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人生において、お金の扱いは切っても切れないものですが、生きていく上で、何にどれほど必要なのか?貯金はいくらいる?とか、いろいろ考えてる人は多いと思います。どんな人生設計を考えて生きているのか聞いてみたいですね。今回の女性は子どもの頃から、苦しい家庭環境で育ちました。親に甘えることも出来なくて自分で頑張るしかないと思って自立できる職業を選んだハズなのに、使いすぎたり気づくと毎月ギリギリの状況が続いていました。稼いでなければ生きている意味がない!など、自分の価値を仕事や財でつけることに必死。ですが本当は何が自分にとって大事なのでしょうか?喜びのメッセージをお聞きください。

Mさん 30代 女性【東京都】

昨年は素晴らしい年だった

昨年は、本当の意味で結婚について向かっていこうと、カリキュラムを受け続け、自分自身へまっしぐらに向かった1年でした。

これが自分を知る上で必然だったと腑に落ちたことで、今までバラバラで分からなかったことが繋がっていき、

【見たものへの感じ方、捉え方】が今までとは別人のようになり、

生きづらい…あぁ…生きづらい…と重ねに重ねた分厚い皮がつるりと剥がれ落ち、

《やっと!呼吸を取り戻せた!》と大袈裟に言っていいくらいに変容が起きて、何ものにも変え難い特別な1年になりました。

お金がないのが当たり前の人生だった

今回は長年苦しんできた「お金」をテーマに書かせていただきます。

ミロスに出会いたてのころ、当時貯金はゼロでした。
というか、ずうっと貯金なんてものはなく、カツカツか、借金をしているか、男性のお世話になっているかのいずれかで、情けない…

なんとか今月も生き延びれた…。

こんな感覚で、お金がないのが当たり前の人生でした。

ミロスを知れば、財はきっと回るだろう!やりたいことにも出会えるだろう!と、カウンセリングを受けますが、何も受け取れず、撃沈でした。

そのころに比べると、いやいや、人生振り返ってみても、毎月カリキュラムを受けられるほどの余裕がある!財はますます増えている!ということが奇跡のようです!

その余裕もあって、カリキュラムを受け続けようと決めることができましたが、とはいえ、お金を出すことへの不安が消えていたわけではなく、大丈夫…大丈夫…大丈夫…と自分に言い聞かせるように申し込みをしていたように思います。

お金の扱いに感謝が沸かない!!

ある日、中澤朋子講師の「ミロス体感講座」のタイトルに「お金」というワードが目にとまり参加させていただきました。
(「お金から見える人生のパターンを超えて新次元の生き方へ」という講座でしたが、その時は「お金」にしか目に入ってませんでした笑)

講座が始まってすぐから【お金の扱い=パートナーの扱い=自分の扱い】ということで、

ああ、結局お金も自分かぁ!とはたと気づき、

改めてお金の扱いを見てみると、お金とは、
【減ってしまうもの・もらえないもの・不自由になるもの】と意味づけをしていることが分かりました。

じゃあ使わないように我慢したり節約しているのか?というと、私はそうではありませんでした。

カリキュラムに限らず、欲しいものは結局買うんですが、嬉しい気持ちで買う、というよりも、

「しょうがないじゃないか、だって欲しいんだもん」と、
誰に責められてもないのに正当化する自分が出てくるのです。

自分のために買うものなのに、その本人が出し渋り、しまいには喜んで受け取りもしない。
書いていてまとまってきましたが、つまり、お金に感謝が沸かない私でした。

中澤講師に、「お金はもらえないというイメージを持っていました」と感想を送ると、

『「もらえない」があれば「あげられない」もんね~(笑)
すんごい拒絶プログラムだったよね』とお返事をいただき、

えーーーあーーーーそうかーーーこれじゃーーーん!と、笑うしかありませんでした。

願い事も言えないし甘えられない

さて、子供のころの話になります。

私が小学校低学年までは、新築、外車、毎日外食、というような見た目裕福なお家のようでしたが、その生活は何年も続きませんでした。

父の借金が膨らんで、返済や生活のために母は働きに出るようになり、私は「お父さんはいますか?…はぁ、ではお母さんはいますか?」こんな借金取りの電話に「いません。いません。分かりません。」と両親の帰りを待ちながら毎晩答える係になりました。

父は母の財布からこっそりお金を抜き取るようにもなり、その元金でパチンコで一攫千金を狙いに行くも、獲得してくるものはちんまりしたお菓子たち。

母はキーキーと皿を割り、父は母をぶん殴る。
お金で両親が争う姿をみて、「お小遣いが欲しい」「あれが欲しい」などとは言えなくなり、やがては、雑巾を縫ってほしい、保護者の印鑑押して欲しい、お弁当を作って欲しい、こうしたお願い事も控えるようになっていきました。

いや、しかし、欲しいものは欲しいのです。

例えば、色のついたシャープペンシルの芯、駄菓子代、マンガ本も欲しい。
このくらい、言えば普通に買ってくれたのかもしれませんが、お願いをしようと挑戦して父にも母にも近寄るだけで心臓がバクバクしてしまうのです。
なのでバクバクのままなんとか言うか、それも諦め、家中の引き出しや親の服のポッケから小銭を探すようになりました。その姿はまるで父と同じ。
「だってしょうがないじゃないか」と心の中で吐くようにつぶやいていました。

お願いごとができなくなったのは、お金のことだけが理由ではありませんでした。

母は、私が6歳の頃の父の再婚相手で、出会った時すでにお腹に妹がいましたので、新しいお母さんができたとて、
そのお母さんは妹が生まれるまでは父に夢中、生まれたら生まれたで我が子我が子といったように見えて、
私は甘えたくても甘え先が分からないようになって、血の繋がらないのはよその人、だからお願い事だって聞いてくれるわけがないと信じ込んでしまいました。

・うちにはお金がない
・求めてもムダだ
・そもそも求めることがムダだ
・だって私はよそ者なのだから
・私は愛されていない
・私には価値がない

こうして間違った自己イメージがつくられ、「受け取れない自分」が強固に育っていったようです。

何不自由なくお金を使いたい!

中学へ上がった頃には、父は家にいることが多くなり、母が大黒柱に。
私は次に生まれた妹を保育園や病院へ迎えに行くよう頼まれるようになり、大人の中に混じるには、大人のように振る舞わなけれないけないような気がして、えらいえらいと言われれば、ますますしっかり頑張ろうと世間の大人にも甘えることを禁じていきました。

学校が終わると、母が見つけてきたポスティングのバイトへ出かけることもありました。
一枚一体いくらなのか分かりませんが、1円ももらえず、「お金がないんだからしょうがないでしょう」と、それが勤めだと言わんばかりの態度にいよいよ逆上し、山の中へ棄てたこともありました。

何をしても感謝されないことに「なんで私だけがこんなめに合わなければいけないんだ」と苛立ち、惨めさでいっぱいでした。

早くこの家を出て、誰にもお伺いを立てず、何不自由なくお金を使いたい。
その思いはますます強くなっていきました。
「女1人でも生きていけるように手に職がつく仕事がいいよ」という母の言葉にも納得して、美容師の道に進み、まもなく両親は離婚、夢の1人暮らしが始まりました。

墓地のふもとに建つ2万円代のボロアパートでしたが、私にとってはお城でした。
自由が手に入ったと思ったのも束の間、間違った自己イメージ通りの人生をずんずんずんずん進んで行くことになるのです。

仕事や財は、自分の価値をあげるため?!

ここでもう一度、中澤講師の言葉を…
『「もらえない」があれば「あげられない」もんね~(笑)すんごい拒絶プログラムだったよね。』

本当にこの通りで、「もらえない」という無意識の拒絶はことごとく叶えられてきた人生でした。
結婚しても、稼いでなければ生きてる意味がない、と思っていたので、パートでいいんじゃない?と旦那さんに言われても、

銀座へサロンまで開業し、自分の価値を、仕事や財で、つけていくことに必死になり、彼はそっちのけでした。

向き合うことなく5年ほど別居婚状態に、やがて離婚へ至りました。(これは、父と同じです)

たとえ、どんなにお金持ちさんと付き合いしても、こんな身分の私と釣り合うわけがないと豊かな時間を一緒に楽しめなくて、そのうちには逃げ出してしまうこともありました。(これは実母のパターンじゃないか)

にもかかわらず、お金の心配なく相手に人生を委ねられる女性が羨ましいような、妬ましいような、複雑な思いでそんな女性たちを見ていました。(ああ、これは継母の思い)

「◯◯さんの奥さんはいいよね旦那さんがエリートだから」とこぼす母の言葉に、汚さ、醜さを感じていたのですが、甘えられなかった私の諦めであり、妬みであり、望みであり、もう許可してあげていいものだと受け取ることができました。

お金を喜びで使えるようになる

先祖代々、こんなことをみんな繰り返してきました。
終わらせられるって、本当にすごいことです。
もともともらっていたことに、気づくことができました。
みんながみんな、本当はとても立派でした。

今はお金を使う罪悪感はゆるまり、喜びのエネルギーで使えるようになりました。
出したら嬉しいが入ってきます。いちいち喜んでいられるストーリーに入れました。

最近では、いただく待遇がずいぶん大きくなってしまい、まるで姫のようです。
あわあわすることもありますが、私が私に与えることを喜び、感謝で受けとれているという最高のパートナーシップを見ることができて嬉しいです。

中澤講師の言葉のシンプルな美しさに悶えて染みて何度も救われました。

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