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(Oさん 50代女性 兵庫県在住)

小さな頃は大好きだった母、高校生になった頃から苦手意識を感じて、なるべく接点を持たずに過ごしていた。
母とは「わかってくれない、わかりあえない」存在までにもなっていた。
母の気持ちを知るのに何十年もかかった彼女だったけれど、今また大好きな母となって一緒にいる !!
「家と家族を守る」同じ想いの両親と、人生を共に歩んできて「親の愛」はパーフェクト!
ミロスの紐解きによって解放された彼女は全ての過去に感謝し、今を楽しんでいます。


『お母さん大好き!~内側に触れて~』

私の母は、若い頃洋裁を仕事にしていた事があって、幼い頃の私と姉の洋服はほとんどがお揃いで手作りでした。
お正月や音楽会など季節の行事の際はもちろん、レインコートまで手作りで、写真が残っていることもあって、その行事の内容よりも作ってもらった洋服の方が記憶に鮮やかです。
コートの生地を持って市場のボタン屋さんに行き一緒にボタンを選んだことも覚えていますし、小学校の卒業式は私のリクエストでチェックのパンタロンスーツでした。
編み物は苦手と言って、機械編みのできる親戚に頼んでいましたが、大きくなってからの着物のショールはわざわざ誰かに教えてもらって編んでくれました。
今でも大切にしています。

今、母は85才になって、週に4回デイサービスに通っています。
そこでいろんな小物を手作りさせてもらって、家に持ち帰ってきます。
母の作るものはどこか素朴で可愛らしいのですが、当の本人はたいして思い入れもないようで、すぐに「捨てといて」と言います。
それでも私が捨てずに置いてるものがいくつかあって、ふとそれらを写真に撮ってフェイスブックに投稿しようと思いつきました。
写真を撮影して準備をしていると、そこに添える文章に、母と私の幼い頃からの少し深いかかわりを書いてみたいと思い始めました。
心の深い想いをそのような所に表現した事がないので、少し勇氣がいりましたが、エイッと思い切って投稿しました。
すると、ミロスを知らない知り合いや全く面識のない方々からの反応を多くいただいて、私としても思いがけず新鮮な体験となったのです。

以下が投稿した文章です。

✳︎✳︎…
私は小さな頃、母が大好きでした。
片時もそばを離れたくありませんでした。

少し小さく生まれた私は、からだが弱く、無類の泣き虫でした。
しんどいと言っては泣き、どこかが痛いと言っては泣き、いつもメソメソ涙を浮かべていたのです。

母は泣くのが大嫌い…
たいした理由もなくいつも泣いてる私は、母に叱られてばかりでした。
悪い事をしていなくても、ただ泣いているだけで叱られました。
ある時など、うちで飼っていた犬のロンちゃんに、間違えて、私の名前を言って叱ったほどです。

それでも母が大好きだった私ですが、高校生になった頃から、なんとなく母といることが苦手に感じ始めました。

母は私にとって、いつの間にか、「わかってくれない、わかりあえない」そんな存在になっていったのです。

それ以降、母といるととても緊張し疲れるので、なるべく接点を持たないように暮らしてきました。

長い月日が経ち、お互い年を重ね、今またこうして一緒に暮らしています。

つい先日、ふと母にこう語りかけました。
「おかあさん、なんで私が泣き虫か知ってる?」
母は、「?」という顔をしていました。

「おかあさん、小さい頃から泣かんとがんばってきたでしょう。自分が泣いてたら家が成り立たないから、ずっと泣きたいのを我慢して、一生懸命生きてきたでしょう。だから、私が泣き虫になったんよ」そう言いました。

母は、父親が外国航路の船員、母親は耳が遠く大変か弱い人、年の離れた妹と弟がいて、長女の母が子供の頃からしっかりするしかなかったのです。
その上、嫁いだ先が、上に姉(小姑)が3人いる長男で厳しいお姑さんと同居です。
にこにこ笑ってる余裕も泣いてる暇もなかったはずです。

私はずっと話したかったことを母に言いました。
「私、お母さんが一度だけ泣いてるの見たことあるよ。おばあさん(お姑さん)が倒れた時、一人で台所に座って泣いてたの見てたよ。けど、その後は一切泣き言ひとつ言わずに、介護保険もない頃に、3年間家で寝たきりのおばあさんをたった一人で介護して、最期まで床ずれひとつ作らずにきれいなからだでおばあさん見送ったね。私、全部見てたよ」

ニコニコと話を聞いていた母ですが、しばらく経ってぽつりと「ようわかるね」と呟きました。

きっと母にとって、はるか昔に心の奥に閉じ込めて封印した幼い頃の自分の本当の氣持ちに触れ、そして見て理解してくれる人がいたと知れた瞬間だったと思います。
私も、そんな母の氣持ちを知るのに何十年もかかり、今また大好きな母と一緒にいる、というわけです。

✳︎✳︎…

投稿は以上です。

私は、投稿する以前から、この泣かない母と泣き虫の私から氣づいた「一人で抱えて孤独にがんばる私」を知り、受け取っていました。
それが、今回、フェイスブックに投稿し、いただいた感想を読んでいるうちに、『もうひとつ奥に何かあるんじゃないか、もっと何かスッキリしたい!』そんな想いが湧き上がってきました。

そこで、ずっと見てきた「母の生き方」を、もう一度じっくり感じてみることにしたのです。

すると、私の心の足元に岩盤のように存在し、決して気づくのできなかった強力な無意識が、ばぁっと目の前に現れてきました。

「家族の面倒はみなくてはいけない」

父は長男、母は長女、とは言えお互いにきょうだいも沢山いたにもかかわらず、両家の祖父母は全て我が家が面倒をみて見送りました。

そんな両親を見て育った私にとって、年をとった親の面倒をみるのは当たり前。
特に姑さんの面倒を完璧に看た母が、老後を病院や施設で孤独に暮らすなど考えられず、今後暮らしの形態が変わることがあっても、一番に考えるのは両親のことです。

「子どもが親の面倒をみる」そのこと自体は、世間的にも特に昨今は素晴らしいことだと言われると思います。
けれど、「私がみないといけない」というのは、強力なエゴです。

私の中で決して見破ることのなかったそのエゴの想いは、母の想いそのものだったのでした。

そのことを受けとることができた私は、「本当はどちらでもよかったんだ。あー、スッキリした!」とのびのびし、「フェイスブックに投稿して本当によかったな〜」としみじみ喜んでいました。

ところが、この話は、まだこれでは終わらなかったのです。

投稿して2日後の夕方のこと。
普段は静かな母が、ずっと何かを言っている声が聞こえてきました。
側に行くと、母は怯えた顔で、「こわい〜、こわい〜」と言い続けていたのです。
「おとうさんは、、、?」と言うので、父を呼びに行くと、今度は父を指差して、「あの人怖い〜」と怯えるのです。
もちろん、こんな母は初めてでした。
私のことも父のこともわからなくなっていました。

ミロスを知らなければパニックに陥る所ですが、『これは以前分かっていたパターンだ』とすぐに氣づくことができ、心を落ち着かせて、怯える母をジッと見続けました。
おそらく母は、フェイスブックの投稿に書いた私とのやりとりの中で、ずっと封じ込めてきた幼い頃からの本当の想いに触れたので、同じく表に出さず閉じ込めてきた怖かった想いがこういう形で出てきたのではないかと思いました。

そして、私の中にある無意識です。

母は、父を指差して怖いと言いました。
私の中の、男性に対する恐怖だと思いました。

心の中を探っていくと、あったのです。
一方的に怒鳴ったり脅かす男性への恐怖が。

以前、私がお店をしていた時、2度も窓を割って泥棒に入られたり、いわれのない脅迫電話を受けたり、他にも何かと怖い思いをしてきたのです。いずれも男の人でした。
なんでも一人で決めないといけないというのも恐怖でした。
そして、今思うのは、私は父に叱られた事は一度もないのですが、幼い頃に幾度か見た父の怒る姿に「怖い」という思いを持った事が、それらの根底の原因かもしれません。

目の前の「こわい〜、こわい〜」と言う母の姿は私なんだ…そう受けとると、氣持ちもスッキリし、その日の夜は、母を早めに寝かしつけて、私も眠りにつきました。

翌朝、母は、いつもより少しぼんやりしていたものの、以前の母に戻っていました。
いえ、昼過ぎからは、以前よりしっかりしてきたのです。
「おかあさん、生まれ変わったみたい…」そう思いました。
「これが、本当のおかあさん?」

今までずっと見てきた父と母、あれはいったい何だったんだろう…。

今、私の目の前にある両親の姿が超現実で、今までの姿は全て私が創り上げた幻想。
そして、この目の前の両親の姿が、今の私の姿。

そして、もしかしたら、人一倍泣き虫の私のために、こうやって完璧な鏡となって私の内側を映し出してくれ、やがて来るお別れのための心の準備をさせてくれているのかもしれない。

全ての「親の愛」は、どんな形であれ、パーフェクトです。

この世に親から生まれてきていない人は一人もいません。
ですから、全ての人がミロスの実践をすることができます。
ミロスの実践で、「親の愛」を知ることができるのです。

この事を体験できた私は、本当に生まれてきた甲斐がありました。
そして、この両親の元に生まれ、この人生を歩んできて本当によかったと、全ての過去に感謝できました。
こんな事もあって、ふと『そういえば、父の持つ「恐怖」って?』と…
父のことを考えていると、思い当たったのです。

父は、父親を早くに亡くし、わずか10代で家族を支えるために社会に出て行かなければなりませんでした。
母も、子どもの頃から家族の世話をし、嫁いだ先で厳しい姑さんと同居し、たった一人で介護を全うしました。
二人とも、とても孤独で怖かったと思います。

ここでハッとしました。
二人とも、この「孤独と恐怖」の奥に、全く同じ想いを持っていたことがわかったのです。

それは、「家を守り、家族を守る」という強い想いでした。

同じ「家と家族を守る」という想いを持っていたにもかかわらず、父は社会という外側で、母は家庭という内側で、その方向の違いから、お互いを理解しあえずに、たった一人で怖い思いを押し殺して孤独にがんばり続けなければいけなかったのです。

私も、父と母と同じ想いを持ち一人でがんばって孤独と恐怖を体験し、ミロスに出逢い、長いプロセスを経てやっと今、この根底にあるご先祖さまから代々引き継がれた「テーマ」にたどり着きました。

この「テーマ」を、ミロスで紐解き解放することが、ご先祖さま全員の悲願だったのではないでしょうか。

私は、自分でわかっていました。
自分の内側が、空っぽで真っ暗だという事を。

だから、外側でキラキラして見えるものを追い求め、尽きることなく理想に向かって突き進んできました。
けれど、そのキラキラと見えた理想は、手に入れたと思った瞬間、手から砂がこぼれ落ちるように儚く消えてなくなっていきました。
もちろん、エゴを手放すなど、最も恐ろしいこと。
なにもかも全てがなくなってしまうのですから。

今、こうしてたった一人で何も持たずに、すっくと立って、私は私に問いかけました。
「どう?理想も未来も何もないよ。こわくない?大丈夫?」

「大丈夫、こわくなんかない!」

私は両親から生まれてきた。
今の私の内側は、美しい彩りに溢れ、あらゆる可能性が詰まっている。
答えは内側にある。

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