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  3. 執着が愛に変わる瞬間

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「50歳を目前にして、たった2か月で結婚!?」
世間の常識から見れば、まるで奇跡のような展開です。
けれど、その背景には“運命的な出会い”だけではない、深い内面の変容がありました。
彼女は長年、「なぜ私は恋愛だけがうまくいかないのだろう」と苦しんできました。
その原因は、相手でも年齢でもなく、自分の心の奥に眠っていた“幼い頃の思い込み”にありました。
母に「一番に選ばれなかった」という寂しさを無意識に抱え、それが恋愛の場面で同じパターンを繰り返していた――。
その構造を見抜き、認識が反転した瞬間、執着も苦しみも静かに溶けていき、新しい現実が動き出したのです。
これは、「愛されない人生」から「本当の愛を生きる人生」へと大きく舵を切った、一人の女性の感動の物語です。

Oさん

幼少期に刻まれた寂しさ

テレビから流れてきた「津軽海峡冬景色」の歌に、胸が締め付けられるようなせつない思いをしたのは3歳の時だった。

生きるとは、こんなにも悲しく、寂しいものなのかもしれない――まだ人生を知らなくとも小さな胸で感じていた。

あの頃、父は何日も帰ってこなくて、母と二人で不安な中テレビをぼんやり見てた時に流れてきた歌だった。

当時、母は身内のお葬式に行く為の電車賃もない、そんな切羽詰まった状況だった。

父親と最後に会った時、母は密かに家を出ると決めていた。出かけた先で父親は嬉しそうに母に洋服をあれこれ選んで買っていた。
それが父親を見た最後だった。

そこから母は私を育てるためにガムシャラに働きはじめた。
最初は託児所つきのデパート。母が迎えに来ると私は託児所のガラスにぶつかる勢いで走ってきたそう。(実際にオデコを何度とぶつけていたらしい。)

とにかく母が恋しかった。

そのうち母は夜の仕事をするようになった。小学3年生ぐらいから夜は一人でお留守番。学校から帰宅する夕方頃に母は出勤するので、大急ぎで学校から走って家に帰った。時には駅まで母を送っていき、母の乗った電車を土手の上から手を振って見送った。見えなくなるまでずっと。

それでも母に会えない日もあった。学校から帰って一人ぽつんと母の用意した晩ごはんを食べ、お風呂に入り、朝は母を起こさないようにそっと家を出た。

子どもだったけど、ちゃんとわかっていた。寂しいと言っても仕方ない事があるんだって。

繰り返される恋愛のパターン

そんな暮らしの中、母には次々と恋人ができた。
あるときは母の彼氏と一緒に3人で暮らし、あるときは私一人祖母の家に預けられて大きくなった。

母は私よりも彼氏を選ぶ。
いつからか自分は母に選んでもらえない子だと思っていた。

その寂しさを、私は演歌で埋めていった。
アイドルに夢中になった時期もあったけれど、演歌の心に染み入る感じが好きだった。

そんな中、縁あって私は伝承芸能の道に出逢う。
素晴らしい師匠にも出会い、演歌と伝承の芸の道へと自然に歩を進めていった。

芸能の道は、ゆっくりと、けれど確かに拓けていった。
私は歌手として独り立ちしステージに立ち歌うようになった。

だけど――恋愛だけは、どうしても上手くいかなかった。

いつも最後には悲しい別れがやってくる恋を繰り返し、気づけば五十歳を目前にしていた。

その頃の私は、一人の男性への執着心に苦しんでいた。

かつて恋人として過ごした日々、二人でいる時、彼は私だけを見て愛してくれていた。
芸能関係者だったので、いつもはファンに囲まれて愛をふりまいている人。
そして結婚には全く興味のない人だった。
未来が見えないことが、次第に私を苦しめ、私は自分から別れを告げた。
なのに――私の心は、彼を追いかけ続けていた。

「この想いがある限り、私は幸せになれない」
何度そう言い聞かせ、手放そうとしても、心は頑なだった。
離れようとすればするほど、執着は濃くなるばかりだった。

執着の原因を知る

そんなある日、「心のバランスを整えるための方法」というスクールを知り、藁をもすがる思いで私はその扉を叩いてカウンセリングを受けた。

どうしても忘れられない彼への想い。

けれど本当は、私は彼に執着していたのではなかった。

愛されたい、こっちを見てほしい。
本当に執着していたのは、母に対する子どもの頃の愛への渇望だった。

彼が私だけを大切にしてくれた、あの短い蜜月の記憶。
それは、私が生まれてはじめて「一番」にしてもらえた感覚だった。
父との記憶はほとんどなく、目の前の母に抱きしめてもらった記憶がない私にとって、あの時間は欠けた愛情が埋まったように感じられた、奇跡のような瞬間だったのだ。

だから私は、彼にしがみついていたのではなく、“一番にしてもらえた記憶”にしがみついていたのだ。

そのことに気づいたとき心に貼りついていた重たいものが、ふっと剥がれ落ちるような感覚があった。

そしてもうひとつ。
母もまた、私を育てるために、あの頃必死に働いてくれていた。
それも、別のかたちの“蜜月”だったのだ。

不思議なほど、彼への気持ちは薄れていった。
仕事で顔を合わせるたびに胸が締めつけられていたのに、今では心が静かだった。
まるで、長い夢から目覚めたあとのように。

思いが重なった“鏡”の時間

カウンセリングから一週間ほど経った頃のことだった。

仕事で顔を合わせるだけの、どちらかといえば苦手、、いや正直言って“大嫌い”な男性から食事に誘われた。
(なんで今さら……)と内心思いながらも、仕事上の付き合いだしと割り切り食事に行くことにした。

まさか、その時間が私の人生を大きく変えるとは、あのときはこれっぽっちも思っていなかった。

向かい合ったテーブルの真ん中に、鏡状のオブジェが置かれていた。
彼はふと、それをくるりと回し自分の姿が映らないように向きを変えた。

「僕は、自分の顔が嫌いやねん」

一瞬、何を言ってるのか分からなかった。
(え、けっこうイケメンやのに。なんで?)
戸惑いと同時に心の奥でふっと何かが共鳴した。
(私もや、、)

そう思った瞬間、不思議と彼の話に耳を傾けられるようになっていた。

時にはネガティブな言葉がぽつぽつとこぼれる。「自信がない」「社会不適合者」「女性恐怖症」――
普段ならドン引きしそうなワードが、なぜか心に抵抗なく入ってくる。
(それも、私やわ)と、気づけば頷いていた。

印象的だったのは、彼がふと口にした言葉。

「夫婦が同じ方向を向いて、人生を歩めたらええな。音楽の道を一緒に歩ける人と、生きていきたいって、ずっと思ってんねん」

胸の奥が、じんわりと熱くなるのを感じた。
(それ、私がずっと思ってたことやん)

不思議な時間だった。最初は嫌いだったはずの彼の言葉が、まるで私自身を代弁しているかのように響いていた。

そして、食事の終わり際。彼はまっすぐ私を見て言った。

「付き合ってほしい」

頭のどこかで「えっ、うそでしょ?」と叫んでいたけれど、それ以上に、心の中には確かに芽生えているものがあった。

“好き”という、やわらかくて、あたたかい感情が。

信じられないような展開だったけれど、その日を境に、私たちの交際が始まった。

想定外の結婚がすぐそばに

迷うことなくスクールのライフコース、そしてミロス実践コースへと進んだ。
自分を知ること――それは、頭で理解することではなく、“体感”として深く私の中に根を下ろしていった。

ライフコースの途中で、彼からプロポーズされた。
実践コースでは、もう婚姻届にふたりの名前を連ねていた。

カウンセリングを受けて、まだ二ヶ月あまり。
驚くほどのスピードで、私は「愛すること」を知り「愛されること」を知った。
そして、「誰かを愛したり愛されたりする」ことが、こんなにも安心とあたたかさに満ちた感覚なのだと初めて知った。

あんなに縁遠いと思っていた“結婚”がこんなに近くにあった。

彼は15歳年下――。

かつての私なら、想像すらできなかったかもしれない。でも、だからこそ思う。
自分を愛する道は、頭では考えられない想定外の世界を連れてくる。

彼は、結婚に向けて精一杯の準備をしてくれた。
新しい名字の私の判子をつくり、さまざまな手続きを整え、ふたりで過ごす住まいを探してくれた。
そして、ダイヤの婚約指輪を、私の指に似合うものを一緒に選んだ。

そして何より――
母が、この結婚を心から喜んでくれた。

親の愛が欠乏しているから、こんな人生なんだと思っていた。でもそうではなかった。本当はいっぱい愛されていた事を知った。

そして苦しみもがいてきたこともまた、自分が人生に書いてきたストーリーだったのだ。

人生の設計図を知る

父が去っていった、そしてたった一人の家族である最愛の母も私から去っていくように感じていた。
これがそのまま私の恋愛のパターンとなり、愛のかたちになっていた。

けれど自分の人生の全貌を知ることができた今、私は新しく生きはじめる事が出来る。

父の記憶はほとんどない私だけれど、パートナーを通して自分の男性性を知っていける。

なんて素敵なんだろう。

結婚という新しいステージ。

自分を知り、自分を愛し、パートナーを愛して、愛を体験してきたい。

あとがき

この体験は、年齢や環境といった“外側の条件”ではなく、意識の構造を理解することこそが、人生を大きく動かす鍵であることを示しています。

同じように、恋愛や結婚、家族との関係に苦しんでいる人は少なくありません。けれど、その根本には、幼少期に刻まれた思い込みが静かに作用していることがあります。そこに気づき、自分の内側に目を向けることで、人生は驚くほど変わっていきます。

“自分を知ることで人生を再創造する”ことができるという、希望に満ちた証です。
一人の変化が、周囲や社会へと希望を広げていく。

この体験は、その可能性を力強く物語っています。

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