Yさん 40代 女性【高知県】
新しい縁が次々と生まれる
既婚者との恋愛で苦しみ、自分を知るしかないとそう思い知り、
自分だけにただただ向かった1年。
さまざまなカリキュラムを受けてきました。
そして、目の前のご縁もどんどん変わっていきました。
ドミノ倒しと聞いたことがありましたが、本当にそうで、
ご縁の方と出会ってその人を完全に自分と一致させると
縁が変わり、また違う人と出会う、ということが続きました。
そうして出会って好きになった独身男性がいました。
私の思い込みをぶっ壊してくれるような人で
それが私のコンプレックスの解放にもつながり、
私にとって、大事な人になりました。
大事な彼が躁うつ病??
その人との空間は幸せで、
彼の話す言葉を聞くことがただただ幸せでした。
彼もまた聞いてくれるのが嬉しいのか、何時間でも話していました。
一緒に海に行き、マリンスポーツをするときは何時間でも海に浸かっていました。
幸せでした。
それがある時、急に彼が体調を崩したのです。
最初はすぐに治るのだろうと、次に会う約束を楽しみにしていました。
けれども、どんどん体調は悪くなり、ついには、仕事を休むようになりました。
少しのことで、疲れた、と言い、
食事もままならず、寝たきりになったようです。
看病に行くと言っても、恥ずかしいから良いと言い、近づくことも出来なくなりました。
家の前にいつも車がとめてあるので、仕事を休んで家にいるのは間違いないと思いました。
ちょっと調子が戻るときもあり、一緒にご飯に行くと、ものすごくハイテンション。
私が疲れるほどのハイテンションで、何時間でも話し続けます。
その後、また寝込む。
寝込むのに、「一睡もできなかった」と言う。
いつもストレスや家族への怒りばかりを口にするようになって、
大好きな海すら行かなくなり、
ある時、会った時は、もう死にそうな表情で、
私は、初めて、この人は普通の状態ではないことに気づきました。
躁うつ病。
その言葉がぴったりと来ました。
なぜ普通のことができない?
検索すると当てはまることがありました。
本人もまたその自覚があるようで、ある時、自分は精神を病んでいると打ち明けてきました。
確かに私も、たくさんのことを自分として見てきましたが、
まさかの想いもしない自分。
私の片側は、鬱病だったのか!
本当に思いもしない無意識でした。
驚くとともに本心は彼を責めたくなりました。
一緒に海に行きたいのに!
あの何時間でもサーフィンをする体力はどこにいったの!?
男なのに情けない!
なんでそれくらいのことが出来ないの!?
なんでそれくらいで疲れるの!
なんでそんなことばかり考えてるの!
なんで普通のことが普通に出来ないのよ!
責めたいことだらけでした。
ミロス体感講座を受けてみると…
そんな時、名古屋校にある講座をうけに行った時に、加藤 万紀子講師と席が隣になり、携帯の充電が無い私に、充電ケーブルを貸してくださったのがご縁で、講師のカリキュラムも一度受講してみたいと思いました。
私は普段は四国なので、加藤講師と接点が無かったのですが、
後で知るとまさに鬱がテーマだったということで、本当に、自分の情報しか目の前に来ないのだとわかりました。
そうして受けさせていただいた加藤講師のミロス体感講座(リモート開催)でした。
自分のテーマ:自己否定
その講義の中で、ある記憶が思い出されました。
私は小さい頃、喘息持ちで、学校のマラソン大会ではいつもビリ。
ある時、喘息でも走りきった自分に、褒めて!といわんばかりに見ていた母に近寄ったら、母は「恥ずかしい!」という態度を取ったのでした。
ビリはビリでも超ビリの私に、母は苛ついていたんだと思います。
その時に、私は、自分は恥ずかしい存在なんだ、
普通のことが普通に出来ない。身体が弱い。病気。
自分の事をそう思ったのです。
その間違った自己イメージを創った当時の瞬間の情景がありありと思い出され、
けれども、
「普通のことが普通に出来ない」その自己否定そのものが
私がテーマとしてもって生まれ、母にただ見ただけなんだとわかりました。
私と彼は同じ!
そしてその時の母と同じ目で、私は好きな彼を見ていたことにも気づきました。
なんでそれくらいのことが出来ないの!?
なんでそれくらいで疲れるの!
なんでそんなことばかり考えてるの!
なんで普通のことが普通に出来ないのよ!
その思いは、私が出来ない私に対して思っている気持ちそのものだったのです。
はぁぁぁぁぁと受け取っていると、
「鬱に救われた」と加藤講師がおっしゃった時にハッとしました。
彼のあの様子は、いつ死んでもおかしくないな、そう思っていました。
家で自殺していないか、いつも心配でした。
彼の携帯を見せてもらったとき、そこにある写真は何枚も何枚も無機質で、人が映っていない写真が続き、この人は、病んでいる、生きているけど死んでいる、そう思ったくらいでした。
でも、鬱のおかげで彼は生きて来れたんだ。
そう感じられて、感謝がわいてきたんです。
鬱は彼が死なないように守ってくれたんだと、涙が溢れました。
鬱は悪者なんかじゃなかった。
必死でいるから鬱になる。
必死だから、死ぬところだったのを鬱が救ってくれたんだ
そういう加藤講師の体験から、
彼は彼なりに必死に生きていたこと
そして
私がそのくらいに必死にやってきた人生だったのだと
私と彼が一致した瞬間でした。
彼の存在は自分を写す鏡のよう!
弱音を吐けなかった。
出来ないと言えなかった。
努力しない自分は許せなかった。
出来ない自分は存在してはいけないと思っていた。
その切り捨てた全てを、彼は見せてくれていたのです。
それでも今、生きている私も彼もチャレンジャーで、
ものすごく生きる力があるし、ものすごくしたいことがある。
決めてきた使命がある。
そう感じました。
加藤講師の鬱を越えた強さと体験の叡智のシェアを戴き、
とても感謝しています。
私の体験が、誰か同じような方の励みになればと思います。