予期せぬ悪い出来事が起こると、不安や恐怖で頭がパニックになってしまいます。でも、目の前の事象は自分を教えてくれるものだと解る視点を持つことで見ている世界は変わります。
高齢の母が救急搬送されるという事態を通して、彼女が知ったものは?
小林 正美さん 50代 女性【東京都】
もう頑張らなくて良いよ!!
今年(2019年)の8月、最愛の母が仕事中に倒れたと連絡が入りました。
救急車で運ばれている。急いで向かって欲しいと!
78歳の母は好きで介護の仕事に従事していました。しかも仕事は自宅から自転車で40分程かかる所。気丈にも毎日、自転車通勤していました。
「仕事だけじゃなくて、自分で楽しいと感じる事しようよ」
「もう頑張ってやらなくていいよ」
毎日私が母にかける言葉でした。
どんな時も決して弱音を吐かない、強い母。
優しく、私たち兄弟を守り続けてくれました。
その母が仕事中に救急車で?
後ろから頭を殴られたようにショックで、心配と不安しかありません。
交通事故なのか?熱中症なのか?
とにかく病院へ急ぎました。
何時間経っても「今はまだ検査中なので…」と言われ、母の姿を確認することも出来ず、常にぐるぐると思考が回っていました。
最愛の母の死も覚悟しました。
母の顔を確認できたのは病院に到着してから約5時間後。
担当医師から告げられた病名は「くも膜下出血」
何も考えられませんでした。死と隣り合わせの病気です。
「出血を一度したら、生存率が30%ずつ下がると言われています。再破裂をしたら、さらに危険です」
と言われました。
母の顔を見たい…。
ICUに入った母は目隠しをされ、部屋は暗室。刺激という刺激を全て取られた状況に、絶望感しかありませんでした。
そんな状況が5日程続きました。
目の前は自分??
ある日、母の付き添いをし、真っ暗な部屋で母を観ていた時、この状況をどうやって受け入れるの?
目の前をどうやって自分だと思えるの?
どうしたらいいの?!助けて!
私は心の中で叫びました。
今、目の前にいるのは何もできないただの肉体として存在するだけの母。
人工呼吸器やさまざまなチューブがたくさんつけられて、手足を動かさないように縛られ、何も出来ない。
存在するだけで、人の手を借りなければ生きることすらできない。
ただの肉体でしかない。
そんなことを感じていたら…
「えっ、それが私?」
そして、目の前は、その私がつくり出した世界?
愕然としました。
自分が自分に無価値感を抱き、無きものとしてきました。
そして、なんとか価値を上げたくて、価値ある人になりたくて、頑張って生きてきました。
母の緊急入院も、頑張らなきゃいけない状況をつくり出したのは私なのか…。
そう思うとショックでした。認めたくありませんでした。
しかし、これはシステム。受け入れざるを得ません。
『ただ存在していること。それだけでは全く価値が無い』
これが私の間違った自分自身への思い込みでした。
ただ存在するだけでいい!!
しかし、その思い込みがあったからこそ努力をする事が出来たのです。
「努力すればやってできない事は無い。どんな困難があっても必ず超えてみせる」
これが私が生きる上での信条でした。
でも母に湧き出る想いは、
ただ存在するだけでいい。
何もできなくていい。
そのままでいい…。
もう頑張らなくていいよ。
ありのままの姿で…。
横たわる母の姿と自分が一致し、私はそれをそのまま受け入れました。
母はICUで暗室管理をされていましたが、翌日にはHCU、そして、1週間後一般病棟に移りました。
話すことも意識もはっきりとしている母。つい先日、4回目の血管の検査がありましたが、結果は、血管が切れたところが全く見当たらない。むしろ健康な人より綺麗な血管をしている。もしかしたら、血管が破裂したり裂けたりしていないのかも…。と医師は話しています。
くも膜下出血とは、脳血管にできた「瘤」と言われるところが破裂し血液が脳全体に広がるか、もしくは、頭部をぶつけて血管が破裂するか、どちらかだそうです。
しかし、母の場合は、その「瘤」が見つからない。どこも切れたり、裂けたりしている箇所がない!まさに奇跡でした。
今回の体験で、目の前の世界は全て自分の内面が映し出された世界であり、自らが愛を知るために、自分がつくり出した世界であること。
母が緊急入院したことでシステムを知っている事がどれだけ凄い事なのかを知りました。
感謝しかありません。