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大手企業の経営権を巡りお家騒動が起きた。父である会長は、お金持ちに高級な商品を買ってもらうというが、社長を勤める娘は手頃な商品をという方針だ。長年、企業を応援してきた株主からは「両方売ったらいい。大げんかなんかしないで、仲良くしてくださいよ…」と何とも温かな声が総会の空間に響いた。なぜ人間は、一番近くにいる最も愛する人と解り会えずに、いがみ合ってしまうのだろう?条件を揃え、たとえ多数決で主導権を握ったとしても、倒した相手が身内ではなんとも後味の悪い結果になるのではなかろうか? 一人っ子で両親の愛を一心に受けて育った坪講師は母親から「私の言うことを聞いていたら間違いない」と言われ、母の言う通りの人と好条件で結婚した。しかし、彼女を待っていたのは、親戚一族という束縛。「私は何の為に生まれて来たの?」自分の本当の居場所を探し求めた時MIROSSに出合い、この世は全てペアで出来ているという仕組みを知るのだ。人はなぜ大切な人といがみ合うのか?彼女が見た好条件の影に潜むトリックとは?そして、 ペアという美しい世界とはいったいどんなものだったのだろう。

元気がいいのに自信がない

一人っ子で両親に大切に育てられた坪講師。親の愛を存分に感じながら過ごしていたにもかかわらず、その人生はやがて窮屈なものに変わっていくのです。

「一人っ子だから、わがままだ」と言われないように、私は随所に我慢させられていました。幼稚園の時、母が入退院を繰り返していて親戚に預けられるたび「私が良い子にしていたらお母さんは病気にならない」と自分に言い聞かせていた記憶があります。結構、芯が強くて我慢強い子だったのかもしれません。親を困らせないように自分の気持ちを抑え込んで「こうして欲しい」と本音を言えないところがありました。

小さい時に私が感じた父は、冷たい人。膝に抱かれたとか温かな思い出が一切ないんです。 父は親戚の子が来るとやたらと可愛いがるのに、私は甘えさせてもらえない。「どうして私はだめなの?子供は私しかいないのに…」って、心の中でつぶやきますが「私も甘えたい」と口に出しては言えない。そして、父は冷たい人なんだと思って諦めていました。

両親はとにかく心配性でした。特に母は、口うるさかったですねぇ。母は、謙虚さを常に大切にし、目立つ事をしないのが美徳という人。誰かの為に尽くす、でも自分は後からというのがベースですから、私は、小さい頃から一歩引く事をすり込まれました。

小学校の頃は、勉強は苦手ですが性格は明るく元気で活発な子。母はそんな私を見て折りに触れ「私の言うことを聞いていたら間違いない」と、ダメ出ししてきます。大切にしてくれるのは良いのですが、ある意味過保護なその愛情は、成長するにつれ束縛に感じ、やがて窮屈そのものに変わっていきました。

当時の私は、母に出来ない子と決めつけられ、手を掛けてもらっているけれど「本当の私は違う!私は何かするために生まれて来たはず」という思いをいつも抱いていたように思います。

私は、知的な人が好きで教養があってバリバリ働くキャリアウーマンのような人になりたかった。一応頑張ってみるものの勉強はやっぱり嫌い。でも、人を幸せにしたい気持ちは胸いっぱいに広がっている…。

母にダメ出しをされていたせいか何をやっても自信が持てない私。心のどこかで、絶対に母も驚くような凄いものが私にはあるはずだと信じているのに…「できる」とか「できない」とか揺れる自分がどうしても好きになれない。

そんな悶々とした思いを抱いていたせいか、外では全てを発散するかのように皆とワイワイやっていました。学生時代は学園祭とか球技大会といった学校のイベント事になると、やたらと張り切っていた記憶があります。暗い人が集まる場所は大の苦手。明るい所はお任せあれ!と言う感じで球技大会の応援もはんぱない!一人っ子のせいでしょうか…とにかく活発な賑やかな空間を求めているようなところがありましたね。

母は、そんな私の頭を押さえつけ、相変わらず一歩下がれと言うのです。「こうしないと皆さんに迷惑でしょ?」「アレは、どうしたの?」「これは、こうするものよ」あぁ、もぅ子供じゃないんだから!って感じですよ。私は友達と楽しくやっているのに。 高校生の頃は、過保護な母に反発しては「私なんていらないのね」と言われていました。

最高の条件で結婚

坪講師が二十歳になった時、思いもよらない結婚話が舞い込んだ。結婚なんて頭の隅にもなかった彼女は、断ってやろうと一つ一つ条件を確認していくのだった。

なんとお相手というのは幼なじみ。そして母親同士が、これまた幼なじみなんですね。母の実家は関西で、彼の家とは昔から家族ぐるみのお付き合い。だから、友人の息子である彼のことが昔からお気に入りだったんです。おやおや、またこりゃ母の思い通りに事を進めたがっているな!なんて思いましたが、私は、彼のことを恋愛対象として見たこともなかった。

そこで、断る理由を探しました。でも、私は彼のことが嫌いか?って聞かれると…お兄さんみたいで話しやすい。嫌いじゃ無い。彼の家庭は凄く賑やか。私は賑やかなところが大好きじゃないですか。そして、おじさん、おばさんもいい人だから、可愛いがってもらえそう。あれ?ひょっとして、全く知らない家に嫁ぐより良いのかな? って、だんだん真剣に考え始めたんですね。

彼は父と違って優しい人だし、尊敬できる。そして、最終的にピンと来た決め手が、母の束縛から逃げられる!だった。束縛の世界から自由になれるんだ!!って思ったら、条件としては、申し分無し。結婚より先に、自由になりたい!ってそう思いました。

そんな好条件のスタートでしたが、結婚してからどうなったと思います? 実は、こんなストーリーが待っていたのか!という展開になったんです。

もともと主人は、親戚が事業を始めると言うことで関西での仕事を辞めて、名古屋に来た。そのご縁で名古屋にいた私と結婚したのです。 ところが、結婚して4年くらいたった頃、今度は主人の妹…と言っても私より年は3つ上、その妹夫婦も叔父の会社を手伝うこととなり、そうこうするうちにお姑さん達も、もう年だし、いつ何がおこるか分からないから近くに住もうという事になりました。

全く思いよらない展開!短期間に、叔父、叔母、妹夫婦、義父母…親戚が次から次へと、ご近所さんになっていくワケですよ。自由になれたのはほんのつかの間。母の束縛どころの騒ぎじゃ無い。私の世界は何の自由も無い束縛一色の世界になりました。

でも、まだ若かった私は良い嫁を一生懸命頑張りましたね。よかれと思う事は何でもやったし、一生懸命尽くしました。でも、所詮は嫁。年齢も一番下。やればやるほど、尽くせば、尽くすほど感謝されなくなるんですよ。

そこへ今度は実家の母。いますよね?幼なじみの(笑)母は、自分の娘が”良い嫁”だと言われたい。だから、そこに口を挟んで来るわけですよ。「こういうときは、こうした方がいい」とか、「それはこうするものだ」と、いちいち指図するわけですね。しょっちゅう電話があり、それがうっとうしくて本当に苦痛でした。

まさかの展開…

21歳で結婚。10年間家族一筋で無我夢中だった。長男が生まれ、長女が生まれ…ふとした瞬間に「あれ?今まで私は何をしてきたんだろう…」と考えてしまったという。

別に何か不満があった訳でもないんですよ。子供も当然可愛かったし、それはそれで一生懸命やってきた。ただ、一つだけ「私はこのまま人生を終えてしまうのだろうか?」という疑問が湧いたんです。主婦で、母親で、終わるなんてことは私の人生ではあり得ない。

だって、母の言うとおりに良い子で生きてきて、母の言うとおりの人とも結婚した。だけど、私のやりたいことはまだやっていない気がして…。そこから自分の人生に焦りを感じて真剣に考え始めました。

でも、私に何が出来るんだろう?今まで「私にしかできない事がきっとある」と思って生きて来たのに。子供が二人とも学校に入ると、答えを探してどんどん外に出る様になっていきました。習い事、コーラス、ブティックに勤めた事もありました。当然、良い嫁、良い母をしているのが当たり前だと思っている家族は、そんな私を理解しようとはしません。

そして、ある事がきっかけにで、これまで頑張ってやってきたことが、何一つ家族には感謝されていないということが分かってしまったのです。このとき初めて私は、何のために生まれてきたの?と心の底から湧き上がる思いを感じました。

“主人の身内を全員敵に回しても自分の気持ちを押し通す事件”勃発です(笑) 良い子で純粋な人を演じて来た私が、初めて自分の本音に素直になった事件。 よい嫁を辞めるという、思ってもみなかったまさに私にとっての大事件です。

ねぇ、あなた、ここで働いてみる気ない?

そんな戦いを見ても、夫は味方してくれるどころか、肝心なところではいつも逃げているとしか思えない状況に、段々と気持ちが離れていくのだった。

ある日、新聞の折り込みチラシに目がとまりました。「パーソナルカラー講師募集!!」という結婚相談所のチラシです。早速、話しを聞いてみると、今すぐにパーソナルカラーだけでお仕事が出来る訳ではなく「ここで働いてみる気ない?」って言われたんです。

私はそんなつもりで行っていないし、…ともじもじしていたら、社長に「出来るとか、出来ないとか言う話じゃないの。やるか、やらないかを聞いているだけよ」とポンと軽く言われ、その一言で「やります!」って言っちゃったんです。

主な仕事は、条件と条件の組み合わせ。一人100人以上担当させられ、時間的にもハードでした。毎月、会員さんにお好みの方をご紹介し、更新契約もして頂く。会員さんの相談も聞いて、お見合いにも立ち会って、パーティにも出て…色々な仕事があったんですが、とにかく「私を必要としてくれる」この仕事が楽しくて、楽しくて仕方がなかった。

お一人お一人から聞いた条件をマッチングさせる作業は、選ぶのも大変。外側の条件でお互いをマッチさせるというのは、至難の業なのです。皆さん高い料金払って来ているわけですから、自分の条件じゃないじゃない!って普段はそんなこと言わなそうな方でも、そこはしっかりしていました。中には言いたい放題の方もいましたが、何より必要とされている満足感から夢中になっていた私は、休みの日でも、頭から仕事のことが離れない。あの人お見合いしたけど結果どうだったかな?とか、あの人は今どうしてるかな?とか。大変!とか言いながら、気持ちはとても充実していました。

特に、主婦の私がスーツを着てシャキッとした瞬間にスイッチが入る!それがたまらなく好きでしたね。平凡な世界から一瞬でも離れられるというか、当たり前だと感謝もされない世界から頼りにしてもらえる世界へ、憧れのキャリアウーマンになれた楽しさです。

ミロスとの出会い~本当に求めていたもの~

当時、友人の紹介でいろいろな講演を聞きに行き始めた彼女。スピリチュアルも宗教も占いも、そして成功哲学も今まで全く縁が無かったが、自分の未来に役立つ話を探していたという。

経済的な不安さえなかったら離婚してもいいんじゃないかな?とか、いや、それはやっぱりできない!なんて心の中で葛藤していましたから。そんな時、友人が「それなら凄い話がある」とMIROSSを教えてくれました。

初めて聞いた、宇宙とか時間のお話は内容が難しすぎて解らない。ただ、鏡に例えた“この世の仕組み”の話は今まで誰からも教えてもらったことが無かったので、とても興味深かったですね。今まで味わったことのない感覚…至福感?存在感?喜び?言葉にできない感覚が残ったんです。

特に人間は「結婚」でできているって言われて、凄く納得したんです。この世は表と裏の様に全てペアでできている。もともと全てが結婚という美しい形なんだって。 「この方法理解したら皆が幸せな結婚が出来る!」っていう答えが分かったんです。

条件に合う人がいなくて、あせったり自信を失ってしまった人に「頑張ろうね」しか言えない今の状況に、答えが来た。それなのに、自分の理解力が足りなくて説明出来ない!!ああ、もっとミロスを知りたい!!と思いましたね。

そんなある日、主人がアキレス腱を切ってしまうんです。大変だと連絡があったんですが なんと、ゴルフに行ってアキレス腱を切ったって言うじゃないですか!私は、仕事も家庭もこんなにやっているのにゴルフ?ですって???ってカチンと来てしまったんですね。そしてその時、主人の心配より「いゃだ、もう、また一つ仕事が増えるじゃない」って煩わしさの方が先に出て来たんです。冷たいでしょ?(笑)

そして、入院すると親戚皆が近いからお見舞いに来るわけですよ。一致団結して主人の元へ来ては世話を焼く。何もアキレス腱くらいで、大騒ぎしなくたっていいじゃないって、なんかそれを見て私は逆に優しくできなかった。でも、日がたつにつれて、優しく出来ない自分が今度は、凄く悲しくなってしまったんです。

確かに、主人はゴルフで怪我をした。だからといって私は何が気に入らないの?痛い思いをしている主人の何に抵抗しているの?その時、ミロスの話を思い出したんです。

目の前は私の情報、鏡に映る自分の姿。全てはペアでできている…。と、言うことは?一番大切な家庭の要(主人)が片方切れている…私は今一番大切なものを失おうとしているの?私は夢にまで見たあこがれのキャリアウーマンをやっているけど、家庭からにげて自分を認めてくれる場所を探していただけなの?家庭と仕事も全てペアで存在する。

家の中で窮屈だった私。仕事人間の主人はどうだったんだろう?足の痛い主人、心の痛い私。夫婦もペアで存在する。ミロスのシステムに当てはめると、色々なことがセットで見えてきたのです。

その瞬間、目の前の主人が私の姿だと分かりました。もうその後は尽くして、尽くして(笑)目の前の私を誠心誠意いたわりました。

講師からのメッセージ

今まで私達人間は、条件をそろえることが幸せなんだと思い込んで生きてきました。 私の母は9年前にこの世を去りましたが、最後に母を看病した時、なぜあんなに私に手をかけてくれたのか、父がなぜ冷たく見えたのか理解ができたのです。全ては娘の幸せを願っての行動。そして、母もまた「私を必要として!私はここよ!」と叫んでいたのだと思います。

献身的に看病する父が看護婦さんから「凄いですね、ここまで尽くされる方はそうそういないですよ」と言われた時「妻は、私の宝物ですから」と言った父。その時の母の何とも言えない嬉しそうな顔。この素敵な父と母を私は選んで生まれて来た。本当に私は幸せ…。私も「お母さんの言う通り彼と結婚したのは正解だったね」と心から伝える事が出来ました。でも、これはミロスと出合い、全てがペアでできているこの世のシステムを知らなければ、ここまで父と母を理解する事はできなかったし、本当の意味での感謝をする事もできなかったと思います。

全てを理解することは、本当に美しく本当に大きな愛に出合えます。あなたの中から感謝があふれ、真実の愛そのものに触れる…。そのとき私達は初めて自分という存在のすばらしさに気づくでしょう。 例えあなたが今、どんな状態でも、ミロスのシステムを知れば必ずその意味が分かります。

ミロスアカデミーでは、世界で初めて、その方法をお伝えしているのです。

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