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一昔前、お稽古事のチラシには、決まって「話し方教室」なるものが存在していた。人前で話すのにはどうしたら緊張せずに話せるのか?どんな言葉を使ったら…といった内容のものだ。しかし今、その看板は「コミュニケーションの取り方」に塗り替えられつつある。 大勢の人前で、話す…と言う以前に、人とどう接していいのか?人間関係をどのように築いて良いのかという生きるための基本的なことから教えてもらわなくてはいけないほど、人間同士の関わり方が難しくなってきているというのだ。 人もうらやむような良家に生まれ育ち、尊敬する母と同じ薬剤師の道を選び、絵に描いたような素敵な結婚をした中原圭子講師。何不自由なく過ごす幸せな家庭に生まれた待望の長男は、発達障害という強烈な自我とともにやってきた。こちらの意思が伝わらない、コミュニケーションがとれない、外にいても感情をあらわにする息子。気になる世間体、涼しい顔で頑張ってみても理想からどんどん遠ざかる苦しさ。この子はこれからどうなってしまうの?そんな八方ふさがりの彼女にMIROSSは、すべてを笑顔に塗り替える、魔法のような“答え”を教えてくれたという。

自慢の両親、理想の家族

父と母、美人3姉妹の末っ子として生まれた彼女。子供の頃「尊敬する人は?」と聞かれたら、すかさず「両親です」と答えるくらい親子関係も良く、心豊かに育ててもらったという。

子どもの頃、お客様が家に来ると皆さん本当に私たち家族を褒めて下さるんですね。親子みんな仲が良くいつも一緒に遊んだり出かけたり、そんな家族のひとりでいられることが私はとても幸せで、この家族が大好きでした。

姉は2人とも、身内の私から見ても美人で優秀、背も高くて学校では結構人気者で目立つ存在だったようです。末っ子の私は、いつも比較されていましたから、なんとか自分も姉たちがやらない分野で結果を出さなくては!頑張らないと、この家族の一員でいる価値がないとまで思っていました。

父は、サラリーマンでしたが性格は無口でちょっと頑固。でも、私の理想の男性像でもありました。母は、薬剤師をしていました。子どものころ、母が仕事をする場面を見て母のような薬剤師になりたいって、小学校の作文に書いていましたね。人を助けている母がカッコイイって思えて、とにかく父も母も、私には自慢の両親でしたね。

ところが、そんな母と思春期には関係性が悪くなってしまうんです。私は単なる反抗期だと思っていたのですが、MIROSSに出合って、母とコミュニケーションがうまくいかなくなった理由は、実は意外な所にあったと解ったんです。

実は、子どもの頃から活発で正義感が強かった私は、中学のときに総務委員に指名されました。その役の中で、あるとき担任の先生に反論したことを、家庭訪問で母に告げ口されたんですね。それを聞かされた母は、自分の子育てを否定されたことがショックだったみたいで、しばらくこだわっていました。私にとっては、その母の姿がショックで、母の名誉挽回と私の汚名返上がしたくて、担任の先生に私の事を認めてもらおう、いや、認めさせてやる!!くらいの勢いで一生懸命頑張りました。

この時私は、姉との比較や世間体の罠に完全にはまっていたとは知るよしもなく…そして大好きな家族の一員でいるために、自分の本音を押し殺して理想の誰かになる設定を無意識にしてしまったのでしょう。そして、この設定がその後の私の人生に大きく影響することになるのです。

私は平気よ!大丈夫!

頑張ることで認めてもらおうと生きていた彼女。やがて、その生き方はどんなことにもスキルアップをするという向上心と、どんな悲惨な状況も、たった一人で背負ってしまう、たとえ助けが必要な時でも笑顔で「大丈夫」としか言えない生き方を選ぶこととなったという。

学校を卒業した私は、母と同じ薬剤師という子どもの頃からの夢だった仕事に就きました。そして、もう一つの夢、父や母、姉たちと過したあの大好きな家族と同じ豊かで暖かな家庭を持つことができ、待望の長男も授かりました。ところが、その長男はまさかの発達障がいという受け入れがたい状況で私たち夫婦の元へやってきたのです。長男の発達障がいの診断は、私にとって社会からの排除宣言に聞こえました。私の腕の中で天使のように輝く笑顔を見せていた彼が、障がい児…。どうして?なぜ、我が子なのに丸ごと受取ってあげられない!どうしても許しがたい事実。頭では分かっているけれど、次々と湧き上がる不安、そして抵抗感。この子は普通じゃない…って。「障害」って、この子のどこが「害」なの!!

そんな、言葉にすら湧き上がる怒り。大学に進学するのが当たり前だと思っていたのに、大学どころか幼稚園もまともに入れてもらえないなんて。

想い描いていた理想の家庭が根底から崩れた気がして、私は初めて運命を憎みました。

息子が小学校に上がるころ私は、相変わらず障がいのある子どもを産んでしまった自分を責めながらも、受け入れてもらえない学校を変えようとPTAの活動に積極的に参加しました。何とか子どもが普通の学校に在学できる権利を勝ち取ることはできないものか…私の頭の中は常にそのことばかり考えていました。本当は肉体的にも精神的にもボロボロだったと思います。でも、弱音は吐けない。今、私が弱気になったら社会の王道から外される、そのことが一番の恐怖だったからです。

どうして普通の子に生まれてくれなかったの?心の中で私はそう叫んでいたはずです。でも、そんな様子はみじんも見せず笑顔で頑張るもう一人の私。親にも姉妹にも本音を打ち明けることなく、湧き上がる不安と恐怖から逃れるために、どんどんPTAや社会活動にエネルギーを向けていきました。

人生のパラダイムシフト!!

そんなとき、追い打ちをかけるように、彼女に子宮頸がんの診断が下された。そんな過酷な状況でも、彼女は気丈にも、迷わず子宮全摘出の決断をしたという。

迷いはなかったですよ。「じゃあ、取ってください」って。私が病気になっている場合じゃない。だって、この子を普通の学校に入れるためなら何でもしようと思っていましたから。

でもね、そこまで我が子のために必死で生きて来た私も、過去に何度か息子を殺して私も死のうかと思ったこともありました。障がいというのはこちらの都合でどうにかなるものではありません。嫌なものはイヤ!!と所かまわず感情をあらわにして泣き叫ぶ息子。想像つきますか?小さい時は口を押さえて抱えて帰ることもできるけど、身体が成長してくるとそうも行かない。ストレスの表現も過食を繰り返したり、して欲しくない行動ばかりが目についたり、分かっていてもどうしても許せない。耐えきれなくなって、手を挙げてしまった私に「お母さん、ゴメンナサイ、大好き」という彼。この時ばかりは襲いかかる罪悪感と出口の見えない苦しさに、押しつぶされそうになりました。しかし、そんな時ですらいつものように「大丈夫よ。何か問題でも?」って笑顔で頑張ってしまう。と、いうかその他の生き方ができなくなっていたというのが正しいかも知れません。

そんなとき、友人の誘いでMIROSSのセミナーに出かけて、衝撃を受けたのです。

これが答えだ!!って、すぐ分かったというか感じましたね。そうか、そんな仕組みになっているならうまくいくはずがないじゃないって、全身の力が抜けるほど衝撃的でした。「何か質問は?」って聞かれてもすべてが終わったこととして聞こえてしまい「自分の中に、もう何もなくなりました」って自然と口からそんな言葉がでてきていましたね。

すぐに「これはみんなに伝えなきゃ」って、セミナーの主催を手伝ったりして…今思えば、よほど必死だったんですね。ボロボロなのに笑顔で頑張り続けていたから全く自分が分からなかった。感情を閉ざしていることも、頑張っているとすらも気が付かない位、自分を無視していたのでしょう。心がカラカラだったからパン!って入ってきました。

実は、ずっと頑張りながら、私の本心はどこかで分かっていたような気がします。何が渦巻いているんだろう、この世の中に…きっと何かがあるはず!何か答えが…って。だから見つかりそうなのに見えない、その“答え”にやっと出合えた感じがしたのを覚えています。

その念願の答えに照らし合せると、私は今まで権利を主張し、義務を果たし、ここから社会を変えてやる!分かってくれない社会はみんな嫌い!! そんな思いを笑顔で隠して活動していたと分かったんですね。すべて私の出しているエネルギーは攻撃でした。一生懸命頭を下げて、謙虚にやっているつもりでも、こちらは必死だから分からないんですね、それが相手を攻撃していただなんて。攻撃なんて滅相もない、どうしたらわかってもらえるのか?こんなに一生懸命やっているのに、どうして私がこんな思いしなくちゃいけないの?って完全に被害者意識で悲劇のヒロインだったんですもの(笑)

私がそんな抑圧的なものを抱えて活動していたなんてMIROSSのシステムを知らなかったら理解なんてできなかったことです。結局、戦っても頑張っても、最終的には何も生まれないんですよね。だって言葉の奥に隠れているエネルギーや、毎日見ているその現象に関係性のトリックがあったなんて、今まで私たちは誰にも教えてもらったことがないんですから。

私の中の戦いが終った

MIROSSに出合った彼女は、事あるごとにシステムでその人生を紐解いて行ったという。なぜこんな人生だったのか?何をみているのか?そしてとうとう、自分の本当のストーリーに立ち返ることができたのです。

私は学生時代、演劇をやったり、原稿をスピーチする代表だったり放送部のアナウンスをしたり、どこか自分とは違う何かを演じて過していたんですね。だから、MIROSSに出合って私はこういう風にできていたんだって解った時に、もう笑うしかなかったです。言葉を使って、きれいに上手に表現するということだけを求めて来たけれど、それはホントに親に認めてもらうためにやっていたんだと理解できました。評価されて、この家族のこのポジション、家族の一員であることを守り続けるためにやっていたんだって。しかも、それは私の勝手な思い込みで、親は何かができるとかできないなんて関係ないんですね。あるがままの私を本当は心の底から愛してくれている。

それがわかった時、私の中の葛藤という戦いが終った感じがしました。そして、息子は私の笑顔の奥に押し込んだ「私を認めて!」「どうして分かってくれないの?」という心の叫びを映す鏡なんだと分かったのです。

そう思ったら、なんだ、それだけ?って。そんな風に私の中の戦いが消えた時、彼の表情が全く変ってしまったんですね。その時に、やっぱり彼の笑顔が一番だとしみじみ思いました。この子は、この笑顔で人を癒して幸せにすることで生きて行ける!彼が生まれた時、私は確かにそう確信していました。そんな話を思い出すと、それを証明してくれる人とも出会って、本当に夢みたいな話ですけど、彼がこの笑顔で自立できる方法があったということも分かりました。「笑顔で自立なんて、どうやって?」と思いますよね。でも、思い込みで無理だと考えていたこともMIROSSの視点からみたら必ず答えがあるのです。答えを受取って、進んで、ふりかえったら多くの人が笑顔になっていて過去の荒れた土地に花が咲くように皆が笑っているんです。訳も分からずがむしゃらに頑張っていた時は、そんな風景は見えなかったのに、ただ、シンプルに自分が幸せになって笑顔でいられたら周りも変って道が開けて。今、多くの人と幸せに暮らしていることが自然にできていくこの人生に感謝しかありません。人はみな、幸せを“味わって”生きるために生まれてきたと思います。その真実をしっかり受け取れたこと、そして手渡して行ける…この子の親になって本当に良かったなと思いました。

講師からのメッセージ

私は自分の息子を通して、本当のコミュニケーションが何なのかを知りました。

今まで人間は、本当に伝えたい気持ちを押し隠しながら別のエネルギーで戦って生きて来たのです。子どもの発するメッセージも本当の意味が分からずに表面的なものだけで悩まされて来たけれども、そこに隠されている真実を知る術がここにはあったのです。その苦しさから脱出する方法がここにあります。私たちの生きて来た今までの世界は思い込みと偏見だらけで苦しかったですよね。でも、もう世間体や偏見にもごまかされない、真実を手にして生きていく時がやって来ました。

私は息子の本当のあるがままを愛せたとき、私自身を許せたというか本当に自分自身がこれで良かったって心の底から湧き上がる感謝と安心感の中で思えたのです。私が悪い訳でも、彼が悪い訳でも、社会が悪い訳でもない。誰が悪い訳でも無かったのです。

目の前のその人は、あなたがあの日抑圧して心の奥に閉じ込めた、そんな気持ちを映してくれるピカピカの鏡なのです。元々の自分の輝きであなたがいられたら、目の前の世界も同じように輝いていてくれる。あなたが苦しかったら、目の前は声を上げてあなたの心の奥の奥を教えてくれる。あるがままの自分の姿をこんなにも素直にみせてくれている、大切な存在だったのです。

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