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「いつまでもあると思うな親と金」「孝行のしたい時分に親はなし」「子を持って知る親の恩」などの慣用句。何度か聞いいたことありますよね?「親を大事にしなさい!」ということなのでしょうが、今回ご紹介する女性にとっての母親はずっと「人に迷惑をかける人」と映っていました。しかし、ミロスの視点で母を受け入れた彼女は、母の意外な姿を知ることになります。はたして彼女の観た本当の母の姿とは?

Kさん 50代 女性【京都府】

母との穏やかな日常が戻った

今年の一月、遂に母が逝ってしまった。
癌告知を受けて約一年でした。

その最期は突然の中に全てが完璧だったと思わせてくれるものでした。
そして、このたった一年で、私のこの53年間の人生が覆ってしまいました。

大喧嘩の末、絶縁を互いに口にし、生きている間にもう二度と会うことはないと一度は覚悟をしたこともありました。
しかし、母の末期癌は今までの投稿の通り、もう一度心の痛みに向き合い、それを終わらせるプロセスへ向かわせてくれるそのものとなりました。

昨年の12月中旬、母の定期受診の採血結果は癌の進行を告げていました。
受診の2、3日前ある出来事が起こり、私は怒りと落胆のど真ん中で、母の末期癌の宣告を受けました。
病院からの帰り道、癌が進行している状況に、母を失うかもしれない不安から

「思考が変わったら病気だって治るのに、何故治さないの!なぜ昔と同じことを繰り返しているの!」

と母に八つ当たりをしてしまい、自分のことだとわかっていても止められなかった自分に更に落ち込みました。

その後、
「治そうは治らない」と何度も聞いているのに、まだ「病気を治したい!」と病気にエネルギーを向けていた。
そして、病気が治ることがゴールのように思っていた事にハッ!として、母と今、こうして笑って過ごせる事に感謝がなかったと思い、再び母との穏やかな日常が戻りました。
そんな時、母が不思議な話をしてくれたのです。

母と私=夫に感謝がなかった

母は私に責められ、
「自分はいない方が良いのではないか」
とこの先の事を、夜空の月を眺めながら考えていたらしいのです。すると、「それは違う!」と、どこからともなく自分でも驚くような感覚になり、その途端に、身体の中が入れ替わってしまった気がしたと感じ、それ以降本当に身体がとても楽になっていて、「次の検査では治っているのではないか?」とまで言うようになったのでした。

それからの母は、私から観ていても本当に元気そうで、話すことまで変わってしまいました。
亡くなった夫である父に
「本当に申し訳ない事をした。気付くのが遅くなったけど、お父さんは許してくれるかなぁ〜」
と言うこともありました。

そして、毎晩父に謝ってるのだとも言います。
父が亡くなってからも、昔の文句しか言っていなかった母だったのに…。
そんな母が嫌で喧嘩になり、絶縁まで至ったはずだったのに…。
その母が、
「本当に夫に愛されていたことがわかった、良くしてもらった」
と幸せそうに話すのです!

その後、
「文句を言い、夫に感謝がなかったのは私だった」
と分かりましたが、今こうして母を通して、感謝出来る自分を観せてもらえたことが本当に嬉しかったのです。

そして、2020年12月23日のミロス  イベントを経て、年内最後のセミナーで私は初めて現状に関係なく幸せだと思え、本当にリセットがなされた事を体感させて頂いた。

そして私は初めて、現状に関係なく「幸せだ!」と思えたことを体感させていただきました。
今年のお正月は、これまでにない事尽くしで、喜びの中で2021年をスタートしました。

私が仕事から戻ると、毎日配信してくださっている講師ご夫妻や、仲間のFB動画をみることを楽しみにしていた母。
「セミナーにも行ってみたい」
と言っていたが、母の足の悪さと私の都合で一緒に受講出来る事はありませんでした。
けれど、今年セミナーを初めて受講する事を決めたその前日の母は、本当にピカピカで、私がドキッとするほど輝いて綺麗でした。

母が逝った…

しかし突然、当日の朝から体調の不良を訴え、セミナーを受講する事は出来ませんでした。
そして、その2日後、母は静かに逝ってしまったのです。

何度も病院へ行くことを勧めても
「2日後の定期受診まで行きたくない」
と言い、
「迷惑でなかったら、入院を勧められても連れて帰って欲しいなぁー」
と切望していました。

病院へ行く日の夜明け前に、母の思い通り、一人暮らしの自宅でひっそりと亡くなることもなく、私達家族の側で最期を迎えることができました。

呼吸がどんどん促迫(そくはく)し、苦しいであろう中でも、
「大丈夫…」
と一言の弱音も吐かなかった母。その様子に
「何でそこまで強くいられるのか?もっと辛いって言ってもいいのに…」
と思いながら、その頑固さは観ている私そのものだと思うと、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そんな私に亡くなる4時間ほど前、母は
「みんなにこんなに良くしてもらって私は幸せ」
と感謝の言葉を言い残して、帰らぬ人となりました。

両親のことを知る!

そこからの数日は、コロナ禍にも関わらずたくさんのご近所の方々が弔問に来てくださったことに先ず驚きました。
83歳。足も不自由で、この一年の大半は私の元に居り、自宅は留守がち。
そんな母にお世話になったと、たくさんの方がおいでくださる。そして、その方々から私の知らなかった母、そして父とのことを教えて頂いたのです。

どの方も口を揃えて、
「本当に人のお世話をよくされる方やった。」
「そして、頑張り屋さんやった、それも誰も真似出来ないくらいの…」
「だから、お父さんの介護もよくそこまで出来るね、という程されていたし、お父さんも妻の為に1日でも頑張ると言ってよくリバビリの散歩をされていて、本当に仲の良いご夫婦やった。」

えっ!?

両親が仲が良い!?それ本当に私の両親の話?

私にはこの50年近く、両親は喧嘩ばかりして、【両親は仲が悪い】そして、母はずっと【人に迷惑をかける人】という私の人生の基盤ともいうべき思いがある。

そして、話される内容は全て私の思ってきた両親、母に対するものとは全く違うものばかりだった。

さらに、母は私が癌になった時、
「私があなたに迷惑をかけてきたから。全て私の責任だ。変われるなら変わってやりたい。」と。そして
「これ以上あなたに迷惑をかけてはいけない、身体を守ってやらないといけない」
と言って、宗教のようなものにも心を寄せ、日々近所の方とお経をあげていたというのです。

そしてこの一年、本当に良くしてもらって幸せだと、家での様子を事細かに話していた。

母はそんな風に思って生きていた。

知らなかった。

一番知りたかったことだったのに…私は母に愛されていた。

この一年間、もうこのトラブルメーカーの母でいい、居てくれるだけで…と思っていた。

母を超えるということ

でも、母はトラブルメーカーではなかった。
遺品整理をしていて母のノートには
「この自分を変えよう、変わらなければ…」
とその苦悩が綴られていた。私と全く一緒だった。

母は認められたこともない、愛などからは程遠い自分で外側に向かって必死に生きた人生だったと思う。
子供の私でさえ、母を認めてあげることがずっと出来なかった。私も同じだったから…。
そんな母の残された最期の時間はずっと感じられなかった愛を感じ、最期までその喜びを表現し尽くしてくれた。

そして、その姿を私に残してくれたことで私はどれだけ救われたかわからない。
ずっとないと思ってきたもの。
母はずっと愛してくれていた。
分かり合えないプログラム故に、ここまでその世界を観ること、感じることも出来なかった。

このミロスとの出会いがなかったら、この50年以上の思い込みの世界が変わることも先祖代々続く心の痛みに向き合うことは出来ませんでした。
私は心のパズルの大きなピースが欠けたまま、その思いにこの先の人生も翻弄されていただろうと思う。
母がそうだったように…。

親を超えること、両親が身体を以って体験できなかった世界を私は体験したいと思う。
それが何より共にミロスに触れ母か私に望んでいることだと思う。
「お母さん、ありがとう!」

 

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