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発達障害は「障害」という文字のため、どうしてもマイナス要素として思われがちだが【強い個性】としてその能力を発揮し、有名人として活躍している方々が世界中には沢山いる。 窓際のトットちゃんこと黒柳徹子さんは、発達障害の中の学習障害であったかもしれないという。 学習障害とは「聞く・話す・読む・書く・計算する・推論する」という能力の内どれかが著しく習得出来ず、その能力を通常どおり使用することが難しい状態を指す。 トットちゃんは授業中に机のフタを何度も開けたり閉めたりしてしまう。理由は、フタがついている机がとても珍しかったからだ。 また、授業中に教室の窓からチンドン屋さんを呼んでしまったり、樹にとまっている鳥に話しかけたりで授業にならない。 知能的には問題がないにもかかわらず、面倒な子供として周りに迷惑がられ、子供本人だけでは無く、そんな子供を持つ親達も様々な困難に見舞われるのだ。 常識が全く通用しない我が子が繰返す問題に、我慢と謝罪の連続だった牧寛子講師もその一人。 彼女はMIROSSのシステムに出合い、先の見えない不安や逃げ場の無い苦しみの渦から、どのように脱出したのだろう。

何故、私は、こんな娘を生んでしまったの?

愛する人の子供を授かる。それは女性にとって本来ならば歓びに満ちあふれる瞬間のはず。 ところが、牧寛子講師の場合は、妊娠がわかってからすぐに入院、出産まで殆ど家事ができない状態という過酷なスタートだったという。 しかし、それは悲劇のイントロダクションにすぎなかったのだ。

お陰様で、娘は五体満足で生まれてくれましたが、最初から寝てばかりで、ちっとも起きない。頬を軽く叩いて起こしてはミルクを飲ませるのですが、吸う力が弱く2カ月たっても、あまりに体重が増えないので大きな病院で検査をすることになったんです。全てを検査した結果、どこにも問題は見つからず、ただ体重増加不良だったという診断をされました

夫は「体重を増やせばいいんだな!大きくしてやればいいんだな!」と言い、半ば強引にミルクを飲ませていました。やがて問題視されない程の大きさに育ってホッと安心した頃、今度は激しいおう吐を続けるようになり、また小児科専門の大きな病院の消化器科へ。検査の結果、あり得ない事を主治医に告げられました。

「何千人という乳幼児を診てきたが、こんなケースは初めてだ。乳児でありながら、胃潰瘍の症状が出ている」と。 体重を増やせば問題は無くなると思い、わが子のために頑張った結果が、更に大きな事態を生んでしまった。

毎日激しいおう吐を続ける我が子。大人の薬を細かく削りミルクに混ぜてもすぐ吐いてしまう。 1日に何回も着替えさせ、お風呂に入れた後でも、時を選ばず吐くので、我が子と楽しい時を過ごすというよりも汚した後始末に追われる毎日。臭いし、すぐ吐くし目が離せない。 どこにも出かけられない。あぁ、もぉ、どうして!どうしてこんな育児をしなくてはいけないの?可愛い我が子を苦しめているのは私?私のどこが悪いの?って毎日嘆いてばかりいました。

その大変さを主治医に伝えると、吐かないように手術することも選択肢の一つだと言われました。でも親の我慢の限界で、こんな小さな娘のお腹にメスを入れる事だけは、絶対に出来ませんよね。ようし!こうなったらもう、いいわ「好きなだけ吐いてくれ~」と私は完全に開き直り全てを受取る決心をしました。

すると、吐く回数が徐々に減り、3歳の頃には、ほぼ何でも食べられるようになっていくんです。嬉しかったですよ。母は強しですね。 そんな娘は、成長するにつれ言葉も覚え、かわいらしくなっていきます。しかし、その頃から信じがたい行動をするようになっていくのです。彼女が“可愛い”と感じた女の子を見るとものすごいエネルギーで髪の毛を引っ張るのです。

娘の表情からは、何かスイッチがオンされてしまい、その行動を起こしているようにも見えました。ところ構わず感じた場所で、感じた時に、そのスイッチは入ります。何度叱っても、躾ても、説明しても、注意しても、なだめても、その行動は止まなかった。今度は何?私の育児は苦しみの連続なの?どうして解ってくれないの?幼い子供に怒りをあらわにし、そんな優しさのない自分を責め、明日こそはと頑張る。

小学校に入学したら、きっと娘のそんな行動もおさまるだろうと期待したのですが、更にひどくなる始末。いつしか私は担任の先生や校長先生に呼ばれ、謝罪する日々を繰り返していました。中でも一番辛かったのは「何故あなたの娘はこんな事をするのか?」と聞かれる事。何故なら、その答えを一番知りたかったのは、他ならぬ私自身だったから。

「どうしてそんな事するの?」と娘に問いかけると、決まって返ってきた言葉が
「だって可愛いから。」
「そんなの理由になる訳ないじゃない…」
これがいつものやりとりでした。

娘のトンチンカンな答えは私には理解できなかったですね。お腹にいる時から両親だけではなく、親族が誕生を待ち望んでいた子。誕生直後からも、特別に可愛がられていた。その子が、他の子を可愛いという理由で嫉妬を表現する事が理解できなかった。学校では、担任と、もう一人別の先生がつき、そのお陰で娘は問題を起こさなくなり、やっと私も平穏な日々を過ごす事が出来ました。

異国の地に来てまで…

そんなある日、ご主人の転勤が決まります。しかも引っ越し先はイギリス! こんな状態で大丈夫だろうか?という親の心の奥底を表わす様に、 子供は日本に帰りたいと何日も夜通し泣き続ける。 そして、入学が認められた現地の学校でも、髪の毛を引っ張る行動がすぐに出たため、 担任の勧めで、牧講師は、毎日一緒に学校へ付き添うようになったという。

娘が遊びたいというクラスメートを家に呼んで一緒に遊び、学校で上手くコミュニケーションできるようにと私は頑張りました。ところが、半年程経った頃、学校からいきなり退学通知が届いたんです。最初は何が届いたのか訳がわからなかった。でも、夫が冷静になって読むと、Exclude という単語が退学という意味である事がわかったんです。

その他にも沢山書類が入っていたので、私達が信頼する方Sさんに相談したところ、娘がこのような行動を起こしたから退学の処置を取ったという内容を証明するために、報告書が沢山含まれているとの事でした。それと同時に、教育委員会から私には、裁判に出席する権利を与えるという手紙が届きました。

裁判って言われても…。退学にされた親子を擁護するものらしいのですが、イギリスでは勝手に校長が書類をかき集めて退学にしてしまうケースがあるため、退学という処置に不備がなかったかを審査する機会を与えられたと言うのです。

その時のSさんは、警告もなくいきなり退学にされ、どうしたら良いかわからないという正直な思いを日本語で文章にし、それを会社で30年通訳をしているプロの方に翻訳を依頼しましょうと提案してくれました。私は素直な思いを文章にしました。完璧なBritish Englishで翻訳された手紙を教育委員会の裁判官に送るとすぐ、その校長から、「退学は撤回する」という手紙が届いたんです!

退学が撤回された事も嬉しかったのですが、同時に裁判に出る必要が無くなった事が、救いでした。実は裁判と聞いただけで私は怖かったんです。今までしっかりしている自分が自分だと思っていたけれど、その時ばかりは日本にいる母に電話して「お母さん、子供に大変な事が起きたけれど、それが撤回されたの」と素直な気持ちを告げました。思えば今まで、こんな事を伝えたら母は悲しむだろうなと思うと何一つ話す事ができなかった。私にとって、母の喜ぶ顔を見る事が何よりの幸せであったから。

でもそれは、全くの思い過ごし。母は「何言ってるの?どんな事でも親には、辛いなと思った時に、連絡してらっしゃい。自分で何とかしようとしなくていいんだよ。甘えていいんだよ。」と、私が母を思う以上に私を心配してくれていました。親とはどんな姿でも、素直に表現してほしいし、時には甘えてほしいと願っているんだと、その時初めて知りましたね。

早くこんな生活から脱出したい!

結局、学校を転校し環境を変えても問題の行動が出てしまい退学、そしてまた転校。3つめの学校にも居られなくなった。校長は何度もチャンスをくれたと言うが、牧講師がこれを機に日本に戻るという意思を示すと「3回も退学なんてさせられないから卒業にしましょう」とアカデミックフードを被り卒業証書を持ったテディベアを記念に贈ってくれたという。

様々な困難がありましたが、最後はイギリスで過ごせた日々に感謝し帰国しました。 日本に戻ってから娘は、インターナショナルスクールに入り、1年目は楽しみながら学習する環境だったためか、問題無く過ごす事ができました。しかし、進級すると勉強が難しくなり、宿題も大変になります。その学習課題についていけなくなるのと比例して、先生と上手くコミュニケーションがとれなくなって来る。

その時です、もうやらなくなったと思っていた、あの強烈なエネルギーで人の髪の毛を引っ張る行動をやってしまったのです。私は、その娘をそのままその学校へ置いておくと、退学処分が下されるのではないかという不安にみまわれ、校長に「娘を辞めさせます!」とつい自分から言ってしまい退学する事になったのです。

次に地元の小学校に通う事になるのですが、ここでは、ピークと言う程、娘のエネルギーは爆発しました。クラスメートの女の子の髪の毛を何回も引っ張るのはもちろん、課外教室で作ったクラスメートの陶芸作品をつぶしてみたり、階段から誰かを突き落とそうとしたり。当時私は、担任の先生から、娘が落ち着かないから迎えに来てほしいという電話がかかってくるのが毎日とても恐怖でした。

この恐怖から逃げようと、娘を学校に出さないようにするものの、家に置いておいても、毎日イライラしてしまい、どうする事もできない。しかし、当の本人はケロリとしたもの。悪いことをしたという意識が全く無く、逆に泣き喚いて自己主張する。泣きたいのは私の方なのに!! いつの間にか愛する娘は、私にとって、ただただ鬱陶しい存在に変わっていましたね。

当時は、本当に娘の存在が怖かった。縄で縛っておかなくては、外でご迷惑をかけるのではないか?でもペットでもないし、こんな風にわが子の事を思うのは、いけないのだろうか? 早くこんな生活から脱出したい!もうこれ以上、クラスメートの父兄から嫌な目で見られたくない!この娘を何とかしたい!毎日、心の中で見えない出口を探しもがいていました。 正直、虐待死した子どものニュースを見ても驚く事はなく、どこか同情できるほど心はズタズタでした。常識からかけ離れた娘と毎日一緒にいると、親の方がおかしくなる。

どうして神様は、私にこんな訳のわからない、怪物のような怖いエネルギーをもった娘を私に与えたの?私に天罰でも与えたいの?私が何をしたというの?

苦しかったですよ。毎日毎日「心の広い母親だったら、こんな娘とでも、うまくやっていけるのではないか?」とか「私が親だから、この子がこんな迷惑な子になってしまったのではないか?」とか、そんな事ばかり考えていました。でもね、そんな娘なのに同時にふと可愛いしぐさをするんですよ。

娘の存在を受け入れたいけれど、どうやってこの子の事を受け入れたら良いのか、どうやって愛したら良いのかわからなかった。 自分をとことん責め続け、努力もむなしく結果は変わらない。もう私は自分と娘を同時に消したい…とまで思ってしまっていました。ランドセルを背負って毎日、問題無く登校しているよその子ども達の姿を見ると、本当に悔しかったですね。

「それは隠したあなたの姿よ」え~?まさか!!

悩みがピークに達した頃、牧講師はMIROSSに出合い娘の姿は「小さい頃に封印した自分の感情を、わが子を通して見ている」というシステムに衝撃を受けた。まさか自分が嫉妬を隠している?と耳を疑うほど全く意識にない事だったという。

私は、兄と姉がいる三人兄弟の末っ子で育ちました。父は私が1歳になる前に大病を患い3年半程入院していました。生死を彷徨った父は奇跡的に命を取りとめたものの、以前のように皆勤で働く事は望めません“孫に経済的な理由で、充分な教養を身につけさせてやれないのは可愛そうだ”と感じた母方の祖母が、私達のために、まとまったお金を出してくれていたようです。

母方の実家は、一般のサラリーマン家庭で暮らす私達には考えられない程、経済的には恵まれていました。ですから、教育には熱心で母は、実家の手前、教養の無い子にしてはならないと頑張っていました。幼稚園からお行儀の良い、品格ある生徒を育てる事を重んじる、今で言うセレブな幼稚園に入園させられた程です。

そんな環境ですから、幼い頃から、○○ちゃんは良いな!と言うと、よく父親に叱られていました。ですから羨ましいという感情は表現してはいけないと思っていたんですね。だからわからなかった。ビックリしました。最初は理解出来なかったんです。でも、よくよく思い出してみると、アレも、コレも思い当たる。

そして私は、幼い頃、可愛いなと思った1枚の写真を思い出しました。姉の写真です。え~?まさかお姉ちゃんに嫉妬していたの?あり得ない!と思いましたがシステムで紐解くとちゃんと答えがみえて来ます。私の事を可愛がってくれるとても優しい姉、スタイルは、ぽっちゃりで、今見ると全く嫉妬の対象ではない。 でも私が幼い頃、リビングで見つけた写真立てに飾られた可愛い女の子、あれは確かに姉だった。髪の毛がサラサラで長く、くまのぬいぐるみをもって笑っているその写真の子は、誰が見ても可愛い

そして、兄は生まれた時から親戚が注目するほどかわいらしく子供のモデルにでもなれるんじゃない?といわれていた。「どうして私の写真は飾ってくれないの?」と聞きたいが、聞けないまま気持ちを封印し、私は姉や兄と比べて可愛さが劣っているから飾ってもらえないんだと勝手に思い込んでしまったのです。また、兄は小さい頃から芸術のセンスが優れていて、見ていない物でもリアルに絵にして表現できる才能があったんですね。私は、その兄がとても格好良いと感じていました。

リクエストする動物をなんでも上手に描いてくれましたから。兄のように上手に描けるようになりたいと思って挑戦するのですが、私には思うようにできなかった。 本当は、それぞれがオンリーワンの個性をもって生まれているのに、比べる事で誰もがしてしまう大きな勘違い「私は愛されていない」という思い込みをしてしまった

だから私は母に褒めてもらえるように無意識に頑張って生きて来たのか!認めてもらわないと愛してもらえないと頑張ったのかと理解したのです。たったこれだけの事が、今の私の人生にこんなにも影響してしまうなんて知るよしもなかったですからね。

講師からのメッセージ  全てのプロセスがパーフェクトだった

私達は、この世に隠されたトリックを知らずに今まで苦しみもがいて生きて来ました。でも、ここに答えがあったのです。私達の生きて居る世界は、こうして幼い頃に封印したものを、わが子が表現してくれる仕組みになっています。隠して隠して奥にやってしまった思いが、時空を超えて、娘が表現するのかと知った時、クラスメートが描いた絵を破ったり、陶芸をくしゃくしゃに潰してしまったりした娘の行動が、芸術センスに優れていた兄をいつも羨ましい、叶わないと思っていたあの日の私と重なりました。

兄や姉のように愛して欲しくて私だけを見て欲しくて、無意識に頑張って生きてきたと理解した時、ミルクを飲んでは吐いてしまう、落ち着かなくて目が離せない、そんな娘は「私だけを愛して!」と叫んでいたあの日の私の心の姿だったと解ったのです。“こんなに辛い育児を良く頑張ったね”と母に褒めてもらうために私が創った自作自演の悲劇だったなんて!!

なぜ?その思いを押し出す根源がシステムで綺麗に紐解けたとき、寂しすぎて逃げ込んだカプセルから脱出する事が出来たんです。 そして私だけでは無く、父も母も主人も皆、寂しさで彷徨っていたんだと理解した時、見えない世界の正体が、はっきりわかりました。

私はMIROSSに出合い苦しい出来事の“真犯人”を知りました。その途端、娘は見る見るうちに自立し始め、人とのコミュニケーションも楽しむ普通の女の子に生まれ変わって行きました。今、青春まっただ中の16歳。

私が出張で家を空けても、安心して任せられる。協力して応援してくれています。それだけではありません、親や兄夫婦、主人との関係性もどんどんバランスがとれ癒やされていくのも体感しました。何も問題なんて無かった!この父と母を選んで生まれて来た意味がMIROSSで紐解かれ、同時に全ての人々との関係性が全く新しく生まれ変わってしまった。「このままの親子で良かった」そして「この人生で良かった」。全てのプロセスがパーフェクトだったとシステムを通して知る事ができる。それがミロスアカデミーです。

このままで良かった!人生の過去の大きな勘違いも、実はパーフェクトだったのです。この世の仕組みが解れば、問題だと悩む事こそがナンセンス。システムを知れば人生は必ず変えられます。ミロスアカデミーでは世界で初めてその方法をお伝えしているのです。

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