「お見合い」と聞くと、昔は親が決めた家同士の結婚をイメージしているのではと思います。昭和初期の時代は恋愛結婚も少なく、家族に勧められたり、会社の上司が間に入り話を勧められることが多かったのも事実です。今回の女性も、そんなお見合い結婚した一人です。誰も知り合いのいない京都に嫁ぎ、頼りたい夫は、味方になってもらえないと、当時は思って寂しく感じたものでした。ですが、ミロスを知って、自分の抵抗感の正体が何であったのかが分かった時に、一気に解放されました。元気いっぱいで楽しんでいる様子をご覧下さい。
加藤 良子さん 80代 女性【京都府】
自分の気持ちを感じてみると
私は、現在83歳になりました。
私は60年前に、お見合い結婚をしました。
一般的に、嫁姑の確執はよく聞きますが、なんと我が家は舅がすごい力で関わっていたんです。
明治生まれと昭和初期の生まれ、男尊女卑が色濃く残っている時代ですから…
いろんなことを言われていましたが、その中でも思い出すエピソードとしてはこんな感じで、いつもいつも私にとっては、辛いと言うか、思っていても中々言えないもどかしさでいっぱいでした。
エピソード満載!!
当時の自分にとっての心の「声」を表現してみたいと思います。
■まず一つ目になります。
料理に慣れない私の味付けに対して「水くさい」と舅が感じると、食べ終わるまで、
ずーっと「水くさいな」……「水くさいな」と言い続けるんです。
私 《心の中で、いっぺん言うたらわかるわ、腹立つ!!》
だけど姑も主人も誰もかばってくれないんですよ〜。
私 《何とか言ってよ!一生懸命作ってるんだから!》
■そして2つ目はこれです。
ある時、姑とデパートで可愛らしい食器を2人でお金を出し合って買ったのですが、
次の日には、その可愛い食器が見当たらないんです。どこを探してもない…
なんと、なんとですが、舅が勝手にデパートに食器を返しに行ってたんです。
私 《何でやの!!》
折角、一生懸命選んで可愛いのを買ったのに、腹が立って!!腹が立って!!。
■まだまだありますが、3つ目です。
何一つ思い通りにならない姑さん(舅さんが怖いので)が、
私が初めて出産した長女のことを「私が育ててもいいよ」なんてことを言うんです。
私 《何言うてんねん!!》
私はキッパリ断りましたが、次々と、長男・次女と生まれて忙しくなり、長女はドンドン姑になついて私の言うことは聞かなくなってしまったり…。
その内に、私と主人との関係も悪くなって家庭崩壊の危機さえ感じるようになり……
私 《なんでやね~~~~ん!!なんとかして!》
と、イロイロなことが続いていきました。(あまりに多いので割愛しま~~す)
まさか自分に与えたものだったなんて?!
そしてそして、ようやく息子の紹介で「ミロス」に出会うことができたんです。
「ミロス」でこの世の仕組みを理解する中で、舅や姑に感じた
【否定・拒絶・疎外感】は自分が自分に与えていたものだった。
「私なんて〜」「どうせ私は」と言ったような【自己否定】という
【間違った思い込み】が創り出した幻想だったなんて…
と解ったんです。
ここまでは、なんとなく頭で理解していきました。
『人生』いつからでも楽しめます!
私を助けてくれなかったと思い込んでいた、何も言わない主人のことも、
今思うと
親の肩を持つこともなく、
私の肩を持つこともなく、
ただただ見守ってくれていた男性性の温かい愛も感じることができました。
姑も寂しくて、孫の面倒を見ることで無意識の孤独感や価値を上げようとしていたことを理解すると、その寂しさが私と同じだと、ようやく一致しました。
舅の行動、言動も、考えてみたら家族のためにひたすら頑張って働いてくれていました。
今なら認めてほしいだけだったんだと感じることがいっぱい思い出してきました。
私とも一致し、やっとわかるようになりました。
カリキュラム中に舅・姑・夫の思いに気づけて話させて頂いた時に、ようやく自分と同じ思いで生きていたことに、本当に涙が溢れました。
ミロスを知るまで、病気がちだった私ですが、83歳の現在、毎日が楽しくて、
生まれ変わったように元気になりました。
いつも楽しく活動させて頂いている仲間の皆さま、ありがとうございます。
【人生、いくつからでも楽しめます!】
これからも心身ともに健康で自分を大切にしていきます。