気をした父を許せず憎んでいる…と感じていましたが、
それも母が父ではなく浮気相手の女性にずっと激怒していたからで、
ずっと父の事を嫌いになりきれていなかった
【父への母の想い】を知りました。
写真に写る《父と私》:愛を感じる
母の言動からわかった父への想い、
離婚した父と母のどうして?の謎が解けて、
愛がないと思い込んで来た父と母の間に愛があった事を初めて実感する事が出来ました。
父の情報を探していた時に、21歳の時に再会した祖母(父の母)から貰った一枚の写真の事を思い出しました。
祖母は父の写真の上に切り抜いた赤ちゃんの私の写真を貼っていました。
丁度、私が父の方に向かって手を伸ばして触れようとしているアングルで、私と離れ離れになってしまった息子が可哀想だったので、
せめて写真の中だけでも父と私を一緒にしてあげた…と祖母は言っていました。
祖母が《父と私》二人一緒のその写真を仏壇に飾りいつも拝んでいたのも、愛する我が子と離れ離れになってしまった息子を不憫に思った祖母の愛で、それ程父に私は愛されていました。
写真を貰った当時から28年間、何も感じずにいましたが、
ミロスを知らなかった故、その写真に詰まっていた愛がずっと見えませんでした。
ずっと変わらない父の愛!
父は再婚もせずに一人で亡くなりましたが、
私の本当の祖父(母の父)もまた、祖母と離婚後に再婚する事なく80代で一人で亡くなりました。
孤独で惨めな父と祖父だと思って来ましたが、
離婚後も新しい家庭を持たずに一人で亡くなっていった父と祖父の想い…
妻と子への最初からずっと変わらない愛だった事に本当に驚きました。
浮気や薬物依存の父を悪でしかないと思い込み、その悪の父の血が私に流れている事も嫌だと、自分をずっと憎み続けて来ましたが、本当に僅かな父の情報から設計図を通して全てを理解し、あれ程憎み悪だと思い込んで来た父が、まさか、こんな想いだったなんて!と父への想いがすっかり変わってしまいました。
今は、私を生み出してくれた父に感謝です。
父への想い、男性への想いがこんなにすっかり変わってしまうなんて、自分一人では絶対に無理でした。
柳沢講師そして目の前で変容を見せてくれたお仲間のおかげです。
もう会う事も出来ない、絶対に無理だと思っていた亡くなった父を取り戻せた奇跡!
に感謝です。
※後編はこちらから
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