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旧家

兄と私と兄嫁と~怒りと憎しみが消えた日~

本人の意向に関わらず、代々続く老舗の家業・会社の引き継ぎを突然、言われるケースも珍しくないそうです。後継者は、引継ぎにあたって、後戻りができない点に「不安」を感じやすかったり、いったん受け入れれば自身の事情で辞めることができないなど、後継者は家業を継ぐことにためらいを感じる方も多いようです。また、すべて自分の裁量に委ねられる責任感から、強烈なプレッシャーが襲うケースや従業員との関係性でも苦労が伴うようです。伴侶や家族の理解が必要となったり、また廃業するなど決断も難しいものだと思います。今回の女性のお兄様もそんな後継者のお一人でした。さてどんな思いに気づいたのでしょうか。

篠原 眞知子さん 60代 女性【福岡県】

まさか、繋がっていたなんて

カウンセリングを受けさせて頂きました。

きっかけは、娘からの相談事で、一つは旦那さんが会社の接待でお酒が出て、記憶がなくなるほど飲み、その晩、家に帰って来なかったこと。

数年前にも同じようなことがあってのこと。

もう一つは二人の子ども(私の孫)の行動に問題があると言われ、脳波の検査を受けた、というものでした。

この二つを相談させて頂いたのですが、お話しているうちに娘婿の現象と私の兄という2つの点が繋がり、娘のことではなく、私の「恐怖と不安」が現れたことであることに気付かされました。

20年ほど前、1歳違いの兄は、アルコール依存症で52才の若さで亡くなりました。

実家を継ぐこと

東京で外資系の会計事務所で公認会計士をしていたのですが、実家の母が経営する家業を13代目として継がなければならなくなり、会計士と経営との二足の草鞋を履くこととなって実家に戻ってきました。

しかし、経営はそれほど甘いものではなく、会社の経営状態の悪化から精神的にも追い詰められ、一時でも現状を忘れたいという想いでアルコールの深みにはまっていきました。

社長になった頃には入退院を繰り返し、アルコール依存症の治療をしていたにも関わらず、もう以前の溌剌とした兄の姿はどこにもありませんでした。

脳が萎縮し、普段の生活もままならない状態で、食事中に箸を落とす、シャツのボタンがかけられない、外で飲んで道端で寝てしまい近所の人に連れ帰ってもらう、PTA会長に祭り上げられ長男の学校での卒業式での挨拶に立ったものの一言も言えず抱えられて席につく等、人が変わってしまいました。

酒造業を営んでいるのになんと皮肉なことでしょうか。

こんな状態のある朝、兄嫁が亡くなっている兄を別室で発見しました。

当時、まだ小学生だった兄の長男(私の甥)は、これが原因かどうかわかりませんが、登校拒否となりました。

私は結婚して福岡市に住んでいたため、実家のある福島県に頻繁に行くこともできなかったのですが、姉のことは里帰りした時などに見聞きしていました。

兄の人格崩壊、家庭崩壊という恐怖を娘婿とその家族に勝手に映し出していました。

兄嫁の辛さが分かった

思ってもいなかった点と点が繋がりました。

これに気付いた数日後、ヒアリングを受講してカウンセリングで気付けたことを話していた時、ハッとしたことがありました。

兄嫁は独身時代から日本画家として活躍している人でした。

好きな相手と結婚し、子どもが生まれ、好きな絵を自由に描いていける生活から、一転、人格も見かけも全く変わった夫との生活。

自分の知っている夫がどんどん崩壊していく様を毎日毎日見なければいけないという辛さ。

そして兄が亡くなった後の小さい二人の子供を抱えた生活と会社の従業員からいくら説明されても理解できない商売の仕方。

それまで、「絵」しかなかった彼女には、とてつもない重圧だったでしょう。

私自身、元主人からの一方的な離婚要求から、小学生の二人の子供を抱えて離婚しているので、死別と離別の違いはありますが、夫がいない辛さはわかって当然のはずなのに、兄嫁の辛さを感じることは、それまで一度もありませんでした。

兄嫁に対しては、兄の異変に気付かなかったことや病院へ連れて行くことへ否定的だったことだけを恨んでいて、「兄をないがしろにした酷い嫁、鬼嫁」という目でしか見ていなかったのです。

十年近く、音信不通の状態でした。その何年も握りしめていた兄嫁に対する怒りが、キラキラした光の粒のようになって飛んで行き、消えて行くような感覚でした。兄嫁の辛さを自分事として感じることができた瞬間でした。

今、兄嫁の辛さを分かってあげられなかったことに対し、申し訳なかったという想いで一杯です。

好きなことを仕事でできる

そして、数年前に気付いたことですが、関連性があるので、もう少し書いてみたいと思います。
登校拒否をしていた兄の長男が成長し、大学に入ったようだとなんとなく聞いていました。

SNSで探してみたら海外の大学で教鞭をとっていることがわかりました。

日本への里帰りの際には東京で私の娘(彼の従妹になる)家族とも再会できました。

成長した甥は、そこに兄がいるように感じられるほど兄の面影を残していました。

その後、彼は共著で出した本を是非、渡したいと出張で鹿児島に行った帰りに福岡で会うことができました。

その甥っ子と私の息子と私の3人で何気ない話をしていた時、

「私たちの周りは、本当に好きなことを仕事にしている人が多いね。」と話した途端、

「兄だけが好きなことができなかった!」という想いが突然、湧いてきました。

私も含め両親も本当に周りにいる近しい人たちは、自分が好きなことを仕事にしていたからです。

しかし、たった一人、兄だけが好きなことができず、亡くなっていたので、兄が不憫で仕方ありませんでした。

その後、実家は、会社をたたんで、工場のある敷地は住宅地として売りに出されました。

そんな思いを巡らせていたある時、その長男が今では兄がしたかった歴史の勉強をしていること、それを仕事として大学でも教えていて本まで書いているということが突然繋がりました。

家族への愛を知る

伝統や歴史は確かに大切ですが、実家の400年近くの歴史を閉じること、従業員を多数抱えた会社を止めることは容易ではありませんでした。

もし、この後細々でも家業を営んでいたとしたら、14代目と友達に呼ばれていた長男が家業を受け継いだのは明白でした。

後継者となった者は、受け継いだ先祖代々の家業を自分の代で潰すことはできないと頑張ります。

歴史が長ければ長いほど、その重圧も大きかったと思います。

兄も公認会計士という安定した仕事を辞め、頑張って母の希望に沿うよう働いてきたと思いますが、無理であるとわかった時、自分を崩壊させた家業を長男には継がせたくなかったのでしょう。

そのためには、家業を潰す、つまり、自分の死しかなかった。
実家がなくなったからこそ、甥っ子は、自由に好きな道が選べたと思えました。

物静かな兄でしたが、秘めた想いは大きくて私は、そこに兄の家族への愛を感じることができました。

ここまで気付けたことは、私にとって本当に奇跡です。

ミロスを知らなかったら、一生わからずにいたと思います。

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