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「いじめは、誰かが悪いわけではない」。
そう聞くと、受け入れがたいと感じる人も多いかもしれません。
けれども、私たちが見ている“現実”とは、実は意識の仕組みが映し出したものでした。

ミロスシステムという新しい視点から見ると、
いじめの背景には「欠乏を埋めようとする心の回路」が隠れています。
そして、その気づきこそが、家庭や子どもの心、さらには社会全体を変える力となるのです。

これは、母として、そして一人の人間として、
「いじめの終焉」を実際に体験した女性の物語です。

Hさん 50代 女性【愛知県】

いじめの現実から始まった探求

ニュースで見る“加害者”や“被害者”の境界とはどこにあるのか。
なぜ人は、愛されたいのに傷つけ合ってしまうのか。
その「なぜ?」を、私は約10年かけて探求してきました。

たどり着いた答えは、
“誰かが悪いのではなく、人間が心のトリックにはまっている”ということでした。
それは、人間が無意識のうちにつくりだした『欠乏』。
「欠乏を埋める生き方」の果てに、非社会的な言動を引き起こす脳の“回路”が形成されていくのです。

安心を求めるあまり、人は“支配と依存”の関係をつくり出してしまう。
・【従う側】不安を抱え、「支配される=愛される=安心」と錯覚する。
・【支配する側】恐れを抱え、「支配する=相手が従う=安心」と錯覚する。

安心を感じたくて相手に合わせていたはずが、
いつしかその相手が“怖い存在”に変わる。
安心を求めた関係が、恐怖に変わる瞬間です。
その恐怖から自分を守るために、相手を攻撃してしまう。
こうして、人は無意識のうちに“傷つける側”にも“傷つけられる側”にもなっていくのです。

わが家の体験~“いじめ”が教えてくれたこと~

わが家では、娘が小学校で6回転校し、どの学校でも似たようなタイプのクラスメートからいじめを受けました。
娘は、いじめられて当然と思われるような想定外の言動(危害を与える)を学校で繰り返していました。

クラスから疎外される娘を見て絶望し、家では募る不満を娘にぶつけてしまう。
雪の降る寒い日に娘をベランダに締め出してしまったこともあります。
不登校、衝突、絶望…。
「家で勉強させなければ!」と怒鳴る私と、「やめて!」と逃げる娘。
警察や児童相談所が関わるまでに、家庭は崩壊寸前でした。

そんな時、出会ったのが“思考のテクノロジー”です。
【いじめる側といじめられる側は、同じ心の傷で引き合っている】
この言葉に衝撃を受けた私は、カリキュラムでさらに理解を深めていきました。

そのプロセスの中で、もうひとつの衝撃的なメッセージに出会います。
それは、絵本『ママとパパをえらんできたよ』に出てくる一節
「子どもは、親が幼少の頃に抑圧したものを表現する」という言葉でした。

親子の“つながり”を見つめて

私の幼い頃を振り返ると、父は病気がちで、母は看病に追われていました。
本来であれば、子どもは親に甘えたいもの。
しかし私は、甘えたくても甘えられない幼少期を過ごしました。

「親に甘えたい」「もっと私を見てほしい」。
そう願いながらも、わがままを言えなかった小さな頃の私。
その抑圧された思いが、今、目の前の“手のかかる娘”として現れていたのです。

怒りを抑えきれず、娘を責めてしまう私。

私の中の「攻撃したい自分」と「傷つけられた自分」。
この2つの意識が、娘を“加害者”にも“被害者”にもしていたのです。
つまり、「親の意識が子どものいじめをつくる」ということ。

いじめっ子と私の“内面の一致”が生まれた瞬間、
わが家の“いじめのドラマ”は終わりを迎えました。

娘への怒りは静まり、感謝が込み上げてきました。

和解と再生 ~ いじめが消えた後に起きた奇跡~

真実に出逢えた衝撃と感謝があふれた頃、
思いもよらないことが起こりました。
娘をいじめた子の母親から、「本当にありがとう」という言葉が間接的に届いたのです。
それは謝罪でもあり、深い感謝の表現でもありました。

いじめた側の親子も、同じ“欠乏”に苦しんでいました。
「頑張っても満たされない。」「報われない。」

その思いを抱えていた彼女たちは、私とまったく同じ傷を持っていたのです。

いじめた生徒は、学年トップの女子生徒。
毎日、ハードなスケジュールとプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのです。

その母親も「このままではわが子の将来が危ない」と感じていました。
しかし、不足から起こる衝動は、表面的に止めようと思っても止められない。

もしわが子が成績優秀だったなら、私も同じように生きていたかもしれない。

「思考のテクノロジー」は、いじめられた側だけでなく、いじめた側の家族までも再生させてくれました。
そして、いじめが存在できない世界へと、一瞬にして昇華していったのです。

もちろん転校など必要が無くなりました。

その後、夢のような現実が次々と起こりました。
娘は中学3年生では英語のスピーチコンテストの学校代表に選ばれ、
高校では卒業式で送辞を読む生徒にまで成長しました。

対を絶つ~いじめの終焉と新しい創造~

「対を絶つ」そこにすべてがある。
対立がまったく新しい創造へと変わる。

自己否定から生まれた“いじめ”が、
今では人と人とをつなぐ全く新しい創造の源になっています。
それこそが、ミロス思考テクノロジーの驚異です。

私は今、「いじめゼロ、その先にある未来」を共に創る仲間と出会い、
新しい“ブレイン(意識)”をつくっていく喜びを感じています。

あとがき

いじめを「なくす」ことがゴールではありません。
“いじめが存在できない意識”へと進化すること。
それが、これからの社会に求められる“意識のテクノロジー”です。

恐怖や欠乏から抜け出し、互いを理解し合える関係性を築ける人が増えていくこと。
それこそが「本当の豊かさ」と呼べる未来につながるのだと、今、確信しています。

そしてこの体験を通して感じるのは、
親が変わると、子どもが変わり、
家庭が変わると、学校が変わり、
学校が変わると、社会が変わる。

いじめを生み出していた分離の意識が解けていくとき、
私たちはようやく「人間とは何か」を思い出していくのだと思います。

ミロスの思考テクノロジーは、
単なる“問題解決の手段”ではなく、
人間の意識そのものを再創造していく“新しい文明の基盤”です。

今、この地球全体が、
恐怖や対立ではなく、
愛と理解によって結ばれた“新しい関係性”へと進化しようとしています。

その最前線に、私たち一人ひとりが立っている
そう実感できる今を、心から幸せに感じています。

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