子どもや両親のお世話など、周りの人のために身を削ることも慣れっこになり、自分を犠牲にして動いてしまい、ゆっくりする時間すらない状況。ほんとうは苦しいのに言えない…という人は意外と多いのではないでしょうか。「なんでわたしばっかり…」他に姉妹もいるのに…などとチョット言いたくもなる。今回のj女性も家族のために子どもの頃から頑張ってきた方です、自分の思いに気づいてくれない両親に言いたいことが沢山あった!それは、両親の愚痴を聞かされることかもしれません。でもその言葉の奥に隠された本当の思いに気づくとある変化が起きました。
Rさん 女性 50代 【神奈川県】
寂しさを感じたくない!
松本講師のミロス実践コースで、私は約二十年もの間、家族に対して悩んできたことを終わらせることができました。全く変わらなかった現実が変わった驚きを書いてみようと思います。
絶対に認められなかった【寂しさ】を受け取れたことで、
事件になるのではないかというほどの長年の家庭内戦争のカラクリがはっきりしたことです。
《一回目の受講で》
家族のいさかいが止まらないことなどシェアをしていく中「寂しかったんだね」と講師から、私の事を表現されたことに、その時は受け入れようとしましたが、講義が終わってからもどうしても納得がいきませんでした。
「寂しさ」があると言われることにめちゃくちゃ抵抗感がわいてきて受け入れたくない私がいました。
私の中にあると感じようとすると、自分のことがなんとも”哀れで情けなくてミジメ”な気持になるのです。
頑張ってきたのに……
どうしてそんなに受け入れられないのか、小さい頃を思い出してみました。
私の母は父との結婚を後悔して宗教に駆け込み、日々を人様を救う活動に時間を費やしていたので、
家に帰って来ても忙しく家事をこなしている姿をいつも後から見ていました。
父はそんな母に対して、何故宗教に助けを求めたのか知ろうとする様子が全くない、
それどころか帰りが遅く家族を優先にしない人、大事にしない人にしか見えませんでした。
こんな我が家だから仕方がない。
私はなるべく邪魔にならないように、これ以上ひどくならないようにと見守るしか術がなかったことが思い出されてきました。
いつも家の事をしてくれている母の味方であることを証明するかのように、我儘を言わないように、困らせないようにしていました。
そうか!
こんなに頑張ってきた今までのことが、「無意味だった」と言われているようで悔しくなり受け入れられなかったのか。
母から散々繰り返し聞かされてきた泣き言、「もう聞きたくない」と言うと、冷たいと怒ってくる母。
父の代わりに母の愚痴を聞ているのに、私が何もしないと怒ってくる父。
こんなに支えてきたのにと叫びたくなる日々。
過去の私の気遣いなんて、ちっともわかってくれていない。
怒りを通り越してもう憎しみに近い感情にまで変わっている私がいることも見えてきました。
父や母から相談される度に、私は最初は冷静に対応しようとするのだが、怒りで答えられなくなったりすることがある理由がわかりました。
だってあなた達は全然私の話を聞いてくれなかったじゃないか!
理解しようとしなかったじゃないか!
今更頼るな!というのが本音でありました。
また、寂しかったなんてことが人様に知れたら、愛されていなかったと証明してしまうようでそんなことは絶対に認めたくなかったからでした。
私と父の思いが一緒なの?
そして
《2回目の受講の時に》
“普段やらないことをやってみましょう“と出された課題に、圧倒的に母親よりも会話が少なかった父との距離を縮めてみようと思い、気になっていた父の母親を亡くした頃のことをあらためて聞いてみました。
父は母親を肺病で7歳の頃に亡くしています。
幼くして母親と死別するなんて悲しすぎると思ったので「寂しかった?」って聞きましたが「昔は肺病でよく人が亡くなったんだ」「仕方がないんだ」と人ごとのように言うだけでした。
その言葉には、起きた現実に諦めるという選択肢しかなかったように聞こえるだけで、寂しさがあったのかよくわからない。
また、「姉には世話になったんだ」と繰り返し話す姿は、世話にならないようにと気を使っていた様子が覗えてくる。
あれっ?!
なんだか私と同じではないか…
【寂しさ】を感じないように、見ないようにしている。
家族に気を使い、寂しさをバネに頑張ってきたのだろう。
きっと感じてしまったら、母親を救えなかった自分の無価値さがわかってしまうからではないだろうか、
それは私も同じである。
私とは違うと思っていた父が私と同じだったんた。
救えない無力さを知る
実践のシェアで、このことを話すと
「女性を救おうと思って今回、お父様は生まれてきたから、子供が三姉妹で女性だったんですね。」との講師からの言葉に愕然とした。
父は本当は救いたかったが救えない無価値感で一杯になっていたんだと。
私は三姉妹の末っ子で、真ん中の姉を6年前に亡くしました。
いろんなことを話せていた姉。
病気を打ち明けられた時、いなくなるなんて考えられなかったし、助けられると思っていた。
絶対に失いたくなかった。
私の望みは叶わず病気を相談されてから4年後に亡くなってしまった姉。
父には余り病気の相談をしなかった姉。
父から姉を亡くして悲しむ姿を一度もみたことはないが、父の部屋から聞こえてくる姉の名前を呼ぶ声。
私は父が悲しみを顕にしないことで救われていた。
父にあまり相談しなかったことに罪悪感を持っていたからだ。
なんでもっと相談しなかったのかと責められるのが本当は怖かったからだ。
それは助けられなかった私の無価値さを露呈することに等しかったからです。
父は自分の母親と娘を亡くし、そして今なお妻からの非難を浴び続け、女性を救えない無力さを突きつけられている。
※後編はこちらから
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