人生において、親との関係性は避けては通れない重要なテーマです。
家族との確執は、時に深い心の傷となり、人生の行く先を見失わせることもあります。
しかし、その背後に思いもよらない愛が隠されていることに気づいた時、人は再び前を向くエネルギーがみなぎるのだと思います。
今回、母との関係性に苦しみ、心に抱えた複雑な感情をどう整理すればよいのか、迷い続けていた彼女が、思考のテクノロジーによってその答えを見つけました。
この体験が、あなた自身の家族との関係を見つめ直すきっかけとなり、家族と共に過ごす時間がどれほど貴重であるのかを必ず感じていただけることでしょう。
Kさん 50代 女性 【兵庫県】
母のせいにしてばかり…
私は母に対して怒りと憎しみを抱き、長い間、母が自分の人生を苦しめていると思い込んでいました。
子ども時代、母との関係は決して良好ではありませんでした。
小学生の頃に、こんなエピソードがあります。家で兄と壮絶な喧嘩をしたとき、「助けて!」と窓から叫ぶと、母ではなくて、裏のおばさんがすぐに駆けつけてくれました。
おばさんはとても優しく、いつも私の味方になってくれて、いろんなことを教えてくれました。私にとっては、「育ての母」と呼ぶほど慕っていました。
それに対して、母は私が兄と喧嘩をしても知らん顔で、まるで私のことはどうでもいいと思っているように感じていました。
母は冷たく、寄り添ってもらえず、私はいつも母との埋められない距離を感じながら大人になったように思います。
私は 早くお母さんになりたいという夢を19歳で叶えることができましたが、両親のようにいがみ合い、会話のない夫婦になり9年後に離婚。
「母のようにはなりたくない」ということをバネにしていたのに、幼い2人の子どもをおいて家を出ることになりました。
その後、父と元夫とはまったく違うタイプで、行動力のある彼と同棲、結婚して13年ともに暮らしましたが、DV・女性問題・お酒・ 事故・警察・ 裁判など体験。最終的に逃げるように家を出ました。
2度の離婚と子どもをおいて出てきてしまったことに対して自業自得と自分を責めつづけ、不甲斐なさや苛立ちの矛先を、母を憎しむことに無意識にすり変えて怒りをぶつけていました。
「あの時守ってくれなかった」
「お母さんのせいで嫌な思いをして仲間はずれにされ悲しかった 」
「私の人生こんなことになったのは、全部お母さんのせいだ!」
とずっと言えなかった恨みつらみを母に声を荒げてぶちまけてしまいました。
母は怒りに満ちあふれた形相で黙っていたけれど、いつものだんまりに、その沈黙が私の怒りをさらに膨れ上がらせました。
遠く離れたとしても脅え、身を潜め過去を隠して日々を過ごし人生をやり直すことができずにいた自分。
スピリチュアル・宗教・セミナーと いろいろやってみましたが 、気持ちが上がった後には、ズドーンと落ち、真っ暗闇のなかを彷徨っていました。
やっとの「ご縁」で!!
神戸にきて12年目のある日の事、
古本屋さんで「すべてを幸せにする鏡の奇跡」という本に出会いました。
「鏡」と言う文字に強烈に惹かれたのです。
その後ネットで検索しミロス体感講座を受講し、母との関係を見つめ直す機会を得ました。
その受講で《母親が嫌いな人は自分の事を嫌っている》と受けとりました。
その後、SNSで虐待をした人たちや虐待をされた人たちが赤裸々に体験を話して、楽しく活動している姿に衝撃を受け、毎月行われていたzoomイベントに参加している時に、「カリキュラムを受講し続けている人にはかなわない」という言葉を耳にしてハッとしました。
そして自分から逃げずに 1年間継続してみようと決め、柳沢講師のカリキュラムに飛び込みました。
常に自分をジャッジし、間違ってはいけないと正しさに傾き、早く解決したいと焦ってばかりいたので「緊張の連続」でした。
カリキュラムの中で「罪悪感は愛だよ」と講師から教えて頂き、「罪悪感があって良かった」と「罪悪感の意味」を理解できたことで
ようやく「母のことが大好きだったこと」を思い出し、2年かけて少しずつですが、頑なだった私の気持ちが緩んで行きました。
思考のテクノロジーを知るまえに母のせいにしてしまったことを、反省して母に謝罪をしたけど、憎しみの気持ちは消えていなかったので許してもらえませんでした。
その後、思考のテクノロジーのカリキュラムでわかったことを母に伝え続けると、最初は聞き入れてもらえなかったけれども、ゆっくりと母娘の会話ができるようになっていきました。
奇跡の食卓
連休を前にした忙しい平日の朝に母から電話がありました。
母は、「ゴールデンウィークは帰ってこないの?」と、少し寂しそうに尋ねてきたので、仕事が忙しく、休みを取るのは難しいと伝えると、母はあっさりと「仕方ないわね」と答えました。
その翌朝、通勤途中の駅で何気なく目にした光景が、私の心を大きく揺さぶりました。
杖をつきながら歩く一人の老人。
その背中が、まるで父と重なるように見えたのです。その瞬間、私は無性に帰省したくなりました。
すぐに職場に相談すると、驚くほど簡単に休みがもらえて、飛行機のチケットも残りわずかだったけれども奇跡的に取れました。
私は母に知らせずに実家へ向かいました。
家に着くと、父は目を丸くして驚き、後で出先から帰ってきた母は満面の笑みで喜んでくれました。
その晩、母のリクエストでデリバリーピザを注文し、近くに住む兄も誘い、約37年ぶりの家族4人の《奇跡の食卓》が実現したのでした。
父、母、兄、私が揃った瞬間、まるで小学生の頃の食卓にタイムスリップしたようなとても不思議な感覚になり、
4人で食べるピザは特別な味で、父と母がぱくぱく食べる姿はとても嬉しく、両親が元気な今、《奇跡の食卓》に幸せが溢れました。
食事の後、母と私は夜が明けるまで話し続けました。
母の笑顔に、私はこれまで感じたことのない安らぎを覚え、母は、私に向かってぽつりと
「この人生でよかった!!」
と語りはじめたのです。
その言葉に、私は驚きを隠せませんでした。
喜びがあふれていることを感じ、受けとれるようになった自分に私自身がびっくりしました。
不平不満ばかり言っている母の人生はどうなんだろう!?と、ずっと思い込んでいたので、
最悪な父との人生が全く変わり、私の知らない母の想いや体験を聴くことができて、天と地がひっくり返るくらいの衝撃を受けました。
私が《加害者》だった!
帰省するきっかけになったときの電話での会話をLifeコースのカリキュラムの皆さんの前で
「うらのおばさんが育ての母と言っているけれど、それで気がすむならそれでいいんだよ!!と母に言われました。」と話していた時に、
私は《被害者》だと思いこみ言い続けてきましたが、母をひどい言葉で傷つづけてきた《加害者》だったんだとようやく自覚できました。
私はずっと自分のことを嫌い自分で自分を傷つけていたことも理解できました。
すると
「母はなんて心の広い人なんだろう」
と思えて改めて捉え方が変わったことにも びっくりしました。
その時、講師から
「あなたは母を恨んでいたけれども、母は最初から、あなたのことを許していたし、母の愛しか感じない!」
と言って頂き、張りつめていた想いが 一瞬にして抜けてしまいました。
私は今までずっと、母に愛されていないと思い憎しみ、理想に近づくために頑張り、子どもを置いてきた罪悪感で生きていることを許さないぐらい自分を責め続けてきました。
思考のテクノロジーを知って初めて自分の人生振り返ってみることができたお陰で、自分の間違った自己イメージが世界をつくりだしていたと理解しました。あたまの中にシステム図が浮かび、それが私のプログラムなんだと、このストーリーを書いていて、あらためて認識しました。
母への憎しみを握りしめ続けていたのは、「母が大好き」の裏返しで、片側からしか見えずに苦しんでいたことが今はとっても恥ずかしいくらいです。
そして両親が元気な今、家族が再生していることに感謝です。
母を理解できるようになり、今は母との空間に安心できるし楽しいです!!
自分を理解する愛、 「生きることは楽しい !」
と思えるようになりました。
あとがき
母との確執は、彼女にとって長い間、大きな心の重荷となっていました。
しかし、思考のテクノロジーとの出会いを通じて、自分自身を知り、その感情の裏側にあったものを見つめ直すことができました。
母を憎んでいたのは、実は自分自身を愛せていなかったから。
そして、母への憎しみは、自分が心の奥底で母を愛していた証でもあり、母への愛と憎しみが表裏一体であることに気づきました。
今では、母との時間が彼女にとっての宝物となり、過去の辛い記憶も和らいでいきました。
母と再び繋がり合うことで、自分の心も再生し、家族の絆が深まりました。
このストーリーが、家族との関係を見つめ直すきっかけとなり、愛に満ちた再生の一歩を踏み出す助けとなれば嬉しいです。