年末年始やお盆などは親戚が集まることがありますが「一緒に過ごすのが苦手!」とか「疲れる!」とかと思う方も多いのではないでしょうか?昔は当たり前のことでも、今では無くなりつつあるのも事実。核家族になって中々会う機会も少なくなって、ましてコロナ禍ではもっと会えなくなっていませんか?無理のない付き合い方、良い距離間とは?一体どんなものなのでしょか?今回の彼女の”心の声”を聞いてスッキリする方が増えるかもしれませんね!ではご覧下さい。
Yさん 60代 女性 【鹿児島】
緊急事態宣言なのに!
この5月の連休にまた義弟が、大学生になった姪と2人で、県外からわが家に2泊も泊りに来ました。
今年の正月に2泊も泊りに来たのに、その時に施設に入所している義母に面会できなかったから逢う為に、という名目です。
正月も元旦から、お盆も前後をはさみ毎年欠かさず家族で来て、最低2泊はするのです。
「GWにも来るのか!日帰りしろよ!」
と言いたかったです。
義弟は悪い人ではないけど、嫌いなんです。
「遠慮や配慮、気配りが無い」のです。
「緊急事態宣言が出るこのコロナ禍にわざわざ県外から泊りに来る!?ホテルに泊まってもらった方が良いんじゃないの?」
と家族へ言いました。
わが家には、4歳児連れて里帰り出産した「産後間もない末娘と、新生児が居るんだから」の理由付け。
2世帯同居の長女家族には、7歳と4歳の孫も居る。
「こんな大家族のわが家だ、コロナ含めて、ちったぁ遠慮配慮気配りしろや!」なんです。
でも、義弟に何かと可愛がってもらい甘えている長女や末娘たちは
「ホテル代金がもったいない。私はいいけどね。」
と言うし、夫のたった一人の兄弟との仲たがい、できればしたくない思いもある。
なので、もう何年も毎回、いつもモヤモヤ顔で迎えています。
心で思うことを感じてみると…
正月に来た義弟たちは、初日こそダイニングに座ってリビングには来ずに距離をとって、マスクを着用していました。
でも翌日からは、3密の団らんにマスク無し。
コロナ恐怖がさほど無い私を映しているとはいえ、今回も初日からずっと室内&車内も、マスク無しの3密団らんでした。
さらに義弟はテレビのまん前のソファ、家族が好む一等席に、太った身体でデーンと居座って陣取ったままほとんど動きません。
それだけでも目障りで嫌なのに、姪や娘たちへ何かと
「あ、ごめん、水持ってきてほしい」とか、皿や調味料等を運ばせたり、
皆が食べ終えてもずっと晩酌を続けています。
まるで自分の家か、実家のような、遠慮を知らない振る舞い。
「無神経・傍若無人」
「わがもの顔、自由にし過ぎ」
と感じていました。
そして持ってくる手土産が、高速のサービスエリアで買った代り映えしない、食べ飽きた同じ菓子。
家族と違ってそれほど甘党ではない私は、無言の文句タラタラ。
なのに、私たちと長女たちへと2箱に、実家の母へと計3箱です。
それでも有難みも無く、NO感謝です。
ずいぶん何年も前ですが、家族4人で来て手ぶらの時も有ったので、
嫌なことは忘れない意地悪でケチな私は
「この菓子だけで、2泊3日のサービス提供の代償かょ!」
「うちは旅館じゃない、私の家なんだよっ!」
と、心で思うのでした。
まさか実弟への嫉妬があったなんて??
そんなイライラして、モヤモヤする思いを、長崎の妹に聞いてもらいました。お陰様で吐き出せて楽になり、妹の言葉に気づきもありました。
同じ家庭環境で育った姉妹は有難い存在です。
そしてその3日後に、ご縁の流れで急遽、電話ミロスヒアリングを受けました。
義弟に感じる嫌な感情を思いっきり出していきましたが、途中で眠気がきました。
表現できないパターンの私は、出し慣れていないせいかと思いましたが、
エゴが感じさせないようにしているなと思い、しっかりじっくりその奥を感じるように努めました。
そしたらなんと、実弟への嫉妬が隠れていたのでした!!
全く自覚が無かったので、本当に驚きましたが、その時一枚の写真を想い出しました。
それは5歳の私が、くりくりぱっちり垂れ目で、可愛い1歳の弟を抱いて少し恥ずかしそうに微笑む写真。傍らにあどけない顔の3歳の妹もいます。4人兄弟の末っ子だった弟は、母から「〇〇ちゃん」と愛称で呼ばれていました。
兄も私も妹も名前で呼ばれていたので、その音から、母は弟を可愛がっているんだな、と薄らぼんやり感じていた記憶があります。
そんな差別(笑)には絶対嫉妬したはずですが、強烈に弟へ嫉妬した記憶が無いのです。
単に鈍かったのでしょうか。
違うと思います。
親に自分を一番に見て欲しい、愛して欲しいという承認欲求は消せないでしょうから、敏感に差別や嫉妬を感じると惨めで辛いので、感じないようセンサーを閉じて、聞き分けの良いお姉ちゃんに成っていけるよう、ひた隠しにして抑圧していったのです。
自分の抑圧した素直な感情にふれる
すっかり忘れていましたが
「父ちゃん母ちゃんにもっと可愛がって欲しい」
という想いを、幼い頃に抱いていたことをハッキリ想い出しました。
幼い頃の私は、「我がもの顔で自由」に、「無神経・傍若無人」で、「遠慮配慮や気配り無し」に、親に甘えて依存して、もっとたくさん可愛がってもらいたかった。
そんな「もっと愛して欲しい」という想いを、どう表現すれば良いのか分からず、伝える事もできず、我慢してただその小さな胸にしまい込んでいたのです。
そして、愛されるために、弟を可愛がる良い姉を、不平不満も言わずに黙って健気に演じていたのでしょう。
自分の抑圧した素直な感情を、生まれて初めて受け取れて、私はオイオイと泣きました。
泣きながら私は「大丈夫だよーー」と幼い私をしっかり胸に抱いてあげました。
溺愛されていた本当の自分自身へ帰還できて、すっかり癒され脱力した私は、その夜は爆睡していました。
嫉妬の正体がわかる!
こうして義弟へ感じていたネガティブな感情が、私の内面と一致しました。
両親の愛の獲得には、全く利害関係が無い義弟ですから、
年長者の私への気配り配慮遠慮は求めても良い、当然だという思い。
なので、横柄で我がもの顔で、上から目線で居ても良いんだとして、
年下のくせ、私ができなかった甘えて依存してくる言動が、気に障ってしかたがなくて、
イライラ怒り、もやもや不快に感じていたのでした。
私が幼い頃に抑圧していった実弟への嫉妬は、
成人していくら時が経っても、親戚として深い関わりをしていく中で、
義弟の言動が、引き金(trigger)となってあぶり出されていたんだと、理解することができました。
全ては私の思い込みのエゴ思考が創った傷が、創造した事象に伴って生れた感情と想いでした。
今回ようやく自分を知って受け取れたことで、もうこれから義弟たちは泊りに来ないでしょう(笑)
たとえ泊りに来ても、義弟たちへ言いたいことはそのまま伝えられて、ノンストレスな親戚付き合いができることでしょう。
幼いころの傷が終わった
義弟が教えてくれて、幼い時の傷を知って終わらせることができた今回の体験で創造したことは、生まれてきた歓びの愛を感じられる存在です。
ちょっとこれからの自分の在り方や動きが、楽しみになりました。