MIROSS ACADEMY

  1. MIROSS Academyトップ
  2. Blog
  3. インタビュー

  4. いつでも親は子どもの応援団長!

一覧へ戻る

2003年に発売され大ヒットした「世界に一つだけの花」という曲が、今年に入って再注目されている。今から13年も前に発売された作品だが、「NO1.にならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズが世代を超えて今もなお、沢山の人々を勇気付けているのだろう。しかし、その一方で“とにかくNo.1が幸せの条件”とばかりに「受験に恋愛はムダ!」発言で物議をかもしだした教育ママもいる。「あなたの1時間は黄金の1時間よ」と子どもに言い聞かせ、一流大学の受験戦争に強力なアシストをする母親は、なぜここまでトップの成績にこだわるのだろう。

かつては、一人娘の英才教育に明け暮れた小坂嘉代講師。“親がどう関わるかによって子供は天才児になれる”そう書かれた育児書を片手にピアノ、英会話、スイミングにそろばん…手当たり次第に習い事をさせ、家では彼女が先生となり、つきっきりで教育したという。

そのこだわりは、横に座って教えるだけにとどまらず、右脳開発のトレーニングから、無添加の食事、そして脳の発達を促すといわれるサプリメントまで飲ませるという徹底ぶり。しかし、子供を天才児にするという目標に向かって、がむしゃらに頑張っていた彼女はMIROSSに出合い、親が子どもに良かれと思ってやっている行動の陰には、思いも寄らない秘密が隠されていたことを知ってしまった。それはいったいどんな秘密だったのだろう。

自由奔放、それが私

学生時代からバリバリ稼ぎ、やりたい事は何でもやった。小坂講師は、思い通りの自由な青春時代を思う存分楽しんできたと言う。

私は、昔から恋愛と結婚は別だと思っていました。ですから、独身時代は大好きなハード・ロックのコンサートを一緒に楽しんでくれるメチャメチャ楽しい恋愛もしたし、結婚を意識する年齢には絵に描いたようなエリートな彼ともお付き合いしていました。両親は、私を信頼してくれていましたから門限なんて決められたことがありません。やりたいことは常に応援してもらえ、欲しい物も与えてもらっていました。学生時代から自分で稼いで、お小遣いもたくさんもらっていたので経済的にも困ったことがなかったのです。自分で言うのも笑っちゃいますが、まるで“お姫様”のように育てられました。(笑)

会社に就職してからもメキメキと能力を発揮し、上司に信用ができた頃には、自分の好きなように行動させてもらっていました。ですから不自由や窮屈は、私とは無縁のものだと思っていたのです。

ところがですよ、これ程人生自分の思い通りにやっていた私も結婚となると、この「自由」が邪魔をするんですね。私の両親は、男女平等主義だったので、やるべきことをやっていたら言いたいことも言える環境でしたから、上から目線で女性を下に置こうとする人や、女は家庭を守るべきだ、こうあるべきだと自分の価値観を押しつけてくる人とは、どんなに社会的な条件が良くてもどうしても結婚までいたらない。「あ-ぁ、いい人って意外といないもんだなぁ…」と半分諦めていた時、ふと出合ったのが主人だったのです。彼は、私の言うことをいつも優しく聞いてくれて、私の気持ちを尊重してくれる。穏やかで、私の気に触るようなことは一切言わない、物静かな人でした。特に面白いギャグを言う訳でも無く、特別ロマンチックなことをしてくれるタイプでもない。でも、この人の側にいたら本当に私が私らしくくつろげる。私の意見に反対しない居心地の良い人だなぁと思って。こんな人めったにいませんよね。私は、本当に理想的な人と結婚し、やがて娘が生まれ専業主婦になりました。しかし、この時まだ私は自分がとんでもないトリックの中にいるなんて知る由もなかったのです。

天才児を育てる!

子どもが産まれた時、小坂講師の願いは「元気にすくすく育ってほしい」ただそれだけだったという。ところが、些細なことがきっかけで彼女は自分でもブレーキがきかないほどの教育ママになっていくのだった。

出産前までの私は、理想的な彼と結婚して幸せの絶頂期でした。仕事と家事を両立させバリバリ働く私に、優しい主人は「家事は手抜きしたらいい」と言ってくれます。今なら主人の優しさだと受け取れますが、家事を完璧にこなしていた母親に育てられた当時の私は、そんな言葉が許せない。内心「あなたは私を無能扱いしているの?」と腹立たしかったのを覚えています。

最初は我慢もしてみたのですが、どうも私らしくない。言うべきことはちゃんと伝えなくてはねぇ。でも、そうするとアレもコレも引っかかるんですよ。今まで出会った誰よりも理想の人なのに、一緒に住み始めてみると、お互いが暮らして来た生活の違いに、いちいち戸惑っていました。たとえば、私の実家では、“朝食は身なりを整えて家族皆で楽しく食べるもの”でしたが、彼はパジャマのままで眠たそうにご飯を食べる…。小さなイライラは事あるごとに積み重なり娘が生まれる頃には、すっかり私は主人を見下していたように思います。

初めての出産、初めての子育て…それは私の人生から自由という自由を根こそぎ奪い取っていくような出来事の連続でした。睡眠もままならない、仕事はおろか、自分のことすらできない状況に「女は何て損な生きものなの?」と不満が爆発してしまうこともしばしば。

とうとう、あんなに愛し合って結婚したパートナーにすら憎しみが湧いてくる始末。

「せめて娘には、肩身の狭い思いをさせたく無い!」私は、次から次へと湧き上がる怒りや、窮屈な自分を振り切るかのように幼児教育にエネルギーを注いでいったのです。きっかけは、たまたま立ち寄った書店で『天才児を育てる』という育児書に目がとまったことでした。たまたまです。でもそこには“親がどう関わるかによって子供は天才児になる”と書かれてありました。こんなことで天才キッズになれるならやってみよう!って。腹立たしい毎日をなんとかしたいと思っていた私は、新たな目標ができて俄然、やる気が出て来ました。

私はその書籍に書かれてあったとおり、娘が0歳のときから様々な幼児教育を取り入れました。情操教育、右脳開発、無添加の食事。毎朝5時には起床して、おかずは3品以上を愛情込めて手作りする。さらに、脳の発達を促すといわれるサプリメントを飲ませ、絵本を一日20冊読み聞かせる毎日。娘の習い事は、成長とともにピアノ、英会話、スイミングにそろばん…と、次々と数が増えていきました。その結果、娘は優秀な成績をあげるようになり、志望する小学校にも合格。私は“優秀な子供を育てた母親”として自分の評価も上がり、ホッとしていたのです。

一瞬で消えた憎しみ

なぜ彼女は、そこまで“教育”にこだわっていたのか…。それは、この世のからくりも知らず人生の“勝ち組”になるには、優秀な成績をあげて一流の学校に入り、一流の仕事に就くことが幸せの絶対条件だと信じていたからだった。

娘が学校に上がる頃、主人は単身赴任で家には私と娘の二人の世界。私を全面的に頼っているかわいい娘は、主人のように無神経な行動で私をイライラさせることもなく、このまま私と娘は、共に幸せのレールの上を進んでいくかのように思えました。

しかし、物語はそう単純ではありません。私は、娘の幸せだけを考えて幼児教育を始めたつもりでしたが、いつの間にか娘の意思より“成績”を重要視するようになっていたのです。娘が良い成績を出しても、また下がるのではないかという恐怖で心から喜べない。そして、成績が娘の存在そのものの評価になり、また、母親である自分の評価にもなり“常に良い成績を出すこと”“上位でいること”がまるで生きるための目的にまでなってしまったのです。

次第に私は、もっと!もっと!と娘に期待をしてしまい、親子関係はギクシャクし始めます。やがて娘は、すっかり勉強をしない子になっていきました。それでも私は、今まで頑張って築いてきたものを守ろうと必死。なんとか娘に勉強をさせようとしましたが、どんどん言うことを聞かなくなっていったのです。もう!夫も娘も、どうして分かってくれないの?とひとり苛立つ毎日。娘から笑顔が消えても、憎まれても「これこそが娘のためだ」と思い込んでいた私は、そんな自分の行為を止めることができません。

そんな時、幼児教育の関係者から私はミロスのセミナーに誘われ、なぜ、教育ママになってしまったのか?そのメカニズムと、どうしたら思い通りに満足して生きられるのか?根源を紐解くシステムがあることを知りました。

セミナーのタイトルは「思い通りに生きる」でした。まさに、あの時の私が心の底から求めていたものです。そのセミナーで、ミロスの提唱者であるロスコさんが、目の前の事象は、自分との関係性でできているということを、分かりやすくミラーワールドに例えて教えてくれたのです。全部自分の内側が映っている世界…。私は、唖然としました。そしてもっと驚いたのは、単身赴任で顔を見なくなった主人に対して、時には憎しみが膨れ上がり「死んでくれ!」「いつか復讐してやるから!」とまで思っていた私が“本当は、誰よりも主人に側にいて欲しかった、ラブラブだったあの頃に戻りたいと思っていた”という、思っても見なかった本音に気付かされたのです。

結局、たった1度のセミナーで私は、主人に対する怒りも、憎しみも、不満も、何もかもすっかり消えてしまったのです。信じられます?あの憎しみが本当になくなったんです!!(笑)

コンプレックスが押し出すもの

ミロスは無駄のないシステムだと全てが納得できた彼女は、内側を映し出しているという事象から、更にとんでもない秘密を知ってしまったのだ。

ミロスに出合えたことで、私の人生は本当に大きく変わりました。“子どもは元気に育ってくれたらそれて良い”と思っていた私が、なぜ“強烈な教育ママ”になってしまったのか?ミロスのシステムはその根源を見事に紐解いてくれたのです。

実は、私の父は両親が教師だったので、一流大学、一流企業に拘りを持っていました。母の実家は、昔は有名な画家の絵を何枚も所有するほどの裕福な家庭でした。しかし、戦争で全てを失い、母は大学進学を断念していたのです。だから、母も私と兄には肩身の狭い思いをさせまいと教育には熱心な方でした。これからは男も女も平等に社会で活躍する時代だから一流の大学へと言われると、兄に負けてなるものか!と私は頑張って勉強していた気がします。そんな環境だから自然と私も娘に…と思うのが普通ですよね。 ところが、私が教育ママになった本当の根源は、そこではなかったのです。

私は、親の言うとおり頑張って勉強していました。ところが大学受験のとき、志望する大学に合格できず、私にとっては不本意な大学に入学することになったのです。母は当時、一流企業に勤める父の手前、世間体も結構気にしていましたから、志望校へ進めなかった私は、親をがっかりさせてしまったと思い、無意識にそれが学歴コンプレックスとなり、私の心の奥深くに沈んでいたのです。他の方から「良い学校じゃない」と言われても、志望校に入れなかったという結果が私を許しません。社会人になると、そのコンプレックスのエネルギーがあるがゆえに仕事でバリバリ結果を出して、ある程度のポジションにつき、自分の存在価値を成立させていたのです。

だから結婚して、出産で退職すると、今まで仕事をバリバリすることで自分の評価を得ていた私は、専業主婦という社会からも誰からも評価してもらえない立場になり、自分の中にぽっかりと穴が開いてしまった。評価が無ければ生きていられなかったのです。だからその満たされないものを今度は“優秀な娘を育てること”で埋めようとしていたのだとはっきり分かったのです。

私はミロスに出合い、頑張る自分の陰には、その行動を押し出すコンプレックスのエネルギーが潜んでいると知りました。コンプレックスという思い込みは、自分で勝手に自分を苦しめ「できない私は価値がない」と、トップを目指すのです。

講師からのメッセージ…いつでも親は子どもの応援団長!

私たちが生きているこの世界には、一枚の紙のように“表”と言った瞬間に作ってもいない“裏”ができてしまうという仕組みが存在します。“トップを取ったら幸せになれる”と思い込んでいたけれど、良い点数を取ると今度は“追い越されるのではないか”と不安や恐怖が襲ってきます。悩んで解決したのに、また悩む…一体いつになったら満足できるのでしょうか?ミロスはそんな世界に答えを出してくれました。

私は娘が生まれて初めて親の深い愛を知りました。この子のためなら何でもできる!どんな親も子どもにとっては、世界で一番の応援団長なんだと思います。でも今までは、この世の仕組みや、関係性のメカニズムを誰からも教えてもらったことが無かったから、応援が闘いや確執を生み出してきたのです。

私は、ずっと何か不思議だったんですよね。娘はのびのび育ってくれたら良いと思っていたのに、どうして私は教育ママになったんだろう?主人のことも好きで、好きで、仕方がなくて結婚したはずなのに、なんでこんなに憎しみが沸いてしまうのだろう…って。

見ている事象は自分が創り出している自分の情報です。ミロスには、その根源をあなた自身の力で紐解くことができるシステムが存在します。根源がわかれば、表から裏、そしてまた表と繰り返していたうまくいかないスパイラルを抜け出し思い通りに生きていくことができるのです。ミロスは、誰にでも使えるシステムです。人間は、もともとパーフェクトに作られているのに、他者の顔色や世間体を気にして、せっかく用意された、世界に一つだけの素晴らしいストーリーを生きられない。もう、そんな不自由な生き方は終わりましょう。

ミロスアカデミーでは、世界で初めてその“システム”をお伝えしているのです。

この記事のカテゴリー

インタビュー

インタビュー

インタビュー形式でお届けする講師や受講生の『変容』のストーリーの数々。

タグ

Browse by topic

ブログのカテゴリー

Browse by Category

キーワード検索

Search
ミロスが学べるスクール

オンライン受講が可能になりました!