あとを絶たない児童虐待問題。4月から親権者などによる体罰を禁止する児童福祉法も施行されましたが、解決までの道のりは遠そうです。しかし、加害者・被害者問わず自身の人生をミロスで解体することで、虐待の解決や防止に成果が出ています。ご紹介する体験は娘への虐待防止に繋がった母親の体験です。
寺本 昌子さん 40代 女性 【島根県】
娘に対する抑えようのない衝動が“虐待”へと発展し始めたタイミングで、ミロス実践コースを受講し、私は人生の意味を知り、負のループから抜け出すことができました。
先ずは祖父との関係に遡ります。
私の祖父は親戚に養子に出され、本当の両親の愛を知りません。
遠洋漁業で海外に行き、1ヶ月に1回帰ると家に戻らず、酒に煙草に女に博打にと、稼いだお金をほとんどすって、祖母は土方の仕事をしながら4人の子を育て、30代の頃に鬱になり自殺しました。
祖父は祖母を放ったらかしにしてしまったことを、どれだけ後悔したことでしょう。
そんな祖父が体調を壊したことをきっかけに、私が生後3ヵ月の時、祖父のいる実家に家族4人で引っ越しました。
両親が共働きだった為、保育園に預けられ、保育園から帰ってくると祖父が私を抱っこして連れて歩き、物心つく頃には、おじいちゃん子になっていました。
自己否定のはじまり 私は両親に愛されていない
両親には土日も遊んでもらった記憶がなく、いつも放ったらかしにされていました。
2つ上の兄は人見知りが強く、祖父には懐かなかったため、両親は兄に手をかけ、私は兄だけが可愛いんだと思い込み、「父と母に私は愛されていないのだ」と、自分を否定して成長しました。
父から、いつも「お前はグズで、どんくさいな~」「お前は本当に勝手だな~」「お前はダメだな~」と言われていたので、私はどんくさくて身勝手でダメだから愛されないんだ…と思い込んでいました。
祖父だけが私を愛してくれ、いつも味方してくれ、わがまま放題させてくれましたが、祖父とばかり一緒にいたため、私は小学校時代に同世代の友達と仲良くなれず、イジメられ、仲間はずれにされ、とても孤独で惨めでした。
ある時、家庭科の授業中に男子生徒に「ブス」と言われ、怒りでハサミを投げて、腕に刺さる事件を起こしてしまいました。
母と校長室に呼ばれ、相手の子に謝りに行く時、堪えきれず泣き出した母から「なんでこんな事をしたの!」と叱られた時、私は「なんて取り返しのつかない事をしてしまったんだろう!」と衝撃を受けました。
私は怒ると何をするかわからない、二度と怒ってはダメだ!
と、自分の感情にフタをしました。
その事がきっかけで、事あるごとに学校に行きたくなくなり、そんな時も祖父が一緒に学校まで行ってくれ、そして帰りは迎えに来てくれていました。
中学に上がるまで、友達より祖父といる方が楽しく、畑や近所のおじいさん・おばあさんのところにお茶を呑みに行ったり、お祖父ちゃんベッタリで育ちました。
大好きな祖父の死に直面して
そんな私も成長し、中学で部活に入り、やっと友達もでき、祖父から自立できた夏ごろ、突然、祖父が大腸ガンになり入院することに。
「もう治らんけ、おじいちゃん(病院から家に)帰ってこんで。」
そんな言葉を父から聞き、大好きな祖父との別れに心の底から恐怖し泣きました。
慌てて会いに行くと、祖父は食欲不振で痩せてしまい、腰痛から歩けず、弱り切っていて、私を可愛がってくれたあのお祖父ちゃんではなくなっていました。
お祖父ちゃん子だった私にとって、それはものすごい衝撃でした。
大好きな祖父が、死に向かい、痩せ細り弱っていく姿をどうしても見ることができず、お見舞いを私は頑なに拒み続けました。
「おじいちゃん、お前のこと待っとるで」
「おじいちゃん、たばこ吸いに看護婦さんに散歩に連れてってもらって、嬉しそうにしとったで」
時折父から聞く祖父の病院での様子に心を動かされながらも、とうとう1月の最期の時まで祖父に会いに行くことは出来ませんでした。
あの日の祖父との別れが、のちの人生にこれほど影響を及ぼしたとは思ってもみませんでした。
看護師という職業を選んだ無意識の理由
実践コースで分かったことですが、祖父に優しくしてくれた看護師さんの話が私の中にずっと残り、私は看護師という職業を選択し、まるで罪悪感の穴埋めをするかのように、年老いた方々のお世話をしていました。
しかし、看護師として頑張っても頑張っても、私の中の空虚感が埋まることはありませんでした。
いつもどんくさくて、トロい私は仲間に迷惑をかけてしまい、孤独になり、3年と続かず職場を転々としていました。
そして、祖母と同じように30代で鬱になり、引きこもっている時にミロスを知りました。
その後、私はカリキュラムを受け続け、鬱や引きこもりが終わり、結婚して、二人の子供の母親になりました。現在、3歳の娘と1歳の息子の子育て真っ最中です。
40歳過ぎてからの初めての出産・共働き子育てで、戸惑うことばかりでした。
抑え込んだ感情が娘に爆発
娘が1歳を過ぎ、一人で歩くようになり、そして育休が終わり、働き始めた頃から、子育てが思うようにいかなくなりました。
娘はどんどん言うことを聞かなくなり、自分勝手な姿にイライラしはじめ、
『もういい加減にしてよ!!』
と、ヒステリックに叫び、泣かせたり、強く手を引っ張ったりして、無理矢理言うことをきかそうとするようになりました。
そんな自分を「母親失格」だと責め、良い母親になろう!もうしないようにしよう!としては、繰り返してしまう日々に、心底落胆していました。
下の子が出来た時は、娘のことも気にかけてあげようとしましたが、なかなか出来ず、午前中に家事をしながら相手をしていても、言うことを聞かないとイライラがMAXに達し、私の中の抑えられない感情に、いつしか怯えるようになりました。
一日中、乳飲み子と娘と私で家にいることに耐えきれず、いつかまたあの小学生の時のハサミ事件のように感情的になり、手を挙げてしまうかもしれない!と恐怖しました。
そして、育休中であるにもかかわらず、身勝手に実家の両親に二人を預けては、家で一人になって買い物や家事をして、二人を放ったらかしていました。
娘が3歳の七五三のとき、ヘアセット・写真撮影を済ませ、これからお宮参りというところで、車の中で娘が着物が嫌だと脱ぎ始め、駐車場で着せようとすると嫌がり、抵抗する身勝手な娘の姿に怒りを抑えることができず、我を忘れて突き飛ばしました。
私は何をしたんだろう?
これは、テレビの中でのことじゃない、いつか、私が娘に手をかけてしまうかもしれない!と、自分が自分で恐ろしくなりましたが、ママ友やミロスの仲間たち、先生にも相談はできませんでした…。
でも、このタイミングで【ミロス実践コース】を受講し、私は娘への抑えられない衝動がどこからくるのか知ることになったのです。
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