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  4. もう幸せになるしか無い「44才からの結婚」

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流行語大賞にまで選ばれたアラフォー(around 40歳)。今、彼女達をターゲットにした雑誌や商品が売り上げを伸ばしている。 女性にとって40歳前後は、結婚、出産、仕事についてある最終決断をしなければならない特別な時期でもあり、その選択は「人生の幸せ」を決定づける重要なものであるとも言われている。 特に団塊ジュニア(1971~76年生まれ)は人口も多く、就職氷河期というダブルパンチで「ビンボーくじ世代」とも呼ばれているせいか、人生の岐路に立っている彼女たちに向け「最後の幸せ」の選択肢に経済が動く傾向になっているのだ。 国勢調査(10年)によれば、アラフォー女子の3.5人に1人が独身という現代。 松本講師もその一人で「世界中の全ての女性が幸せになっても自分だけは幸せになれない」という強烈な罪悪感を抱えて生きていたという。 しかしMIROSSに出合い、人生で繰り返される悲劇の「真実の原因」を知った途端、全てが紐解かれ人生までもが蘇生した。 彼女はどのように「諦めていた幸せ」を手に入れ、そして今、何をメッセージしているのだろう。

こんな私のどこが良いの?…

自分を好きになれない、こんな私じゃだめ…コンプレックスは誰にでもあるものです。 松本講師はずっとその自分との関係性で悩んでいたと言います。

本当に私はずっと自分が嫌いでした。子供の頃の私は天真爛漫そのもので、遊びが大好き。 運動神経も良かったから、いつもリーダー的な子で毎日がパラダイスにいるみたいだったのに、 家族と親戚間のいざこざで突然引っ越しを余儀なくされたり、親の都合を押しつけられたりしているうちに、 すっかり人の目が気になって、自分をうまく表現できない子に変わっていたんですね。 挙句の果てには友達関係をうまく作れなくなっている自分に悩み始める始末。 そして大学という新天地で親元を離れ、自由にやるぞ!と全ての支配から逃れたかのように思えた場所でも 相変わらず友人関係をうまく構築することができない自分をいつも感じていました。 話が続かない、感覚が合わない、何をしゃべったらいいか分からない… 楽しそうに何かに関わっていても心底楽しかった!とは言えない毎日。 どうしたら自分らしくいられるんだろうと悩み、自分が好きになれず、 たとえ好意を寄せてくる人がいても「こんな私のどこが良いの?」と拒絶してしまうような学生時代でした。

成功と半比例する母の病気

そんな中、母親が病気になったという知らせが彼女の元へ入ります。パーキンソン病という難病。 元気だった母しか知らない彼女は、病気の母親をどうしても信じられなかったといいます。 そして、何より実家には私の居場所がないと思い込んでいた彼女は自分に迷いながらも、大学生活を満喫し現実から目を背けていたのです。

母が病気だろうが、ようやく手に入れた自由を奪われたくなかったんです。 私が実家に戻ったのは大学を卒業し、東京の会社に就職した時。 会社も、絶対に入る!と決めた会社で海外との貿易が可能な所を希望した私は、人事部に直談判しに行き、希望の部署への配属になりました。 海外高級ブランドを取り扱う部署です。数年売り場での販売経験を積み、やがてバイイングの仕事を任されました。 華やかなバイヤーという、なりたかった職種。フランス・イタリア等での華かなファッションショーや買い付け業務は、正に私がしたかったこと。 これこそ思い通りだ!と夢を叶えた私は、その後どんどん自信を付けていき、友達関係もそれまで悩んできたのが嘘のように、仲の良い同期で励まし合いながらよく遊びました。 なんのためらいもなく自分の為に時間とお金を使う日々。仕事の勉強も兼ねて、イタリア、フランスには足しげく通い、自分の努力で漸く手に入れた本当の自由、お金も時間も思うがままだと思っていたのです。

しかし、私の成功とは反対に母の病気は徐々に進行していきました。 今でこそ、原理通りだと解りますが、この世の仕組みは、私が成功を目指せば目指すほど、対極の絶対見たくない弱い母を作り出してしまう仕組み。 当時の私は、母の病気に対して、どこまでいっても真剣に向き合えず時間的に余裕のある、父と妹に任せ逃げていた。 そしてコンプレックスをバネに誰にも頼らない自立した自分を創りあげていたのです。 やがて頭角を現す私を邪魔するかのように立ちはだかる上司の出現に、何故自分の行く手を阻むのだとストレスはピークに。 ですから余計、母の病気へは気が向きません。 休みとなればどこかへ出かけて行かなければ、たまったストレスは解消されず、当時の私の手帳には息抜きのスケジュールがいっぱい入っていました。

母の死…罪悪感という呪縛が作り出す人生

そんな時、突然、母親との別れがやってきます。彼女が休みの日、他の家族は仕事で留守というシチュエーション。 そこで彼女の人生が決定付けられる大きな出来事が起こるのです。

実家の近くで、家族とは別に住んでいた当時、私は実家に朝ごはんを食べに行くのが日課でした。 その日、ダイニングテーブルには、薬が切れかかった母が固まりかけて座っていました。 一旦薬が切れると、電源を無くしたロボットのように動けなくなります。 そんな母を、薬を飲んだら大丈夫だからと私はそのまま出掛けて行ったのです。 薬の切れかかった母を目撃していながら。 そして夕方、母と一緒に夕飯を食べようと、スーパーでお寿司を買い実家に戻ると、台所には昼食に母が用意したトーストが、そのままの状態でおいてありました。 テレビは付けっ放し、母の姿は在りません。何かが起きた事は、一目瞭然でした。 そして、お風呂場で、うつ伏せになって倒れている母を見つけたのです。 既に死亡していることは一目で分かりましたが、私はなんとか蘇生さようと必死で人工呼吸を何度も何度も施しました。

辺りを見ると、昼食に食べていたであろうグレープフルーツの皮が、お風呂場の排水溝にたまった髪の毛を拾って載せた状態で落ちていました。 身体が動かないながらも、段差があって危ないお風呂場の掃除をしようとして、転んで動かなくなって、そのままうつ伏せで窒息したのだと、その情景が手に取るように伝わってきました。 急いで救急車を呼び、病院へ向かい…母が死んだのに取り乱しもせず淡々とやるべきことをやっている。 気丈なのか感情がないのか…全てが信じられず、受入れる事もできず一つ一つを冷静に観察している私。

お葬式が済んでから出てきた、母の電話帳に書いてあったんです「死にたい」と。 その走り書きを見た時に、私はなぜ母の苦しさを分かろうとしなかったのか、 なんて不幸なことが起きてしまったのだろうと、言葉にならない罪悪感に押しつぶされそうになりました。 全てが、ただただ信じられなかった。それは、その光景だけではなく私自身の冷たさに対しても。

「愛される」事を諦めてしまった根源

私には愛がない!幸せになんてなる資格がない!そう思い込み、その後の人生の大半を罪悪感と共に「自分を愛せない苦しみ」の中にいた松本講師。 なぜ、人生はこうもうまく行かないのだろう?

私は自分の赤ちゃんの時の顔を知りません。兄や妹のアルバムには見開き1ページ目に、生まれたての写真が在るのに、私のアルバムにはないんです。 私が生まれた時、両親は喧嘩していたらしく父は病院にも来なかったと後から聞いて、私は本当に愛されていないんだと感じていました。 ですから妹が生まれてからの写真では、私はいつも自分に注目して欲しいかのように変な顔やポーズをとっている、そして兄は大切に妹を抱いています。 疎外感と、一番に愛されていないという寂しさ…。 ある日、2段ベッドの上で兄と取っ組み合いの喧嘩がはじまり、そこに仲裁に入ってきた妹を、私は故意に蹴ってしまったんです。 妹はベットから落ちて骨折、親にたたかれ叱られ、私はとっさに嘘をつきました。どこを蹴ったか分からなかったと。 でも、私は確実に妹を蹴った事を覚えています。蹴ってやれと思ったことも。初めて、いけないことをしたと思いました。 罪悪感です。3つ離れた妹がいつも私の後を付いてくることが嫌で、お友達のお誕生日会に連れて行かなかった事もありました。 付いてこないで!と思った感情を覚えています。そしてお昼寝の時、母の顔が妹側に向こうものなら、真剣に取り合いました。 こっちを向いて!と。妹に嫉妬しても拒絶しても手に入らない自由と母の愛。

私の生き方の根源には「一人の人に愛されたい」「私だけを見て欲しい」「私の思うとおりにさせて」それが叶わない苦しみがあり、 愛される事を諦めてしまったのです。そして、愛する事も、幸せになる事すらも「諦めて」生きてきたのです。 MIROSSを知って、幼い頃の親への思いが場面を変え、人を変えてずっと私の人生そのものを創っていたという事を知りました。 しかもそれは「愛されていない」という思い込みが作り出した幻想。

諦めていた自分が本当に求めていた事

母親の死後、彼女は早々に仕事に復帰しました。家族は誰も彼女を責めません。 しかし、母親を疎かに見殺しにしてしまったのは他ならぬ自分であるとの思い込みは、日増しに増大していくのです。 どんなに忙しくしてもどうにもならない、その自責の念は、彼女のコントロールの範疇を遥かに超えていました。 そんな彼女にMIROSSはどんな奇跡をプレゼントしたのでしょう。

私はその事件の直後、母を見殺しにしたという自責の念からよい人間になろうと思い 人事異動で新たに上司になった方に誠心誠意アシスタントとして尽くしました。 しかし、こんなに罪深い、非情な人間はこの世の中にいるのだろうかと、 その罪の意識が深くなればなる程、自分の愛情の無さにやりきれず、家に帰れば泣いて過ごす日々が何年も続きました。 会社を辞め海外で新しい人生をスタートし、人を愛する事も愛される事もようやく手にしたころ、 またもその愛が崩れ去る悲劇が襲って来る。日本に帰国し新しい人生をやっと平穏に暮らせるようになり、 今度こそ落ち着けると感じた男性との婚約。しかし根底に自分を責めるエネルギーを持っていた私は、 何をやっても、どこまで行っても、最後の最後で幸せをごっそり持って行かれる形になるのです。 たとえ何かに夢中になっても、誰かを愛しても人生はゆっくりと坂道を下るように幸せとは逆の方向へ進んでいきました。 これがシステムだったとその時は知らなかったから。

お手上げ状態の私の目に飛び込んで来たMIROSSの原理は、長い間、求め続け、探し続けた「答え」そのものでした。 これまで何でもこなし、夢を実現して来ましたが、結婚だけはうまくいかなかった私は「結婚に秘密がある」というフレーズに 強烈にひかれたのを覚えています。私はどうしてもその秘密を知りたくて、MIROSSに夢中になりました。 そして自分の人生をあらためて紐解くと私がこれまで生きてきたパターンも、幼い時に抑圧した本当の心の声も、 そして何より人生で繰り返される悲劇の根源を知る事ができました。 そして完全に私が私を許せた時、自然と究極のパートナーが現れていました。 私は幼い頃からパートナーと一緒に何かビジネスをすると感じていましたが生き方も、方向性も同じ彼からこう言われたんです。 「お互い、今まで本当に頑張ってきたよね。もう幸せになっていいよね」って。全てが最高のタイミングでした。

講師からのメッセージ

後から気づいたのですが、彼と距離が近くなったきっかけの日は「母の命日」でした。 そして今、二人で住んでいる町は、父と母がデートをした思い出の町。 今、母の肉体は無いけれど、私を通して色々な事を一緒にやっていると感じます。 だから私の仕事は愛される事、そして幸せになる事だと。それが母が一番やりたかった事なのでは無いかと感じています。 今、夫婦で語り合うだけでシステムはどんどん豊かさを見せてくれています。こんな世界があるんです。 MIROSSの魅力は自分がなぜ「諦めて」生きてきたのか、その根源に自らの力でたどりつく事ができるシステムがある事です。 目の前の事象は自分との関係性でできています。システムを知ってしまえば、 たとえどんな人生でも過去の傷は消え幻想の中で続いてきた悲劇のドラマは終演します。 私がミロスの叡智を知り、真実の結婚を理解する事で、私は生まれ直すことが出来ました。 同時にこの体に流れている母の思いも、その母の両親も同時に生まれ変わり見るもの全てが変わってしまいました。 ミロスのシステムは人類を生み直すという壮大なプログラム。 あなたの中にある全てを癒やし、本当の愛と豊かさを見せてくれる理想郷へのパスポートです。 あなたの中の無限の愛を発見して思い切り人生を輝かせて生きいける! もうそんな世界が始まっているのですから、絶対に諦めないで欲しいのです。

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