困っている人、可哀想な人を見ると放っておけなくて、つい世話を焼いてしまうという方。
つねに「助けてあげたい!」と思う人を引き寄せていないでしょうか。
『目の前の相手』は自分です。救わなくてはいけない人は、本当は誰なのでしょうか?
Kさん 50代 女性 【愛知県】
私は、いつも家族に世話を焼いては、
「ほかっといて(放っておいて)」
「 黙ってて」
と言われてきました。
そんな自分が苦しくて、藁にもすがる思いで楽になる場所を探しミロスに出合ったので、
人にも喜んでもらえると思い、ご縁の方に伝えようとするのですが断られてしまう。
私は、セミナーに友人を誘ってみた時も
「私、貴方ほど苦しくないからいいわ」
と、さり気なく断られてしまいました。
「どうしてだろう?」と思っていました。
目の前は自分…
また初めて家族が集まり、自宅で主人の誕生日会を行いました。
ミロスに出合う前は、家で子供の誕生日会はしても、主人と私のお祝いなどしたこともなかったのです。
離婚してたまに来る孫と長男、次男夫婦が集まり、保育園で覚えた踊りや歌で家族が笑顔に溢れ、
今まで味わった事ない幸せを感じた時、
出て行ったママもここに居たらもっと楽しいのに・・・と思った瞬間
『可哀想…』
と思いました。
その数時間後、元嫁から急に電話がかかってきました。
SNSに可愛いい孫の顔を載せたことを、保育園仲間から聴き、怒りの電話が各々に入ったのです。
私はしばらく孫に会えなくなってしまいました。
身震いどころではなく凍りついた私は、1年前に離婚した息子に言われた、
『自分たちの離婚は99%おっ母のせいだ』
を思い出していました。
そのことを仲間にシェアすると、『目の前は自分だよ』と気づかせてもらいました。
「え、可哀想なのは私?」
「救われていないのは私?」
可愛そうな自分を嫌い、隠している。
だから、
目の前に可哀想な人、救いたくなる人を引き寄せるんだ!
私は、いつも可哀想な人、苦しい人に
「あなた、苦しそうだから絶対に聞いた方がいいよ」
「楽になるから一緒に行かない?」
と言っていました。
それが私のお誘いトークだったのです。
癒されたかったのは自分だ!
そういえば、私は幼少期に母を亡くし、異常な程、お母さんに癒されたかった。
そんな惨めな自分を嫌って、可哀想な人を目の前に引き寄せ、助けようと頑張ることでバランスをとっていたのです。
それに気づいたら、可哀想な人探しをしなくなり、セミナーへの声かけも全く変わってしまいました。
「楽しいから行こうよ!一緒に楽しもう!」
そうしたら、相手からも
「あなたと一緒に楽しむね」
と、ライトな感覚で返事をもらえるようになったのです。
『目の前は自分』
自分を知れることに、とてもワクワクしています。
一緒に楽しめる仲間を増やしていきます。
私の見ている世界がどんどん変わっていきます。