離婚した夫婦にとって、“子どもの親権”はとても大きな問題です。一般的には母親が持つことが多いとされていますが、置いていく側の思いとはいったいどういうものなのでしょうか?ミロスによって相手の捉え方を知ったことで彼女にある変化が起こりました。元夫婦が抱えていた、子どもへの罪悪感の苦しみから抜け出す方法がここにあります。ご覧ください。
溝口 智子さん 40代 女性 【愛知県】
子ども達を可愛がっていたのに…
「前のダンナさんは子供たちを置いて行かされたんやで」
カウンセリングで講師が仰った一言です。私は絶句と涙でした。私は元夫の女性問題が原因で離婚。
息子が6歳、娘が3歳の時です。
子供が生まれた時、彼は本当に大喜びでした。
どこへ行くにも連れて行き、オムツ替えだって嫌がらず、すすんでやってくれました。
近所でも評判の子煩悩ぶり。そのままずっと一緒に子供たちを育てていけると思っていました。
しかし事態は急転直下。
近所の奥さんとの不倫が発覚したのです。
そしてただの浮気ではなく本気だった…
それからの彼は彼女と一緒に暮らす事だけを考えるようになり、離婚話を進めようと躍起になりました。
私は「自分だけの幸せのためにこんなに幼い我が子を踏み台にするなんて許せない!」そう激しい怒りを感じるのと同時に、あんなに子供たちを可愛がっていた彼から父親を感じられなくなってしまった事が本当に悲しかった。
そして彼は家を出てしまった。
正式に離婚した
朝から様子がおかしいと感じた私はずっと彼に張り付いていました。
しかしどうしても別行動をしなくてはならない状況になり、私はあろう事か子供たちを彼にくっつけたのです。
こうすれば下手な事はしないだろう。
甘かった…!
子供たちを車に乗せて出かけていた彼は、家に子供たちを下ろしそのままいなくなりました。
子供たちを置いて行ったのです。
私は慌てふためき、怒り狂いました。
幼かった息子は自分を責めました。
「僕のせいでお父さんが行っちゃった…」
「違うよ!絶対に違う!」
私がいくら言っても息子のその思いは消えません。
私の安易な考えで小さな息子の心をズタズタにしてしまった!
なんて取り返しのつかない事をしてしまったんだ!
息子へのどうしていいかわからないほどの申し訳ない気持ちでいっぱいになるあまり、私はこれ以上このことに触れられなくなってしまいました。
その後、離婚調停を経て正式に離婚。
今から十数年前のことです。
無責任な男性を見る度に感じる“怒り”
その間に子供たちの父親を恨んで生きるのは子供たちのためにやめよう!罪を憎んで人を憎まずだ!と思うようになり、彼を許せたと気持ちは楽になりました。というか、そう思わせていただけ……
私は男性が不倫している話題に触れると、体の奥からマグマのように強い“怒り”が湧いてくるようになりました。
全く関係ない芸能人の不倫報道にすら異常な程激怒し、
「子供さんはどうしているのだろう?きっと傷ついているに違いない」
居ても立っても居られないほど心配になるのです。
そして気づけば不倫に限らず自分勝手で無責任な男性を見るたびに激しい怒りを感じるようになっていきました。
そんな時、受験生の娘が大学の志望校を決められず悩んでいると打ち明けてきました。
娘は大学受験に失敗したくない、
みんなに「置いていかれたくない」という強い思いがある事、その思いが「お父さんに置いて行かれた」事からきていることを話してくれました。
私がずっと触れようとしなかった元夫の事。どう向き合っていいかわからず放置していた事でした。
私はカウンセリングを受講することを決めました。
苦しみから抜け出せない
そして冒頭の「置いて行かされたんやで」
講師の静かで優しいこの一言を聞いた瞬間、私の強い思い込みが外れ、安堵と喜びを感じ、涙が溢れました。
ずっと片側しか見えていなかった!相手(元夫)の思いを感じること無く生きていました。
ミロスで二つあることを教えていただいていてもどうしても見る事が出来なかったもう一つの世界を感じた瞬間でした。
あれだけ可愛がった子供たちをどんな思いで置いていったのだろう…
きっと辛かったに違いない
そしてあの日
子供たちに抱いた強い罪悪感。
全く同じものを私も彼も抱えて生きてきたことを初めて理解しました。
子供たちの「父親」を感じ、私は本当に嬉しかった。
ミロスを知らなければ、“怒りや憎しみ”をただ強化するだけで、どこまでいっても苦しみから抜け出す事なんてできない。
真の姿は見る事もできない。
自分を知ることなんてもっとできないんだと理解しました。
罪悪感に触れる事ができた!
それからは否定に聞こえていた男性上司の言葉がアドバイスに聞こえるようになったり、無責任だと思い込んでいた人からは責任感のある姿を感じられる様になり、不倫報道を見ても“激怒”する事もなくなりました。
苦しい事が目の前に現れても、
それはもう一つの世界がある事を知るための事象にすぎない事。
ただどう捉え、理解するか。
やっとそこに立てたと感じています。
そしてこのことを書いている今日という日が14年前、彼が家を出たあの日と同じ父の日の1週間前の日曜日でした。
リアルに感じながら書いたことであの日から目を背け続けた子供たちへの罪悪感に触れる事ができ、彼と同時に感じていた事も理解しました。
父の日を前に「父帰る」でした。
このタイミングで書けたことにミロスの粋な計らいと深い所で繋がっている事を感じています。