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いつかは直面する親の看取り。後になってから「ああしてあげればよかった」と後悔する人も多いのではないでしょうか。ご紹介する実証例は、ミロスの視点を得たことで、母親が生きた人生を丸ごと称え、感謝のなか看取ることができた体験です。

Nさん 50代 女性 【東京都】

この3月に母は84歳で人間界を卒業していきました。
昨年の夏に体調を崩して入院し、完治の見込みが立たず秋に療養病院に移った時から、遅かれ早かれその時が来ることを見据えた日々でしたが、ミロスに出会っていなければ、いろいろと受け止め方が違ったのではないかと今感じています。

2011年、父の他界と共に母は特別養護老人ホームに入所しました。
その時にはすでに認知症で、自分が結婚したことも、子供を産んだこともわからなくなっていました。
普通のコミュニケーションが取れない状態。そして、それは緩やかながら進行していきました。

それでも“自分の無意識を知っていく叡智”に触れていたからこそ、そのプロセスの中で気づかされることがいろいろありました。

後悔のない親の介護と看取り

昨秋、ホームを退所し療養病院に移った時には、グッと痩せてやつれ、その姿に直面していくのはやはり辛く、不安も起こるものでした。
でも、湧き上がる感情をそのまま認めながら、目の前を見ていきました。

もはや、全くコミュニケーションも取れず、動けず、視力もほとんどなく、ただベッドに寝ているだけ。ただ生きているだけ。
でも、「在る」と「無い」では全く違う、と確実に感じさせるもの。

役に立つとか立たないとか、実績がどうとか、アイデンティティが何だとか、そんなこと全部吹っ飛んだ、存在であるだけ、命であるだけのもの。
そこに息づく貴重さ。

生死を見つめさせ、言葉では伝えきれないような、なまの実感を体験させてくれたのは、「理想と無価値」や「優劣」のパターンでぐるぐるしたり、「オンリーワンが腑に落ちない」などとエゴが騒ぎがちな私への、母の最後の愛だったかもしれません。

別の側面から、母の存在もまた、自身のプロセスを深く体験しているのではとも思っていました。というのは、母の来歴によります。

母は保健師の資格を持ち、学校の養護教諭を務めたり、診療所や特養ホームで働いたりしてきました。その仕事を選んだ訳を尋ねたことはありませんが、母の背景を見ると、戦争などで兄姉を亡くしていたり、姉達に看護師や盲学校の教師がいたり、また若い頃からクリスチャンであり(父も)、「弱った人に手を差し伸べ癒やす」ということに志を持っていたように思います。

人生の前期には人のお世話をし、後期には人からお世話を受けるという両面を体験することで、「癒やす・癒やされる」ということの全体を探求するのが、母が自分で決めてきたプログラムではなかったのだろうか、と。

だから、母の臨終の知らせを聞いた時、「ああ、生ききったんだね、完了したんだね」と思いました。そして、プログラムを完遂し、苦しかった肉体の制限から解き放たれ、喜びに満ちて空間に拡がっていくように思えました。
なので、寂しさはもちろんありましたが、ひどく落ち込むことはありませんでした。

もしミロスを知らなければ、
「苦しくて惨めで、尽くしたのに報われない死だった…」
と思ったかもしれません。
また、「何もしてやれなかった」と、罪悪感に絡めとられていたかもしれません。

両親に感謝

葬儀は両親が通っていた教会にお願いしました。
その教会には会報があって、教会員が寄稿するコーナーがあります。
牧師さんが、20数年前に母が寄稿したものを見つけてくれました。

毎週礼拝に通っていた父と違い、母はあまり熱心に通っていなかったため、そういうものが見つかるとは思いませんでしたが、そこには「マイナスを受け取る」ということに通じるような思いが綴られていました。
もちろんミロスを知らないため、そうした事にぶつかって苦悩する思いです。

実は、父が亡くなった時も、偶然見つけた父の聖書への走り書きに、同質に感じるものがありました。
両親の時代には、宗教や哲学しかなかったのだから仕方ありません。それでも、プログラマーと真理を求め、愛と平和を求め、霊的進化(意識進化)を求めた姿に、熱いものを感じ、愛おしさを感じました。
私は確かにこの人達のDNAを選びたかった、そして生まれたのだと思いました。

葬儀の準備段階から、兄妹間で母の話がいろいろ出ましたが、私が忘れていることを妹はよく覚えていたり、その逆もあったり、感じている母像にずれがあったり、やはり「親を見る目」はそれぞれ違うということを改めて体感しました。

私が「強さ、厳しさ、向上心、使命感」のようなところに偏り気味に感じていたのも、妹の話によって知りました。
妹が見ていた母像は、「動植物を愛し、芸術を愛し、知的好奇心、豊かな優しい女性」。
「ああ…」と思った瞬間、母の全体像が、そして私の内なる女性性のバランスが整った気がしました。

葬儀屋さんが遺影の小型版をサービスでくれました。だいぶ前の元気な姿です。
長い間、老いやつれた姿に直面してきましたが、それを見た時、母が私の内側に還ってきたような気がしました。
かつての母の記憶がよみがえると共に、「ああ、こういう人だったんだ」と、新たな想いが深まりました。

今まで私は、ミロスに出会い小さな事象では変化を感じていましたが、もっと根本で何が変わったのかが分かりませんでした。
けれど、母を送ってみて、自分がしっかりと根本から変わっていることをリアルに感じることができました。何年もかけて根付かせてもらったものがあることを感じられ、感謝が湧きました。

ありがとうございます。

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