子どもは親の笑顔が見たくて、健気に寄り添ったり、お手伝いしたり、期待に応えようと頑張ります。子どもにとって親の笑顔は、ある意味バロメーターとも言えるのではないでしょうか。ところが、ひょんな事から子どもの心が折れてしまったとしたら、その子はいったいどんな大人へと成長していくのでしょうか?
石井 利枝さん 40代 女性【東京都】
惨めな自分が大嫌い!
私は普段、人と話をする時、小さめな声で話します。ところが、笑い声は違っていたのです。話す時よりもはるかに大きな声で笑っていることを知り、なぜ笑う時だけ?しかも大声?と自分でも不思議に思っていました。
しかし今回、柳沢かおり講師のLifeコースやミロス カウンセリングを受講していくなかで、その謎が解けたのです。
私は病気を持って生まれてきたため、幼い頃から運動は禁止されてきました。まして、身体も細くて小さかった私は、体力で兄弟と争ったりすることもありませんでした。
私と違って、運動神経抜群だった兄弟たちは、運動会で競技に出ると、1位をとって、両親から褒められているのに、私は競技に出ることも出来ないで、いつも寂しい思いをしていました。
私は、運動会には必ず見に来てくれる両親に対して、「競技に参加できない私なんて、兄弟たちのように両親を喜ばせることも、楽しませることも出来ない。お父さんもお母さんも、見に来ても楽しくないだろうな」と、ずっと申し訳ない気持ちを持っていました。
そんな時いつも感じていたのは、兄弟たちとは同じ土俵にも上がれない『惨めな私』の姿でした。私は、そんな惨めな自分が大嫌いでした。
そして、いつしか『こんな自分は、両親から愛されない』と勝手に思い込んでいったのです。
今思うと、この私の報われない思いが、自分に対する無価値感を生み出していたのです。
だから、私の目の前には
“認められない”
“愛されない”
“特別扱いされない”
という惨めな世界ばかりが拡がっていたのです。
存在をアピールするために!
そして、そんな惨めな世界から自分を守るために身についた術。それは、惨めになりそうだと感じた瞬間に、とにかく惨めにならないように、よくわからない言い訳をしたり、周りから疎外感を感じることも惨めで嫌だから、常に「私もいるよ!」というように、自身の存在をアピールするために、笑い声を自然と大きくしたりすることだったのです。
さらには、ただ仲間に入りたくて、笑うタイミングでなくても、自分の感情は無視して、周囲に合わせて笑っていました。
私にとって笑うことは、面白いから笑うのではなく、みんなと仲間でいるための手段でした。
ただそうやって笑っていることがいいことだと思い込んでいたので、時には笑うタイミングを間違え、その場の空気が読めない失礼な人になってしまうこともありました。結果、惨めさを嫌ってとった行動が、惨めさを連れてくることもありましたが、こうしてカリキュラムを通して理解を深めていくことで、これまで全く自覚なく、言い訳ばかりして、不自然なくらい大声で笑っていた、私の奇妙な行動の謎も紐解け、ようやく力が抜けました。
そして、そもそも自分が思っていた『惨めな私』という間違った思い込みがクリアになったことで、言い訳をする必要も、大声で笑う必要もなくなり、もう惨めにならないようにと自分を守る必要もなくなりました。
今さらではありますが、運動会でのことも、両親は別に競技に出ていようが出ていまいが関係なく、子どもの姿が見られればそれだけでよかったようです。
私が勝手に決めつけて思い込んでいただけだとわかりました。
カリキュラムを通して、自分では気づくことのできない間違った思い込みが何かを知ることで、その思い込みを解除することができる!
ミロスは本当に凄いです。