MIROSS ACADEMY

  1. MIROSS Academyトップ
  2. Blog
  3. インタビュー

  4. 人生は “世界にたった一つの傑作品”

一覧へ戻る

子どもの時にふとした寂しさから、口に出せない思いをアートで表現した女の子がいた。 それが中澤朋子講師。彼女は、お絵かきが上手で無口な女の子。いつも一人で静かに絵を描いていた。やがて、芸術というキューピットは人生のパートナーにも出逢わせてくれた。一緒に絵を描いて暮らそうねと大学卒業と同時に結婚。しかし、子どもが生まれ姑との同居が始まると大好きなアートの世界は遠くに霞んでいった。手のかかる子育て、嫁姑、精神的にも肉体的にも疲れ果てた時、MIROSSのシステムは一瞬で彼女の目の前の世界をフルカラーに塗り替えたのだ。いったい彼女に何が起こったのか?そして、本当に彼女が表現したかった心の声とは?

ねぇ朋チャン、私にも絵を描いて!

中澤講師は、いつも部屋の片隅で絵ばかり描いている子どもだった。「無口でお利口さん」それが〝私〟だと思い込んでいたという。

子どもの頃のアルバムを見てみると、弟が生まれる前の私は、大きな口をあけて缶ジュースをマイク代わりに歌って踊る、陽気な子に写っているんです。天然パーマのクルクル髪は天使のテンプルちゃんみたい! ってかわいがられていました。

でも弟が生まれた後の写真を見ると、おかっぱ頭で、どこか寂しげな顔。実は、弟が生まれる時、母は命がけのお産になり40日の緊急入院をしました。私は母が突然いなくなった! と感じ、母に愛されていないかも、嫌われたかも、と本当に不安で、その寂しさを紛らわせるために絵を描き始めたのではないかと思います。 おとなしくしていると「お利口さんだね」と褒めてもらえましたから。

そのおかげで小学校では、絵や工作が大好きで、よく友達に〝ねぇ朋チャン、女の子の絵を描いて! 〟とか〝粘土を作って〟と休み時間になると私の机に列ができていました。そんなふうに必要とされることが何よりも喜び、それは私の最高の居場所だったのです。

しかし、父親の転勤とともに生まれ育った信州から、岡山に突然の引っ越し。中学に上がる少し前のことです。初めての土地で誰も知っている人がいない、誰も私に絵を描いてほしいと言ってこない…。すごく寂しかったですね。そして次は、高校入学と同時に、また父の仕事で岡山から今度は青森に引っ越し。誰も知らない上に方言が強くてコミュニケーションがとれない、勉強もやる気がしない。毎日眠い日々の連続でした。

そんなある日、私を救ってくれたのは「美術」の世界。仲良くなったクラスメイトが、私の落書きを家に持ち帰ったところ、彼女のお母さんが芸大を出られた美術家で「絵を教えてあげるからおいで」と誘って下さったんですね。私は、たった一人の生徒として彼女の家に通い始めたのですが、その自由な授業に魅了され、もっと美術をやりたい! と思ったんです。

「アートで生きて行こうね」

美術の世界に魅了された彼女は迷うことなく京都教育大の美術科へ進みます。充実した学生生活。彼女が愛する〝美術〟は入学してすぐに運命の人にも引き合わせてくれたのです。

私の両親は共に教員で父は大学の数学の先生。いつでもどこでも数学を解いている。家族旅行でも、電車の中でも、自分が見たいTVを見ている時ですらコマーシャルの間に数式を解く程の数学クレイジー。私が子どもを出産し里帰りしていた時、まったく絵を描いていない私に「やめないで、続けるといいよ。細々でもいいから、続けることだ」と水彩色鉛筆を買ってきてくれた… そんな優しい父。

母は4人兄弟の長女で祖父は田舎で校長をしていました。町を歩くと校長先生の娘さんと呼ばれる母も、小学校の先生でした。結婚して北海道から父の勤務先の信州に移り住んだので先生を辞めて専業主婦になりましたが、今度は大学教授の奥様。典型的な良妻賢母で、私たち子どもには手作りの洋服や誕生日ケーキ、色々な行事ごとに手作りで愛情を表現してくれる人。母は数学者の夫、校長先生である父親のことは尊敬し褒め称えていましたね。

そんな両親に育てられた私が、人生のパートナーと出逢ったのは、大学に入学してすぐのことでした。

彼の寂し気なところに惹かれてね(笑) 彼は赤ちゃんの時にやけどをして腕と脚にかなり大きな傷跡があって、それも印象的でした。私も手の甲に赤ちゃんの時にやけどを負った跡があるから、ちょっと寂しげな共通点が嬉しかった。人に好かれる人で話も上手、私の欠けている所を全部彼が持っていると思いました。

そして家庭環境が全く真逆なのにも興味がありましたね。私が育った大学教授だらけの環境とは違って、彼のお母さんは、祇園のママ! 大学生の私には想像すら追いつかない映画のような世界に身を置いている人。(笑)

そして、付き合いだして彼が自分の風景として見せてくれたのも、高層マンションからの夜景。私は北アルプスの大自然が原風景ですから… いつも違う世界の景色を見せてくれる彼に感動して、私たちは大学卒業と同時に結婚しました。

「一緒に絵を描いて暮らそうね」「世の中に自分達の絵を通してメッセージしていきたいね」と広がるアートの世界にわくわくしながらスタートした新婚生活。私は伝統工芸の会社のデザインや、美術工房で働きながら絵を描く暮らしを始めました。幸せで楽しい毎日。私はやがてカルチャースペースで子ども向けの絵の教室をやり、イラストを頼まれ新聞の連載も何件かやらせていただくようになりました。もちろん個展もやりましたよ。子ども教室も、イラストも、個展も夫が応援してくれていましたから。

そんな生活に転機が訪れたのは、結婚4年目でした。待望の子どもが生まれ、姑と同居が始まったのです。子育て、そして同居、どちらも私にとっては未知との遭遇!?(笑) 一日目から外国に来たような生活の始まりです。

MIROSSとの出合い「心の声がきこえた瞬間」

夜中にふと目が覚め、体の中心からまるでマグマの噴火のように噴き出した思い「ずっと自分にウソをついていた!!」中澤講師がまだミロスに出合ったばかりの頃の事。嗚咽がとまらず思わず布団をかぶって吠えるように泣いた。いったい彼女に何があったのだろう?

姑とは何もかも真逆!住む世界も考え方も感覚も。実家では見てはいけない「悪魔の書」のように扱われていた女性週刊誌が、姑には大切な情報源。いわば商売道具の一つですから、普通に部屋に積んであるんですよ。生活のリズムも違えば“当たり前”という物差し自体が違う。品のいい客層のスナックとはいえ、夜のお仕事の感覚で生きている姑との生活は、私には何かと面食らうことばかりでした。姑を理解しよう…でも出来ない!同居して一日目から、私の心の中には葛藤の嵐が吹き荒れていました。

それに加え子育ては、アトピーや喘息といったアレルギーを何とかしようと、いろいろな療法を試すも思うようにいかず、どうしてこんなにうまくいかないのだろうと思い悩む日々が続きました。相変わらず姑との関係にも苦しむ毎日の私は、とうとう身体的に病気になり、精神的にも不安定に。究極は最大の味方だったはずの夫との関係までギクシャクする始末。

あれこれ探しました。手当たりしだいに出口を探していたときMIROSSに出合いました。 これが答えだ!と感じる反面、内なるパンドラの箱が開きそうで怖くてたまらなかった。きっと真実を知るのが怖かったんでしょう。でもシステムは勝手に箱を開けてくれたんです。目の前に真っ暗闇の“母が居なくなった”あの恐怖が広がりました。怖いと思った幼い自分の感覚を思い出したんですね。封印していた暗闇それを感じたら、もう片方の光輝く空間も同時に感じる事が出来たんです。“愛されていた”と

システムに当てはめて一つ一つの感情も紐解いて行くと、生まれてからずっと両親の愛のシャワーの中で過ごしていた事、そして感じていることをずっと押さえ込んで表現してこなかった苦しみがよく解りました。寂しいと言ったら愛してもらえないと思い込み、良い子を演じていたんだと。 「私だけを愛して」と言う女っぽい表現はぜ~ったいに自分はしない!と思っていた私

あるカリキュラムで「弟が生まれた瞬間に、負けたって思った。」と言った自分の声で涙が出てきたのです。弟が産まれたとき、生死にかかわるお産でもあって、父と母の愛を全部取られたと思った記憶。弟が産まれたクリスマス、自分が貰ったプレゼントよりも弟がもらったふわふわの猫のぬいぐるみが欲しくて、欲しくて。母が高い棚に仕舞っても、いつも持ち出して原っぱで遊んでいました。

どこにでも持って行くから段々黒ずんでいき、お風呂に入れたり、破けたら、縫ってもらい…。あの縫いぐるみは、幼い私にとって「取り返したかった父と母の愛」だったんだと解りました。「私だけを愛して。」って実は自分が最高に言いたかったんだって。私はずっと自分の本音にウソをついて良い子を演じて生きていた。そうしないと生きて来られなかったのかもしれません。

心の声がきこえた瞬間

姑は、女手一つでご主人を育ててきた祇園のママ。赤い爪に香水、ゴージャスなヘアスタイル、そして、つけまつげ… 自分の母親とはあまりの違いにどう接していいのか? 戸惑いと抵抗感いっぱいのスタートだったという。

人間って面白いですよね、だって自分とは真逆の彼にドキドキして、未知の世界を見せてくれる彼に魅了されて結婚したのに、姑とはその真逆が抵抗感に変わるのですから。

例えば実家では〝見る価値のない悪魔の書〟のように扱われていた女性週刊誌が、姑には大切な情報源。いわば商売道具の一つですから、普通に部屋に積んであるわけですよ。生活のリズムも違えば〝当たり前〟という物差しも違う。私には何かと面食らうことばかりで愛したいのに愛せない。

初めての子育てで不安だらけな私、本当は「お義母さん」って甘えて仲良くしたいのに… でもできない! 私の心の中には葛藤の嵐が吹き荒れていました。さらに子育ては、アトピーや喘息といったアレルギー症状との闘い。何とかしようと、いろいろな療法を試すも思うようにいかない。

子育てと姑との関係に苦しむ私は、とうとう身体的にも精神的にも不安定に。究極は、最大の味方だったはずの夫との関係までギクシャクする始末。

「どうしたらいいの!!」と手当たりしだいに出口を探していたとき、私はミロスに出合いました。これが答えだ! と感じる反面、内なるパンドラの箱が開きそうで怖くてたまらなかった。きっと真実を知るのが怖かったんでしょうね。でも足を踏み入れたミロスの世界は〝うまくいかないすべての根源は、私の記憶の中に隠されていた〟と証明してくれたのです。

まだ私がミロスに出合ったばかりの頃「弟が生まれた瞬間に負けたと思った」と言った自分の声で思わず涙が出てきたのです。目の前にあの幼い時の記憶、真っ暗闇の〝母が居なくなった〟あの恐怖が広がりました。でもその時、ミロスのシステムは見事でした。

封印していた暗闇、それを感じたら、もう片方の光輝く空間も同時に感じることができたんです! 〝愛されていた〟と。システムに当てはめて一つひとつの感情もさらに紐解いていくと、生まれてからずっと両親の愛のシャワーの中で過ごしていたこと、両親の愛を失うのが怖くてずっと本音を押さえ込んで、本当は苦しかったんだということが浮き彫りになりました。

少しでも弟に目が行くと本当は寂しいのに寂しいと言ったら愛してもらえない。必死で我慢して良い子を演じていた私。弟が生まれたとき父と母の愛を全部取られたと思った記憶…。弟が生まれた年のクリスマス、自分が貰ったプレゼントよりも弟がもらったふわふわの猫のぬいぐるみが欲しくて、欲しくて。母が高い棚に仕舞っても、いつも持ち出して原っぱで遊んでいた。どこにでも持って行くから少しずつ汚れてきて、お風呂に入れたり、破けたら縫ってもらったり…。

そうか、あのぬいぐるみは、幼い私にとって〝取り返したかった父と母の愛〟だったんだ。夜中にふと目が覚め体の中心からまるでマグマの噴火のように噴き出した思い。本当は「私を見て!」って言いたかったのか! 思わず布団をかぶって吠えるように泣きました。

パートナーとの間に隠された創造性を開花させよう!

システムですべてを紐解いていくと姑との関係性も、ご主人との関係性も、何事も無かったかのように改善した中澤講師。気が付くと、新たな人生のストーリーが始まっていました。それは、パートナーとあの日誓った、無限の可能性を彩る創造の世界。

ミロスを知って数々の体験をした私は、スクールの講師になり、これまでたくさんの貴重な経験をしてきました。そして、なんといってもシステムの面白さを知ってしまった私は、どうしてもパートナーシップの醍醐味を体感してみたかった。今、ミロスの体験は、私という個を超えて確実にご縁のある人々に影響を与えていると感じます。それは思いもよらないところから突然私たちの人生ストーリーを彩り始めるのです。

例えば、こんなことがありました。夫の父親はシャンソン歌手でした。パリに留学し、レコードも出しましたが挫折。母親の実家に転がり込んだところ「乞食みたいなことしていないで、会社に入って働け」と祖父に言われ蒸発してしまったそうです。夫がまだ、生後8か月の頃だそうです。

彼の母親は祇園のママをして夫を育ててくれました。彼は過去に、たった一度しか父親に会ったことがありません。夫も、姑も、彼の祖父母も、蒸発した父親を責めていましたから。何もしてくれなかった、大切にしてくれなかった、悪い男にだまされたと。

ところが、私がミロスを知り、罪悪感というキーワードを受け取れた日、夫の父親が亡くなったという知らせが入ったのです。家族の中で罪悪感の十字架を背負っていたような彼の父親。夫はなんの感情もなくお葬式に出かけましたが帰ってきて喜びに溢れてこう言うのです。「今まで何ひとつ、父親にはしてもらってないと思っていたけど、この血をもらっていた!」と。

初めて会う父親の兄弟たちは、美術の先生、音楽の先生、建築家、そして祖父は作曲家!! 全部彼が大好きで人生のなかで、やってきたこと。今までは、自分の才能に自信が持てず、どこか頼りなさを感じていた彼が初めて父親のDNAに感謝できた瞬間でした。

すると、彼にアーティストとしての才能が開花しはじめ、どんどん必要なご縁が勝手に繋がり始めたんですよ。応援してくれる人が現われ、彼も「今まで無理だと思っていたレベルの高いコンクールに出してみようと思う」と言って初出品。そのコンクールの審査をされている知り合いの画家さんから「入選は無理だと思う」と言われましたが、みごと入選。「朋子のおかげだ。ありがとう。ようやく、自分が始まった感じがする」と言う彼を見て、夫婦で何かの枠を突破した感覚になりました。

そして、彼の出品作を見せてもらい、私は思わず笑顔に! なぜなら、その絵は私の姿が等身大で描かれたもの。しかも、ミロスアカデミー講師の私を描いたものだったんです。本当に夫婦で一つを創造した結果の入選に思えて嬉しかったですね。

思えば私達は結婚した時に〝アートで生きる〟と志を一つにしていたはずです。日々の生活に追われ、諦め〝世の中に自分達の絵を通してメッセージしていきたいね〟と約束していたことすら記憶のかなたに追いやっていました。あの日私達は、何を夢見て、何を探し求めていたのでしょう? 今、私たちは、こんなことやってみたい、あんなこともやってみたいね、システムがあれば絶対創造できるよねと話していると、ご縁も才能も勝手に揃ってしまうのです。

講師からのメッセージ「人生は〝世界にたった一つの傑作品〟」

あなたが過ごした人生は、ひょっとすると他の人の人生から見たら失敗作に見えることがあるかもしれません。でもそれは、真実をあるがまま見る方法を知らなかったから。あなたの人生は、この世にたった一つしかない、かけがえの無い傑作品です。

私は今、ミロスの講師として確信をもって伝えています。ミロスのシステムを知れば全ての思い込みの枠から脱出し、本当の自分自身に戻れると。

先祖から脈々と続く人生が今、線になり、繋がり、輪になって、どことも離れず、誰とも戦わず、システムで自由に笑って生きる時代がやって来たのです。私も実践者として日々体感しています。この幸せの連鎖を一緒に起こしていきましょう!

この記事のカテゴリー

インタビュー

インタビュー

インタビュー形式でお届けする講師や受講生の『変容』のストーリーの数々。

タグ

Browse by topic

ブログのカテゴリー

Browse by Category

キーワード検索

Search
ミロスが学べるスクール

オンライン受講が可能になりました!