子どもの頃って、本当はやりたくないようなことでも、頑張ったら、親から認めてくれたり誉めてくれた!などの経験はありませんか。頑張ることで「努力が実を結ぶ」と言われて、それは教育やしつけだったのかもしれません。今回の女性は、頑張ることをやめれなかった一人。なぜそこまで頑張ってしまうのか?その原動力を知ることで、癒されて今ようやく寛ぐ事が出来たのです。
Nさん 50代 女性【京都府】
期待に応えるために頑張る!
何故、私はがんばってしまうことを止められないのか。
認めてもらいたいためなのか?・・・
この春から新しい仕事に就き、上司や先輩方から「こんな短期間でこれほど覚えた人はいない」と言っていただきました。
認められて嬉しい反面、より期待に応えなくては!と動きを止められないでいました。
業務上覚えることが非常にたくさんあります。
業務のメインはお客様の案内で、覚える文言はかなりの量がありました。私はこの数ヶ月は休日でも、言葉を忘れないように、間違えないように練習をしていて、休んでいる気分はありませんでした。
評価されればされるほど、苦しくなっていきました。
ずっと気が張っていたのです。
迷惑をかけてしまった…
そんな私は先日、体調不良を感じて検査してみるとコロナの陽性と診断され、しばらく出勤出来なくなりました。
自宅療養の期間中、体調がすぐれないのもありましたが、これほど眠れるのかと自分でも感心してしまうほど眠り、心身共に疲れ果てていたのを思い知らされました。
目が覚めると、思考がグルグル周り始めました。
職場の皆さんを巻き込んでしまった。
迷惑をかけてしまってどうしよう。
濃厚接触者認定され、仕事を休んでPCR検査を受けに行った人が何人かいました。
その中には「生活のためにもっと勤務日数を増やしてほしい」と普段から言っている先輩が含まれてしまいました。
怒っているかな。
こんなに休んでしまっては、せっかく慣れてきた業務内容をまた覚え直しかななど、
治っても仕事に行きたくない〜と思いました。
身体の疲れは取れてきても、気は休まりませんでした。
まさか自分に失望?
しかし!これは自分を知るチャンス。
パートナーに話すと「仕事を休んだら、何が怖いの?どうなると思うの?」と聞かれました。
咄嗟に口から出てきたのが
「失望させてしまうんじゃないかと思う」
自分の言葉に驚きました。
私は認められるためではなくて、失望させないようにがんばってたの!?ってビックリ。
ってことは
私が私に失望してるってことだよね?と思った途端、パートナーがボソッと言いました。
「生まれながらに自分に失望してるよね」
ハッとしました。
そうだ!私は自分に失望してる!!
次女として生まれた私は子供の頃、第一子の姉や後継ぎの弟を、羨ましく思ってきました。
姉と弟は、生まれただけで大事にされる。
でも次女である私は、役に立たないと思い込み、自分に失望していたのです。
でも、それじゃ生きていけないから無意識に必死に抵抗し、失望しないようにがんばっていたんだ!
だからがんばることを止められなかったのか。
このままの自分では愛されないと思い込み、それを原動力にがんばってしまうのですが、がんばってもがんばっても…いえ、むしろ がんばればがんばるほど、結果「失望させてしまった」と思い込んでいました。
両親も自分と同じように頑張っていた
子供の頃を思い出すと、父も母も家業が忙しく、休みなく働いていたことが浮かびます。
父は農家の三男として生まれ、親戚だったお寺の養子となり、跡を継ぎました。
母は三女として生まれ、幼い頃母を亡くし、また兄弟で唯一の男性だった兄も病気で亡くしています。
両親も無意識にこのままの自分では役に立たないと思い込み、がんばっていたのだと思いました。
だからあんなにも働いていたのか!と。
自分に失望している私が、どのような動き方をしても、相手を失望させてしまうという恐怖からは逃れられませんでした。
今回ストップさせてもらえたことにより、体調的に辛い時もありましたが、
「守られているね」と言っていただいた通り、安心の中で自分をしっかり見る機会をいただきました。
まさかの思い込みに気づけたことが奇跡です。
縁がつながった!
仕事に復帰すると、職場の皆さんが労ってくれて本当に心配してくれていた様子でした。
誰一人として、私に失望したように感じた人は居ませんでした。
何もかも思い込みでした。
そして!PCR検査のために仕事が休みになった方々のお給料が出ることになりました。
なんの心配もなかったのです。
また…
6月18日はLaboのイベント“マリッジフェスタ”が開催されました。
私は当日は休みを取れなくて、アーカイブ視聴するしかないと思っていましたが、否応なしに休むことになったため、横になりながらも皆さんと同じタイミングで意識を合わせて観ることができました。
また、ミロスを知らない友人や知人に観てもらいたいと思っていても忙しくて声をかけれていなかったのですが、休みのおかげでたくさんの方々に声をかけることができました。
「私たち夫婦も登場させていただきます」との言葉にほとんどの方から「観たいです!」とのお返事をいただきました。
中には、その話の流れでまた京都まで会いに行きますと言ってくれた方もいました。
久しぶりに連絡をとった方々とのご縁が繋がりました。
皆さん懐かしがってくれている、喜んでくれていると感じました。
自分を知ること、本当にすごいです。
ミロスを知らなければ、一生繰り返していました。