(I・Hさん 60代男性 愛知県在住)
“父親との関係性が自分の周りの男性に映る”とミロスでこんな話を聞いたばかりのころ…。
自分と父親とのコミュニケーションのとれてない姿こそが、自分と息子との関係性と同じだ。
父にみる“威圧的・独断的”だと感じる姿こそ、子どもを思う父親の精一杯の愛情の現れだと理解。
父親のいつも言っていた “ちゃんとやっとるか?”の言葉の重みを知り感謝が生まれた。
気づいたその日からずーと息子とは普通に会話ができている…。
『父の想いと、子の想い』
今まで「体験談を書くほどの事はないなァ」と思っていました。
他の方が書いた記事も、たまに読む程度でした。
でもこの夏から時間のある時には、体験談を必ず読むようにしていきました。
読み進むうちに自分が体験した事と照らし合わすようになり、徐々に思いだしたことがありました。
“ミラクルは起こってました!”
それはミロスに出逢ったばかりの12年ほど前の事になります。
当時はパートナーと三人の子供(長男、長女、次女)の5人暮らしで、喧嘩こそしませんが長男とのコミュニケーションが殆ど取れていませんでした。
その頃、長男は専門学校を卒業し、ダンスのレッスンとバイトとの掛け持ちで夜遅めの帰宅の毎日。
帰宅した長男に“おかえり”と言うと“うん”、
“今日何かあったか?”には“別に”と…
それ以上の会話は無く、そそくさと自分の部屋に消えて行ってました。
長男はパートナーや娘たちとは笑っていろんな話をしているようですが、私とはほとんど会話はありませんでした。
“父親との関係性が自分の周りの男性に映る”
とミロスでこんな話を聞いたばかりの頃でした。
思いだせば…
自分自身も父に関しては小さい頃から“威圧的・独断的”というイメージが強くあり、自分からは積極的にコミュニケーションをせずに避けていました。
大学進学・派手な結婚式とすべて父の言いなりとなり、地元飲食会社への就職は自分で決めましたが、それでも結婚式の日程は仕事の繁盛期も無視して決められてしまいました。
今から思えばこの結婚の半分は“父からの逃避”だったかも知れません。
結婚してからたまに実家に行くと“ちゃんとやっとるか?”と毎回聞かれることが鬱陶しくて、子供が生まれるまで実家に行くのは年に数回になっていました。
気づくと
飲食店の店長になる頃には父とは普通に会話している自分がいました。
系列の店に両親を招待して食事をしたりと自然とコミュニケーションもとれていたんです。
その後、転職・借金・転職と、やること成すことすべて上手くいかなくなり、父には借金の肩代わりになって貰ってから顔を見る度に“ちゃんとやっとるか?”と言われるようになり、また実家への足は遠のいて行くようになりました。
それでも両親の誕生日にはプレゼントを持って行ったり、行けないときは電話をしたりしていました。
12年前の父の誕生日に“おめでとう”の電話をすると“ありがとうな、どうだちゃんとやっとるか?”と…
“ちゃんとやっとるか?”…
父のこの言葉を聞いた瞬間に胸が熱くなり、いつも見守ってくれて、心配してくれて、そして愛情いっぱいに育ててくれた父に感謝の気持ちが沸き上がってきました。
10人兄弟の長男として祖父と離婚した祖母を支えながら行きたい学校へも行けず、裸一貫で始めた商売も伊勢湾台風の煽りで辞めることになり、今度は私や妹のために一生懸命に新しい商売を手掛けて育ててくれました。
進学や結婚式は自分と同じ辛い思いをさせたくない“父の愛情”だったんです。
この時 “こちらこそいつもありがとう”と自然に言葉が出てきました。
その日の夜のことです。
いつものように長男が帰宅すると“ただいま~お父さん今日こんなことがあって…”と普通に(笑)話かけてくる長男がいました。
12年経ったいまでもその関係は続いています。
『子を持って初めて分る“親心”』
子供の頃は“子供の目線”
親になってからは“親の目線”
その時の自分の立場で一方方向からしか観ていなかったんです。
ミロスがなければ両方の目線で観ることは出来ませんでした。
家族と…
今とっても幸せです。