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(F・Tさん 70代女性 大阪府在住)

“孫をこの手で抱いてみたい!世話をしたい!”この思いが自分の諦めていた手術に向わせてくれました。
父に感じる“顔の記憶もなくて、名前だけのお父さん”が愛情いっぱいの父の姿に変わり。
頑張って働く厳しい母の姿は子ども思う母の愛情へと変化する。
自分の思い込みが作った両親への記憶が“愛”へとぬり変わり、彼女の人生は新しいスタートをきったのです。


『生まれ変わった私』

昭和21年に生まれた私は戸籍の上では、4人姉妹の末っ子で生まれました。
でも上の姉たちとは父親が違います。
3女が生まれて11ヶ月の時に姉達の父が亡くなったので、戦後のきびしい時代に3人の子どもを抱えているのは辛いだろうと言うことで、母方の叔母の紹介で母は今の父と出会い再婚を薦められて、私は生まれました。
事実上は戦後のドタバタで父に戸籍を入れるように任せていたのですが、籍を入れずに過ごし途中籍を入れようとした時には、母が結婚生活する気にならず、結果籍を入れないうちに別れてしまいました。

そんな私がお友達との話しの中で、入院生活の話をしたときのことを表現して見たらと言う事で…書いてみます。

私は生まれつき先天性股関節脱臼で、加齢に伴って足の開きが悪く、背中はいつも鉄板のように堅く感じ、最近では上を向いて眠った事がありませんでした。
でも、それが生まれた時からずっとそうだったのであまり考えてもいませんでした。

そんな私が、2016年の11月に股関節の手術をしたのです。入院生活は38日でした。

今まで手術出来なかった理由が色々ありました。
誰の世話にもなりたくないし、自分ひとりで生きているつもりだし迷惑かけるぐらいなら死んだ方がましだ。迷惑かけられない自分。
“人の世話はしますが、人の世話にはなりたくない!”甘えられない自分がいました。

そもそも自分がこの体で生まれたのだから仕方がないと諦めていたのだと思います。
もちろん、手術に対する怖さも手伝ってする気になれなかったのも事実です。
手術からも逃げていたのです。

しかし、今回決心がついたのは、孫が生まれたことがきっかけになりました。
“孫をこの手で抱いて見たい!世話をしたい!”
その思いが今まで持っていた概念をつぶしてくれたのだと思います。(決めた事で動けた)
やっとこの年になって手術を受けいれました。
今まで行きたいところもイロイロありましたが全て無理と決めつけて行動していました。
自分の中の小さな枠の中で生活するだけでいいと思っていました。
やって見よう!何とかなるかもしれない!
新しい自分に出逢えるかもしれない。

手術がゴールのように思って臨みましたが、本当はそこからがスタートだったのです。
股関節の人口関節置換手術は両足で6時間位かかりましたが、輸血もせずにすみました。
術後目覚めた私は全く身動きがとれず、誰かの助けがないと何一つできませんでした。
人様の世話にだけはなりたくないと豪語していたのに、このありさまです。
入院して初めて分かったことですが、人間は日常生活の中で、もっとさかのぼれば、生まれた瞬間から、色んな人の支えがあって今日がある…
なのに、誰にも迷惑かけず一人で生きてきたと言うとんでもない勘違いでした。

今まで足の痛みを感じたことがなかったのに、逆に手術をしてリハビリが始まり、麻酔が覚めて2日ほどが本当に痛かったです。
母に対して初めて“こんな体に誰が生んだのよ”と、今まで感じないようにしていた“暴言”が出てきたのです。
自分の中で抑圧していた言葉を吐き捨てるように出てきたときにやっとスッキリしました。
今までは母に対する気持ちも、好きでもなく嫌いでもなく考えていなかったからです、と言うよりも見ないようにしていたかもしれません。
やっと自分に向き合いました。

そこからは、痛いけれどもリハビリに耐える事が出来て、今度は楽しくなって行きました。
今まで出来なかった“上を向いて眠れる”それが出来るのです。奇跡です!
開かなかった足が開きます!奇跡です!(それも手術をしたから解ったのですが…)
お風呂も入り易くなりました。(浴槽をまたぐことが出来るから)
全く今までと違うのです!

病院では姉たちや姪たちが、お見舞いに来てくれました。
仕事帰りに息子も来てくれてゆっくりと話せました。
私にとって、こんなにゆっくりと話せた事は一度もありませんでした。
血の繋がりって良いなあとつくづく感じたのでした。

そして、病室のベッドでまだ十分動けなかった私は、父や母の事も思い出したのです。
男性の看護師さんに面倒を見てもらっていたときに、私が赤ちゃんの時は父親がこんな風にオムツを替えたり、面倒みてくれていたのかな??とか…・。
私には父の思い出があまりありません。
バクチばかりをして働かなかったので母から聞く父の悪口しか知りませんでした。
ミロスを知って自分がどれほどの確率で生まれてきたのか!生まれてきた意味。
生まれてきた奇跡をこれほど思いっきり感じた事はなかったです。

考えて見たら初婚の父が3人の子持ちの母と結婚しようとした訳ですから、その事を考えると本当は優しかったのではないかなと思います。
姉達の記憶によると勉強も教えてくれたと言っていましたし…。
父への思いを病室のベッドで感じることが出来ました。
今まで私の口癖は“顔の記憶もなくて、名前だけのお父さん”でした…今なら解る。

そして母は一言で言うと厳しい人、父が働かなかった分、よく働いていました(結婚せずに別れたから)。
忙しすぎてあまり話しも聞いてくれません。(いくら言っても意見が通ったことが無かったですが…)
自分がしたことは、自分で何でも責任もってしなさいと言われていました。
忙しい母に迷惑をかけてはいけない、姉達にも迷惑かけてはいけない。
一人で何でも頑張らなくてはいけない。
いつもいつも怒られないように…そんな風に過ごしていました。

母に聞いてみたことがありました、それは「子どもが4人もいて大変だった?」と聞いて見ると、
「亡くなった夫に子どもを頼むと言われたので当たり前のこと、手放す気なんてなかったからね」と母は言いました。
私さえ生まれてこなければ、もう少し楽に出来たのではないのかとよく思っていたからです。

当時は、子どもを他人に養女として育ててもらう事も沢山あった時代。
両親が別れる時に私の認知だけはしたいと言った父の申し出を断り、父を奪ったことで母を恨んでいました。
更に小学校に入学する頃に、一度だけ娘を引き取りたいと言ったけれども断ったそうです。
母の申し出に従った父もずるいし逃げたと思っていたけれど、それも愛だと感じられました。
母もなんとしても育てたい一心だったのだと思います。これも母の愛だと今なら分かります。

それを思い出して“ああ~~私は両親に愛されていたんだ”と感じ胸が熱くなりました。
今まで、触らずに見ないようにして生きていました。

両親を見てみないと…
両親を認める??自分を認める??
今まで何も見ていなかった事がつくづく分かりました。

自分の人生を改めて見てみると、迷惑をかけないように頑張って頑張って生きてきました。
こんな自分を認めて褒めてあげたいと思います。
私が私に表彰状をあげたいと思います。
この自分で良かったと…しみじみ病室で感じたのでした。

ミロスを知って10数年がたちました。
両親の気持ちに触れてみてようやく親の愛に気づき感謝でいっぱいです。
孫が出来たことで諦めていたことにもチャレンジし、新しい自分に生まれ変わることが出来ました。
謙遜をモットーに生きてきた片側の強烈な“傲慢”も初めて見えました。
今は何を見ても有難く、どなたを見ても愛おしくて、感動の連続です。

今、家族に支えられて生きています。
“私がこの両親を選んだんだ!良かったよ…ありがとう”本当に幸せです。
そして、ミロスに“縁”を繋ぎ、見守り育んでくださった全ての皆様に感謝しかありません。

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