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教育熱心過ぎる親が、子どもに過度な勉学や習い事などの教養を無理強いさせる、結果が出ないと厳しく叱責してしまうことを「教育虐待」と言い、彼女もそんな一人でした。自分の人生に満足出来なかったり、親の愛を分からず、子どもに夢を託してしまうなど…。新感覚を知りたいあなたへお届けしたい体験談です。

大江 済子 さん 40代 女性【福岡県】

母の愛を知らず…

私の両親は私が産まれて1年ほどで離婚しました。

私が物心つく頃には家には、祖父、祖母、わたしの3人の生活で、母は昼も夜も働き、住まいも別々だった為、一緒にお風呂に入ったり、添い寝をしてもらって絵本や子守唄を歌ってもらったことも手を繋いで散歩したり一般的な母と子の日常は一切ありませんでした。それでも毎日学校から帰れば、いつも家には、おじいちゃんやおばあちゃんがいてくれて、極端に寂しさを感じることはありませんでした。

そんな生活も私が小学校5年生の時に、最愛のおじいちゃんが病気で亡くなりました。その亡骸にすがって泣いている母を見た時、とても大きなものを失ったことにポッカリと穴が空いた気持ちと甘える場所を失った不安でいっぱいでした。 

次はおばあちゃんも死んでしまったら、私はどうやって生きていけばいいんだろうという、“大きな恐怖”から、毎日毎日、寝入ったおばあちゃんの鼻に手を当てて、息をしているのを確認しては、ホッとして眠りにつく生活でした。 

私の学業や教育に対して無関心な母は、小学校の入学式以降は、学校の行事にも参加せず、おじいちゃんの死をきっかけに、益々、私やおばあちゃんの住む家には近づかなくなりました。学校の参観日や運動会も、友達の家には守ってくれて愛してくれるお父さんとお母さんがいるのに…私にはおばあちゃんだけでした。

親の影の薄い幼少期を過ごし、いつも自分に自信がなくて守ってくれる者のいない、孤独でいつも心の中が不安定でした。

頑張るほどに高い評価を得る!

15歳の時、高校の受験に失敗し自分の希望しない学科に入ったことで、将来に対する強い恐怖を感じました。

そこからは、今までにないほど勉強や学校活動に力を入れ、一気に学科でもトップの成績、奨学金の学校推薦、希望の短大への学校推薦と頑張れば頑張るほど学校の先生や友達から高い評価を得ることが出来ました。

社会人になり就職したあとも、評価を得るためにがむしゃらにがんばりました。

強い性格だったこともあり、ぶつかることも多くありましたが、どの会社にいる時も一定以上の評価と役職を手にしていました。

その頃、母とは完全に疎遠になっていました。

子どもの将来の不安が…

そんな私でしたが、結婚と出産でその評価を一気に失いました。
私の中の欠乏していた“承認欲求”がそのまま息子へとむかいました。

日に日に大きくなる子供との幸せな時は一瞬でした。
子供の将来に対する不安が出てきて、
「この子にだけは幸せになって欲しい!」という想いがいつしか欠乏そのものになって、

いい仕事について豊かで幸せに暮らして欲しいと言う思いばかりが募りました。

良い会社に就職するためには良い大学。
良い大学に入るためには良い高校。
良い高校に入るためには良い中学校。
良い中学校に入るためには
良い小学校。
良い小学校に入るためには良い幼稚園。
より頭の良い子を育てるためには早期教育…。

月曜日から土曜日まで習い事で予定がいっぱいになりました。

 習い事や学校からの評価を上げるためには、家でも夜遅くまで演習させたり、クオリティを上げるために厳しく教えて詰め込んでいました。
 幼い子どもにとっては、とても厳しくツライ事だったと思います。
でも、「やれば出来る!!」という私の中の“完璧主義”や出来ないことを嫌う“劣等感”が揺さぶられ、

そのうち子どもは
「忘れた、できない、やりたくない」という態度に酷く腹が立ち、怒りが爆発して、
手を上げて激しく叩いたり、蹴ったり、モノサシやまごの手まで使って、躾という名の“虐待”をしていくようになりました。
 自分では止められない強い怒りと衝動に、「誰か止めて欲しい!!」とどこかで助けを求めていましたが、

出来ないという劣等感や、一番見たくない惨めな私が存在し、
「見たくない!感じたくない!」という“惨めさ”が疼いて、
止めたくても止まらないものになっていきました。

 今、思い出しても私と息子にとってきつくて苦しい日々でした。

ようやく出会えたミロスで…答えを見つけた!

そんなギリギリの時にミロスに出会い、
ミロスシステムとして、私の人生の全体像を見た時に、その全てに答えがあり
唯一この世界で理解という救いが、私をこの腐った世界から引き上げてくれました。

 母の無関心から愛に欠乏し、それを埋めるために必死で頑張ってきた人生でした。
それを更に息子に対して
“あれも足りない、これも足りない”

だからこうすればたくさんの人から愛される人になれると、“虐待”という歪んだ愛で向かっていたこと、
全て私が幼い時に母にそうであって欲しかったと願っていた姿、
そのものを私が演じていました。

でもシステムに当てはめた時、もう片側には、
この“底のない欠乏”と同じだけの大きくて満々と“満たされた愛”がありました。
 母は私を育めなかった罪悪感から無関心を装っていました。
また、その分おじいちゃんやおばあちゃんから絶大な愛を与えてもらっていました。
全てはパーフェクトに私の中に存在していました。

子どもは愛を教えてくれる宝物

今、息子は高校一年生になります。
この愛に欠乏したストーリーの私を母として選んでくれて、
辛く、苦しい体験を共にいてくれて、完全なる愛を私に教えてくれました。

私が子供に教育していると思っていたものが、まるっと反転して、
息子から愛をおそわり受け取ったことで、祖母も母も私も全ての内なる母性が完全に癒されました。

私たち親子の中に“反抗期や無関心”と言った一般的にいわれる関係性はありません。
いついかなる時もお互いの思いをぶつけ合い、お互いの素直な気持ちとして、

ミロスシステムを通して理解し合うことが出来る、私の母もこうしたかったんだと母の想いも感じながら過ごしています。
いま、現在も潜在的に子供やパートナーへの虐待に苦しんでいる人々は多くいます。

でも、このミロスシステムをもってして、“虐待”はかならず終わらせることができます!!

私の中の“愛の欠乏”が終わった時、それが私の見る宇宙全てに絶対平和が存在します。

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