病気で亡くなった夫に対する今回の女性の思いは、「わかってもらえない」という思い込みでした。仕事をやめたことで、「夫はお酒に逃げた!」と感じていた彼女ですが、仲間との会話を通じて初めて夫の気持ちに寄り添うことができ、自分の思いにも気づけました。実際に逃げていたのは自分自身であり、自分の思いをはっきりさせたことで、改めて夫にも自分にも「愛」が溢れ出し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
山内美千世さん 70代 女性【兵庫県】
まさか、そんな思いがあったなんて!
私は、夫を15年前に病気で亡くしています。
今回、私と同じようにパートナーと【死別・離婚】した方々と、あるイベントを開催するために、その仲間の皆さんと何度かのミーティングを重ねる中で、
今までだったらまったく出てこなかった主人に対する思いがいろいろ出てきました。
その時に1番最初に出てきたことが、主人の闘病中、亡くなる前に、
「世話になった!」とか「ありがとう!」
と言ってもらえなかっことに不満があったことが浮かびました。
思い起こせば、私たち夫婦は、結婚して7年目から30年間、新聞販売店を営んできました。
主人は、商売を始めた当初は、大きくしようとよく頑張って働いてくれてました。
従業員にも恵まれ、軌道に乗り、順調にいきだした頃、外にお酒を飲みにいったり、遊びに出かけることが多くなってきました。
元々、お酒には強く、体も頑丈だと思い込んでいましたが、
次々と病気が発覚して、だんだん体が思うように動かなくなり、
いつしか、仕事の方は、私が中心に動かしていくようになっていました。
仕事がなくなったことで…
仕事は、頑張って頑張って・・・やっていましたが、時代の流れと共に購読者が減ったり、従業員のお給料のことで、常にお金に振り回され、やりくりが本当に大変でした。
そんな頃、会社の方から、販売店を閉めてはどうですか?と提案され、死ぬまで続けられる仕事だと思っていたこともあり、
ものすごく腹立たしく怒りもありましたが、反対に肩の荷を降ろせるとの思いもあり、販売店を閉めることになりました。
そこから、主人は、余計に、お酒に逃げるような生活になり、
私は私で、主人に、病院に行くように何回も何回も奨めても、まったく聞いてくれないと腹が立ち、大声を張り上げていたこともありました。
その後、62歳という若さで肝臓を悪くして亡くなりました。
夫婦として分かり合えなかった
ミロスに出会って、システムで自分の人生を理解していくと、小さい頃のことが思い出されました。
5人兄弟の末っ子として生まれ、親から私のことはいつも後回しにされ、構ってもらえず、何もやってもらったことがなかったことに悔しい思いがありました。
足が大きくなり、靴を買って欲しいと言った時に、聞いてもらえなかったことで、いつまでも先を丸めて履いていたことがキズになっていました。
その時から、気持ちを伝えず、何でも我慢して、その我慢していることも感じないようにと押さえ込んで生きてきました。
その、「聞いてもらえない、分かってもらえない」
という間違った思い込みで生きてきて、夫婦関係でもそのフィルターをかけていましたので、夫婦がわかり合えなかったハズでした。
自分の気持ちを抑えてきた
主人も同じように聞いてもらいたいのに聞いてもらえないを繰り返し、同じことを思ってきた夫婦だということが分かりました。
販売店を辞めたことで、主人が生き甲斐を失い、諦めた生き方をしていたのは、
辞めたことにオッケーを出せてなかった私の姿だったとハッキリ分かりました。
主人が販売店を辞めてしまった悔しさと病気になってしまった寂しさをお酒で紛らわしていた気持ちに今回、寄り添うことが出来ました。
主人から、感謝の言葉が無かったと不満を持っていたことも、私が主人に対して、まったく感謝がなかったと、感じられて、スッーと軽くなった感覚になりました。
そして、自分の気持ちを押さえ込んできたばかりに、自分の労をねぎらってこなかったのも自分でした。
仲間とのシェアとイベントをきっかけに、間違った思い込みがなくなり、自分への愛が溢れてきました。
今、とっても楽しい毎日を過ごすことが出来て、感謝でいっぱいです。