「執着」とはひとつのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。「執着心」とは何かを失うことを恐れ、しがみつきたい気持ちという意味だそうです。人は失ったり、愛されなくなって、孤独になるのが怖いから、「失いたくない」と人や物にしがみついたり、また仕事やお金や過去の失敗などにも執着を感じてしまうこともあると思います。今回の女性は両親や妹弟との関係性に苦しみましたが漸く解放されて喜びでいっぱいになりました。
清山 幸子 さん 50代 女性【島根県】
無価値感の正体を知る
昨年から講座を受講して、私の中で最も深く自分に刺さっていたのは、講義で聞いた「執着」という言葉でした。
この”執着”については、自分の中でいつも大きく占めているのですが、なかなか理解に及ばず、浮上しては消えるを繰り返してきました。
どうして理解できなかったのか?
その根底にある「無価値感」
それをどうしても受け取れなかったからでした。
その後ミロス ヒアリングを受けたとき、「無価値な自分に”執着”していた!その自分が大好きだった!!」と自分の口から出た事に驚きました。
そこから目の前が動き出しました。
母との関係性が悪化!
私はミロスしかない!と思ってミロスに触れ続けていますが、どうしても父母に近づく事ができず、自分は父母でできていると聞いても、そこの部分は受け取れませんでした。
一昨年末に、大腿骨部骨折のため長期入院となり、コロナ禍によって面会謝絶で2年間会う事が叶わなかった父が、この2月2日に他界しました。
20年以上、人工透析を受け、これ迄も何度か生死の境を超えてきた父でした。長年寝たきりだったので、私は、父がやっと肉体から解放され自由になったと感じ、少しホッと「安心」しました。
しかし、それと同時に父に気を遣って母に対する感情的な部分を抑えていた私は、父の訃報を聞いた直後から、母に対する苛立ちや、悪態に歯止めをかける事が出来ない状態に陥りました。
その母も負けず嫌いな気性で、心無い言葉で対抗してきました。
お互いがお互いを罵り合い傷つけ合う、何度も繰り返してきたパターン!
そして、いつも思い出すのは「子を愛せない親もいるんだ。」「親なのに子供を愛せない冷たい母親なんだ。」という、祖父母から刷り込まれてきた言葉だったのです。
それを信じ込み、あきらめの境地に至り、いつも自分を諌めてきたのでした。
何故母から愛されてないと思いこむのか?
私は年子の妹が病気の為、同じ屋根の下に暮らしながらも1歳から祖父母に育てられ、祖父母は私にとって絶対的な存在でした。
ある方のDVDで「子供を愛してない親はいない。でも子供は親から愛されているという実感が持てない。」という言葉を聞いたとき、私の思考は混乱を極めました。
二つの思いが葛藤し、どうにも出来なくなり、加藤万紀子講師のカウンセリングを受講しました。
講師「何故、母親から愛されていないと思うのか?そう思うことで、何か自分の都合の良いことがあるのか?」
私「1歳の頃によく癇癪を起こすほど泣いていました」
講師「そこまでして、本当は母に言いたかったことがあるんじゃ無いのかな?伝えられなかった思いがそこにあるんじゃない?」と言われて…
私「要らない子=愛される価値のない自分」
という間違った自己イメージができたことで、
母親に対し「子を愛せない親」というレッテルを貼った事に繋がったのでした。
抵抗感が一杯!
愛してほしい!自分だけを見てほしいのに!
愛されていない自分はすごく惨めで、諦めている自分も許せないから、一人で頑張って認めさせてやる!!…その思いをバネに努力を惜しまず、何にでも力を尽くしてきた人生でした。
しかし、どんなに頑張っても妹にも弟にも常に叶わない!と思い込み、最初から負けがスタート。
だから拗ねて捻くれて「見てくれない。認めてくれない。愛してくれない。」と父母のせいにし、ときに妹弟のせいにして「あいつ等ばっかり!!」という妬みで、いつも”選ばれない自分”という位置から恨みつらみを募らせてきました。
その私が母に対して素直になるという事は、過去の自分を完全に否定すること、本当に今までの自分を失うことであり、恐怖でいっぱいでした。
講師「鏡と一緒だから、自分から近づいたらお母さんも近づいてくれるよ。本当の思いを言ってみたら…”素直”が、キーワード!」
と助言を頂きましたが、”無価値な愛されない自分”への執着が手放せず、心と体がついていかない状態。やはり過去が足を引っ張り近づく事に抵抗していました。
素直に伝えてみよう!
それでも何か母に伝えようと、その日のうちに母に電話してみましたが「この前はゴメン。」の一言、言ったら涙で話せず、やっと話始めようとしたら、長い沈黙に母も困惑していたらしく電話を切られてしまいました。
今までなら電話を切った母に腹を立てたり、何故もっと話せなかったのか?と自分を責めたりしたのですが、そんなことは一切なく、自分の変化を感じる事ができました。
そして、その週末に加藤講師のミロス集中講座を受講し、システムから観た表現についての講義も受けました。
そこから、素直に表現する自分に対する自己評価が「恥さらし」「自分は恥ずかしい子」という事をさらに思い出したのでした。
それは「子を置き去りにして出て行った一族の恥」という両親を見た目にも一致したのでした。
自分をさらけ出すことが怖かった。本音を伝える事で目の前の相手に受け入れられなかったらどうしよう!それこそが「恥ずかしい自分」自分が自分をジャッジしていただけだったことがわかりました。
そして、さらにとき同じく、今住んでいる住宅の契約継続が困難な状況に陥り、茫然としているところに、用件があって加藤講師からメールが届いたので、今の事情をお伝えすると「お母さんと一緒に住んだら?」というアドバイスを頂き、私もその瞬間に「伝えるなら今!」と感じ、直ぐに母の家に向かいました。
父母はもちろん、妹弟にも近づけなかった私。それが連絡もせず母の家に行くと、妹親子の気配に気付き、一瞬出直そうと思いましたが、その自分にもジャッジせず、次の瞬間に「一緒に聞いてもらおう。」と思えた私がいました。
妹も私の姿を見ると直ぐに帰ろうとしましたが「5分でいいから一緒に話を聴いてほしい。」と素直に声をかけていました。
気を取り直した妹親子は戻ってきてくれて、私の話を黙って最後まで聞いてくれました。
今の自分の思いをすべて伝えられた
ずっと母が好きだった事!
でも自分は妹が病気をしていて祖父母に預けられた事で要らない子、愛されていない子だと思ってしまった事。
そう思う事で自由に振る舞えた事、でも裏腹に淋しかった事。
祖父母の刷り込みから、父が母と離婚をすると言った時に安心を覚え、また手のひらを返し、離婚しないと決めた事に腹を立てた事。
でも、今はそれがベストな選択だったと受け入れている事。
しかし、それを認める事でこれまで自分を支えていたものを失い、自分の過去を否定する事が怖かった事。
妹弟に対しても妬きもちから辛辣な態度で接したことも、子供の自分にはそれしか成す術がなかった事。
でも、どんな形でも良いので母に関わって欲しかった事。
断られるのも怖いけど、今の気持ちは母と一緒に暮らしたいと思っている事。
思いの全てを言葉にする事が出来ました。
母からの返事は「一緒に住む事には、いずれはそうしたいが、今は自分一人で決める事でもないと思っているし、親族全員で話し合いたい。お互いが同じ思いで近づくのを怖がっていたのだから、どう接して良いのか分からなかったのもある。でも、こんな時だからこそ自分を大切にしないといけない。」と、私の話を受け入れてくれたのでした。
やっと親子として本来の姿に戻ったという手応えと、妹がその場に一緒にいてくれたお陰で、今まで私と喧嘩をして腹を立てているという様子は全く感じられず、私と母の間を邪魔しないように気を遣ってくれていた思いやりだと理解でき、自分を疎外し孤独においやっていたのも自分だったと感じ、受け取れました。
家族として再生できた!!という感謝で満たされました。これが自分の本当にやりたかった事だった!
すると、翌日には今の住宅についての問題が消えてしまいました。
間違った思い込みのせいで…
最後になりますが、加藤講師のカウンセリング時に、「父が我が子よりも、自分を生んだ親よりも、パートナーの母を選んだのは、内なる結婚だとしたら、どう??」と伝えて頂き、初めて父の事を受け取りました。
今までプログラムとして受け取れず、最大限の拒絶を味わってきたこと。
「パートナー(母)は他人だから、別れても当然。親子より絆の深いものはないから、子どもを選ぶのが当然!」という思い込みから父に対して「選ばれなかった!愛してくれない!」という、自分にかけた呪縛だったことを見抜き、解き放つことが出来ました。
また、私のテーマとしてお金との関係性も「私は要らない子」=「お金も受け取る価値が無い」と思ってきたことも理解しました。
なくす、取られるばかりにフォーカスした欠乏感でしたが、あのときも、このときも、本当はいつもお金に助けられてきました。そこに全く感謝がなかったのを知りました。
皆さんと共に、より楽しんで邁進していきたいと思います