MIROSS ACADEMY

  1. MIROSS Academyトップ
  2. 体験レポート

  3. 甘えられない人生は、私を守る盾だった!

一覧へ戻る

Yさんは、幼い頃から「甘えられない人生」を歩んできました。病気がちな父と、仕事と家事で忙しい母のもとで、自分の気持ちを押さえ込み、我慢ばかりして成長しました。
結婚後も、仕事・家事・育児に追われ、思うように家族と向き合えない日々。しかし、長年の葛藤と我慢の先に出会った「ミロス」のシステムによって、自分の感情や過去の思い込みを理解し、手放すことができたのです。

その結果、Yさんは初めて夫や家族の存在を素直に受け入れ、夫婦で過ごす日々を楽しめるようになりました。
甘えられなかった過去と向き合い、それを手放したことで得られた喜びと安心。
この体験は、共感と希望を届けられると思います。

Yさん 60代 女性 【神奈川県】

イベントで、体験発表者として参加しました。

私のテーマは《家族の為に生きてきた人生から夫婦で楽しめる人生へ》でした。

イベントを開催する度、みんなで創り上げることの素晴らしさ、一体感、仲間の空間が充実していく凄さ、
そして、一人ひとりがそこにいる頼もしさを益々感じる空間になっていて感動しました。

自分の体験のことを話そうとすることで、いろいろなことが思い出され、ようやく自分の体験を俯瞰して捉えることが出来たのでこの勢いのまま、文章としても残していこうと思って表現させて頂きます。

幼少期の家族との関係

小さい頃の親との関係が私の生き方に大きく影響しているという事で、親のことから書いてみます。
私の実家は商家で、父には姉と 4 人の弟がいました。

父は学生時代に父親を亡くし、18 歳で戦争を体験しました。戦後は父親代わりとして兄弟を支え、
母を助けながら皆を結婚させるなど、戦争の後遺症もありながら、ほんとうに苦労していました。

母は農家の末娘として生まれ、中学生のころに母親を亡くし、兄家族のもとで育ちました。

兄の子供達の世話をしながら、学校に通わせてもらったことを感謝していたとよく話していました。

父も母も「甘える」という経験が出来なかった人達でした。

私も病気がちな父と、仕事と家事で忙しい母に、甘えられず、我慢ばかりしていた子供時代でした。

その《甘えたいのに甘えてはいけない》そんな思い込みのまま、大きくなり、結婚したのですが、
私のテーマそのものをその後も体験していったのでした。

結婚後の生活と葛藤

主人とは、長く付き合って結婚しました。しばらくはアパートで暮らしていましたが、妊娠がわかった時に同居することになりました。
主人の両親と学生の妹 2 人を含め、6 人での生活が始まりました。

家業はお米屋で、自宅に本店があり、支店では惣菜店も営んでいました。

私自身大家族で育っていましたし、借金もあって経済的に大変でしたので、同居するしかないと思っていました。

自宅でも支店でも忙しく、本当に毎日が一生懸命でした。

子供が生まれたら私はどうしたらいい?と夫に聞くと、「家で子供を見ながらお店番でもしていればいいよ」 と言われたのです。

娘が生まれて、子育てに戸惑っていたとき、子育てベテランの姑が見かねて、上手にミルクを飲ませたりあやしたりしてくれました。

とても可愛がってくれたのですが、私は自信をなくしてしまって…。

そのうち、「子供は見ているから仕事に行って!」と言われるようになり、泣く泣く仕事に出ていました。

仕事から疲れて帰ってきて、いざご飯の支度をしようと思っても、流しには洗い物が山のようにあり、義妹たちはテレビを観て楽しそうにしているのです。

それを見ると、イライラして、お茶碗をガチャガチャ洗ったりしていました。ご飯を作っても、食べる気がせず、寝てしまうこともありました。

ささやかな抵抗をしていたと思います。

仕事と家事と育児で、もうへとへとでした。

当時は、自分に出来ることを一生懸命やるしかないと思って頑張っていたところそんな、「子供を置いて仕事に行け」と言われたときが一番ショックでした。

心にぽっかり穴があいたみたいで、完全に心を閉ざしてしまったのを今でも覚えています。

夫婦関係の孤独と葛藤

主人は自分の家なので、独身時代と変わらず、仕事が終わるとよく出かけていました。

二人で話がしたいと思っても、中々話ができませんでした。

プライバシーもなかったですし、「今日は話せる」と思っていても、また出かけてしまうことも多く、朝帰りもありました。

話をしても愚痴になってしまって、主人が味方になろうとしてくれたこともありましたが、

姑に「あんなことを言う子ではなかった」と言われてしまい、それ以来言葉が出なくなりました。

もう「夫はいないもの」と思うようになって、諦めていました。

ミロスとの出会いと気づき

そんな生活を続けていた頃、弟の薦めでミロスに出会いました。

私の生き方が母とまったく同じだと気づいたのです。感情を抑え、我慢して頑張るしかない、
「甘えられない生き方」でした。

祖母も早くに夫を亡くしており、「頑張るしかない女性の生き方」が代々続いていること
を理解しました。

また、娘との関係性も、姑に娘を取られたようで、娘との距離を感じていて、なかなか縮まらなかったのですが、それも母との関係性と同じになっていたことがわかりまし
た。母もまた寂しい思いをしていたことに気づきました。

そのことを気づくと、娘は「実家に帰らずに子供を産む」と言っていましたが、帰ってきて出産してくれたんです。

娘との関係も変わりました。

人生の転機と鬱の体験

借金が終わったころ、お米屋さんの仕事も専売特許が無くなったことで、限界に感じていたころ、

本店の土地の一部を道路拡張で国に買い上げられる、ということが起きたのです。

お米屋さんの仕事を辞めることができました。

当時はミラクルだと喜びました。

支店も閉め、住まいの部分は残っていたので、そこに二世帯住宅を建てて主人の両親と暮らし始めました。

借金もなくなり、「やっと楽になれる」とほっとしたころ、仕事に居場所を作っていた私は鬱病になってしまったのです。

全く何もできず、ご飯も作れない、食べられない、車も運転できない、何を買えばいいのかわからない状態でした。
本当に辛い体験でした。

でも、そんな私を主人がずっと支えてくれました。

お米屋さんを辞めてからのアルバイトをしていたのですがそれを辞めて、
1、2か月間、ずっと寄り添ってくれて、肩を抱いて過ごしてくれました。

みるみる頼れる人になっていって、びっくりでした。

その時、私は「病気になって初めて甘えることが出来た」と気づいたのです。

自分を理解し、新しい人生へ

主人がそろそろ仕事をするという事で、探していたところ、ゴルフショップから声を掛けられ、好きなゴルフの仕事をするようになり、生き生きと楽しんで仕事をしているんです。

今でも〜あぁよかったな〜と思いましたが、実はその時、私は何もできない人になったように思えて、落ち込みました。

でも、ミロスを知っていたおかげで、これが相対の“うまくいかない仕組み”なんだと理解出来ました。

子供の頃から私は「役に立つことで褒められる」ことを良しとしてきたので、
病気の父を「役に立たない人」と思い込んでいたから、夫と自分も比べて、「自分をダメ」としてしまったということでした。

甘えたい気持ちを抑圧して、頑張るしかない人生だったと気づくと、いろんな出来事もすべて自分のプログラムを超えるために起きていたんだと理解できました。

両親も、嫁いだ家族も誰も悪くなかったと分かったんです。

今では身体も元に戻り、お料理も楽しく、車の運転もします。

仲間との活動や、夫との会話も楽しく、結婚当初出来なかった、「夫婦で過ごす幸せな時間」を楽しんでいます。

過去を振り返り、感謝に変わる

今回、体験発表をするにあたり、過去の頑張っていた頃の写真を探しましたが見つからず、

再度探して出てきた写真を見てみると、皆よかった思い出に見えてきて、葛藤を抱えていた自分が無くなっていることに気づき、微笑みながら見ている自分がいました。

自分が見て撮った世界、主人の家族が見て撮ってくれた世界、こんなに沢山みんなが笑っていた、

こんなに沢山楽しい思い出があるんだと思うと、主人の家族に対して思っていた辛かった体験も自分のプログラムだったこと、
そして、育んでくれた家族にありがとうという想いに変わってしまっていました。

自分の体験を笑って話せるようになり、ここまで連れてきてくれたみんなに、ありがとうと感謝を伝えたいです。

本当に素晴らしい仲間です。

ここまで来た自分にもありがとうという気持ちが溢れて、今までの人生、これまでの体験が宝物になりました。

※あとがき

普通なら、我慢の限界を超えて夫婦関係が壊れてしまっても不思議ではない人生でした。
しかしYさんは今、むしろ夫との絆を深め、互いの存在を支えにしながら、日々を楽しめる関係へと変化しています。

その転機になったのは、ミロスのシステムとの出会いでした。
そこでYさんは「強がりや我慢は、自分を守るために身につけた仕組みだった」という本質に気づきました。

そして、自分の奥にしまい込んできた気持ちを夫と丁寧に、一つひとつ言葉に乗せて伝えていきました。

「本当はさみしかった」「本当は助けてほしかった」
そんな本音を語れるようになったとき、夫婦のコミュニケーションは、
甘える・頼る・受け止めるという感覚も、ようやく日常の中に戻ってきたのです。

さらにYさんは、「自分は甘えてはいけない」自分を低く見積もっていた自己評価さえも、
「そう思ってしまっても仕方なかった自分」として受け入れました。

素直に認めて自分を愛することで、周りからの評価も上がる!初めて自分自身に寄り添うことができたのです。

「もう頑張りだけで自分を証明しなくていい」「もう病気を理由に止まらなくていい」と思えたのです。

今、Yさんの心は軽やかで自由です。

過去も弱さも責めず、人生のすべてを宝物として微笑むことができるそんな変化が、彼女の人生を大きく前へ進めています。

Yさんと同じように、甘えられない・頑張りすぎる人生を歩んできた方へ伝えたい。

過去の苦労はあなたの価値を決めるものではなく、人生を理解するための大切な体験だということです。

立ち止まることは、終わりではない。

自分の心を見つめることで、新しい人生の扉は必ず開きます。

キーワード検索

ミロスが学べるスクール

オンライン受講が可能になりました!