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人生どう生きるか?永遠のテーマに答えがある。ある調査によりますと「やりたいことがわからない」「どう生きていけば良いのかわからない」という悩みを抱える若者が増えているようです。しかし、これは若い人に限ったことではなく、子育てが終わり、子どもが家を巣立ったあと生きがいを見失った母親の空の巣症候群や、定年退職後の第二の人生に不安を抱える熟年夫婦など、ある意味「どう生きるのか」というのは人間にとって永遠のテーマといっても過言ではありません。

竹原恵子講師も以前は「自分は何のために生まれてきたのか」「何がやりたいのか」と探求していました。しかし、ミロスに出合い、“本当の自分自身”を知らずに生きていることに衝撃を受け、さらには自分を取り巻く事象にはそれをつくり出した仕組みがあることを学んでいくうちに、それまで抱えていた問題が終わり、心からこれしかない!という道が開けたのです。現在、ミロスアカデミー講師となり、目の前で受講生が変容し、幸せになっていく姿を見るたびに自分の使命に喜びを感じると言う彼女。ここに辿り着くまでにどんな体験をしてきたのでしょうか。

幼少期の〝思い込み〟がつくり出す人生

なかなか子宝に恵まれなかった両親にとって待望の第一子。彼女は幼い頃から活発で、正義感が強く、誰に教わるでもなく「世界の平和」を願っていたという。しかし、身内の確執や言い争う両親の姿に深く傷つき、やがて心の葛藤がつくり出す人生に振り回されていく。

幼い頃は、父が元々一人で住んでいた小さなアパートに両親と弟の4人で暮らしていました。裕福ではなかったものの、倹約家の母のお陰で日常生活に不自由さを感じたことはありませんでした。でも、ある日、父から「男の子が生まれると思っていた。命名も男の名前を考えていた」と言われ、私の心は一瞬で曇りました。「女の私は価値がない」「私は愛されていないんだ」と思い込んでしまったのです。

当時のアルバムを開くと、いつもパンツスタイルのボーイッシュな私が写っています。無意識とは言え、女を否定し父が望んだ男の子を演じていたのかもしれません。

父母との関係が人間関係、恋愛、お金にも影響していた!

小学校に上がると、勉強もわりとできる優等生で、学校生活もそこそこ楽しんでいたと言う。しかし、ある時、親族間でトラブルが起こり、母は実母に会いに行かせてもらえなくなったのです。

その事で両親は言い争うようになり、私は、いつも怒鳴ることで話を終わらせる父を嫌い、泣いてばかりいる母を守らなければ… と思うようになりました。そして、母をこれ以上悲しませないように自分の本音を飲み込むようになり、母が喜ぶことばかりを考えているうちに、自分の本当の気持ちがわからなくなっていきました。

でも、そんな私にも楽しみがありました。それは母と2人でこっそりと祖母に会いに行くことでした。とても嬉しそうな母を見ていると私まで幸せな気持ちになり、母と秘密を共有することで、母の信頼や愛情を得ているという満足感がありました。これはミロスを知ってからわかったことですが、私は母との〝親密な関係〟に依存するようになり、友人関係でも同じように〝親密さ〟を求めるようになっていったのです。

常に私だけを見て欲しくて、親友が他の子と楽しそうにするだけで嫉妬しました。まるで恋人をとられないように見張っているような感じでした。どんな事でもわかり合いたかったし、どんな私でも認めて欲しくて、親友を試すようなこともしました。親しくなればなるほど相手との距離感がわからなくなり関係性が壊れてしまうという繰り返しでした。

一方、父に愛されていないと思い込んでいた私は、自分に対する存在価値の低さ故に、恋愛でもどこか不安でした。相手の言動から「愛されていない」と感じるものばかりを拾い集めてしまうため、私もその人だけに向くことはありませんでした。

短大の頃はバブル前の華やかな時代で、サークル活動や、テニスにスキー、飲み会と、一気に私の世界は広がり、出会いも多く、本命以外にもボーイフレンドがたくさんいました。社会人になってからも居心地のいい男性が周りにいる状態をつくっていました。それほど愛の欠乏感が大きかったのです。

相手は、地位のある人や、経済力のある男性が多く、どれだけ貢いでくれるかが愛情のバロメーターになっていました。今思えば、経済力のなかった父を反面教師にしていた私にとってお金は〝男の価値〟であり、私の欠乏感を埋めてくれるものでした。そして、どんな私でも愛してくれる人を求め、究極のわがままを言って相手を試すようなこともしました。醜い部分も受け入れてくれる人なら大丈夫だと思っていたのです。

また、私自身も〝お金〟に執着していました。倹約家の母の教えもあり、大学生の頃からアルバイトで稼いだお金のほとんどを貯金していました。実家ではお金に制約があったため、自分で稼いだお金に自由を感じましたし、稼ぐことで父を見返した気にもなっていました。しかし、この先の人生で、せっせと貯めたお金を最悪な形で失うことになってしまうのです。

パートナーとの出合い、結婚の大誤算

金融機関ではトップクラスの企業に就職できたものの、大きな失敗やミスを繰り返し、苦労の連続だった彼女にとって頼りになる先輩が将来夫となる人でした。経済力があり、家柄も良く、この人なら安定した結婚生活が送れる! そう思っていましたが…。

困った時、一番に相談でき、頼れた先輩が今の主人です。彼は、父とは真逆のタイプに見えましたし、わがままも聞いてくれるし、羽振りよく私にお金を使ってくれたので、愛されている実感がありました。この人なら〝お金に困ることはない〟という打算も少しあり結婚したのですが、結局、父と同じく経済面が弱かったのです。

夫の実家は京都北部の旧家の本家、そこの長男で、結婚前から家のしきたりや慣わしに戸惑いました。夫の祖父は地元の権力者で親族も個性派ぞろい。酒癖が悪く男尊女卑思考で居心地は最悪。20代の世間知らずの私は、ただ笑ってやり過ごすしかありませんでした。

結婚して一番ショックだったのは夫に数百万円の借金があったことです。彼は結婚前から、カード払いとキャッシュローンに頼っていたらしく、結婚のタイミングで両親に返済してもらったのですが、その後も繰り返していたのです。

私が妊娠中、つわりに苦しんでいるというのに、またもやギャンブルで借金していたことを知った時は、「裏切られた!」と、はらわたが煮えくり返るほど怒りが込み上げました。私が一生懸命貯めてきたお金を、夫の借金返済で全額失うことになり、恨んでも恨み切れない思いで夫の実家に暴露しました。

でも、その一方で、私はこの不幸を逆手に取り、夫を完全に悪者にしました。まさに復讐の始まりです。〝被害者〟という印籠を振りかざし、夫婦関係では主導権を握り、夫の親族に対しても「可哀想な妻」を全面に押し出し優位に立ったのです。

夫の実家は鬼門

結婚当初から神経をすり減らすことだらけで、夫や親族への抵抗感は大きくなるばかりだったと言う彼女。夫の実家に帰省するたびに様々なアクシデントが起きていました。

私一人だけ食中毒になる。飼い犬に噛まれる。階段から落ちて大怪我をするなど、毎回あり得ない事が起きました。子どもが生まれると、災いは子どもに移り、急な発熱で救急病院に駆け込むこと数知れず。花火の火が足もとに落ちて大火傷したり、カメムシを口に入れて咳が止まらなくなったり、事件や事故が絶えませんでした。

育児についても、親族からプレッシャーをかけられ、長男にはスイミングや右脳教育、その他にも家計を圧迫するほどお金をかけました。同じ教室に通う子どもの親とも積極的に関係性をつくろうと努力もしました。今だからわかりますが、当時の私は優秀な子どもを育てた母として手柄を立てたかったのです。

しかし、英才教育も第2子の死産によって終わります。安定期に入った我が子がこれ以上育たないことを医師に告げられ、喜びのないお産を経験したのです。本当はもの凄く辛いはずなのに、私は自分の感情に触れるのが恐くて、妙な解釈や言い訳で自分を納得させていました。

33歳で長女を出産した時は、元気に育ってくれるだけでいいと思い、自然食や良いものにこだわった育児に励みました。しかし、長男が9歳の時、得体のしれない病を発症し、病院で検査しても病名すらつかず、西洋医学から東洋医学、そして同種療法を試していく中でミロスに出合いました。

「これしかない!」ひとつのシステムで人生が変容

自己啓発や資格試験など、いろんな事を勉強していた彼女にとって最初はミロスもその中の一つでした。しかし、学んでいくうちに人生が明らかに変化していることに気づき、他との決定的な違いを感じたのです。

衝撃だったのは、幼少期の自分の勝手な思い込みで人生をつくり上げていたことでした。「男の子かと思った」という父の言葉を否定的に捉え、「私は愛されない無価値な人間だ」と自分が思い込んだことで、その通りの世界を見ていたのです。今まで父のせい、夫のせいにしてきましたが、自分の無意識の葛藤が映し出された世界であることをシステムで理解することができました。夫の親族の男尊女卑的な扱いも、私が自分の価値を下げていたからだとわかったら、舅や叔父たちが勝手に変わり、女性に対して感謝の言葉を口にするようになったのです。「えっ! こんなに簡単に変わってしまうの?」と、あまりの軽さと速さにびっくりしました。

そして、ミロスで〝本当の自分自身〟を知っていくことで、どんな自分(状態)でも、何も欠けていない完全なバランスで存在していることを知ると、我が子の見方も変わり、ありのままを愛せるようになり、育児が変わりました。今までは自分のコンプレックスや不安を子どもで埋めようとしていたことにも気づけました。すると、子ども達はのびのびと自分のやりたい事を楽しむようになったのです。また、死産経験で封印した感情を夫婦で味わい、どんな形でも親に愛を教えてくれた子どもに感謝が溢れると、長男から「生んでくれてありがとう」と感謝のメッセージをもらうという素敵な体験もしました。自分の中から葛藤が消え、自分を愛せるようになると、家族や親戚まで変わっていき、帰省する度に起きていたアクシデントもなくなりました。

一緒に超えるために出合った究極のパートナー

夫と私は全く違うと思っていた彼女。しかし、パートナーに噴き出す感情をキーに、互いに自分を知っていくことで、夫婦は全く同じであることがわかっていきました。それは衝撃の連続でした。

本家の長男である夫は、周囲から期待され大切に育てられますが、その分、制約も多く、妹たちと比べて非常に窮屈な扱いに不満を抱くようになり、自分だけが愛されていないように感じていました。父親の一声で当時は珍しかった私立の中高一貫校に入学した彼でしたが、校風に馴染めず、何がしたいのかもわからない。日々、自分への無価値感は増すばかり…。その内こんな環境へ追いやった親や親族を恨むようになり、高校卒業と同時に家を出るとパチンコにはまり、借金を繰り返しては実家のお世話になっていました。

一方の私も、自分に対する無価値感を埋めようと、お金や人間関係に依存して生きていました。私たちはどちらも「愛されていない」「こんな自分ではダメだ」という傷を持っていたのです。そんな2人が結婚して上手くいくはずはなく、ギャンブル依存に借金、子どもの病など様々な問題をつくり出しました。さらに私は、夫の尻拭いをする健気な妻として自分の価値を上げようと、依存者(夫)に依存する〝共依存関係〟に陥っていたのです。

幼い頃から母を守ろうと自立に傾いたことで、心の奥底に隠した〝甘えたい〟〝頼りたい〟という私の依存心を、ギャンブル依存の夫が映し見せてくれていました。その仕組みを知った時は本当に衝撃でしたが、その姿は、夫の心の奥底に隠した「どんな僕でも愛して欲しい」という切実な心の叫びであり、同時に私も心の奥底ではそう叫んでいたことに気づいたのです。自分では絶対に知ることのできない自分を教えてくれた夫に、じわじわと愛おしさが湧き出し、私の中から怒りや恨みは消えました。

こうして夫婦ともに間違った思い込みでつくり上げた人生から抜け出すことができたのです。被害者という印籠を手放せた時、私の中に父の愛が蘇りました。子供の頃にすべりこんだ父の膝のぬくもり、お風呂上りに耳を拭いてくれたごつごつした手… 本当は大切に愛されていたことを思い出し、そこから人生はみるみる変わっていきました。夫のギャンブル依存は終わり、あっという間に借金は完済できたのです。

講師からのメッセージ

私が自分の道を見つけることができたのは、幼少期の親子関係でつくられた「愛されない」「無価値な自分」という〝間違った自己イメージ〟をリセットできたからです。実は自分が 〝父や母に何を感じ、どう捉えたか…〟それが自分自身の評価になり人生をつくっているのです。まさか! と思うかもしれませんが、人生のうまくいかない事象をミロスのシステムで紐解くと、自分が自分に対して間違った情報を与えていることがわかります。私も無価値な自分という思い込みから、自分の価値を上げるために様々なトラブルを引き寄せ、その人生に振り回されてきたのです。

でもミロスを学ぶことで、そのバカバカしさに気づき、思い込みを外し〝本当の自分自身〟に戻っていくことで、やりたい事が心の奥底から溢れ出てきました。それが〝自分の道〟になり今の私が在るのです。

皆さんも本当に望んだ人生を歩んでいきませんか? 今まで体験したことのない世界へ、私がナビゲートいたします。

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