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(K・Rさん 70代女性 京都在住)

何故、障害物競走のような人生だったのか??いつも疑問に思いながらも生きてきました。
だれも教えてくれる人はいません!ミロスを知って、ようやくその人生を自分が作った世界だった!と理解したときに驚きと衝撃が…
そしてそれこそが“愛”を知るため!自分自身を知るためだったのです。
家族のためにと頑張って生きてきた実父と舅が同じだったんだ!どちらも家族を支えた人達。
今までの思い込みで作った舅はもうどこにもいません!…この家族でよかった!
ようやく私は新しい人生のスタートをきりました。


『内なる葛藤の終焉~私の人生再スタート!~』

2016年の11月より2017年の4月まで約5ヶ月にわたり、ミロスウィズダムマスター(MWM)コースを夫婦二人で受講する事が出来ました。
途中、腰が痛くて歩けなくなるハプニングもありましたが、主人と一緒だったお陰で最後まで頑張れたと思います。

私は78歳、主人は80歳での新たなスタートをきることができました。
今までの人生は自分が作ってきたシナリオであり自分が作った世界だと言われた事が最初はショックでした。
まさかそんなことあるなんて…
そしてそれが“本当の愛”を知るためである !!

驚き、感動が沢山あって、講義が修了するころには気持ちが軽くなっていくのが分かり、嬉しくなりました。
今まで私がずっと握りしめていた“葛藤・苦しみ・寂しさ・不足感・自己否定”の数々が取れていき、癒やされて行ったいきさつをここにまとめさせて頂きます。
まずは、ここで自分の育ってきた環境や、実の父親と嫁ぎ先の義父である舅さんとのことを中心にさせて頂きます。
かなり長くなりますが、お付き合いくださいませ…

私の父親は長崎県の佐世保で、9人姉弟の下から2番目のたった一人の男の子として産まれました。
幼くして両親を失い姉達の義兄さんに面倒見てもらうのも窮屈だし、農業も嫌いなので、18歳になった時に、誰一人として知人のいない大阪へ単身で出てきました。
働く所も寝る場所もなくて、保証人のいない田舎の男性を誰が雇ってくれるのか???きっと野宿をしたり食べれない時もあったのだと思いますが、母親が子どもの私に話したりすると、父親は嫌だったのだと思います。
「子どもに親の苦労話しをしなくていい!」と母親に言い、その後は昔の父親の苦労話しの事は何も聞く事はありませんでした。

仕事は朝早くから夜遅くまであり、
日曜日もお正月もなく、本当によく働く父親でした…
学歴がなかった分、後から来た実力のない仕事の出来ない人にすんなり専務や社長に座られる悔しさも経験しながらですが、会社経営設立時の6人の一人として、肩書きこそ工場長という名のもとですが、良い待遇を受けるまでになっていきました。

そして私の母ですが、産まれて直ぐに曽祖母に預けられていました。
自分が再婚するために我が子を親に預けて出て行ったのです。
産まれて直ぐに預けられた母は曽祖母が仕事で忙しかった為に親戚中をたらい回しにされたり、いじめられながら育ちました。
祖母は再婚後に子ども(種違いの妹)を産み、そこでは裕福だったと聞いています。

ところが、私が小学校3年生の時に、叔母の離婚により、祖母と母とは種違いの妹(叔母)と、その子ども(当時5歳)を連れて、私達の家に転がり込んで来たのです。
長女の私の下に妹と弟の5人の家族の家に突然住み始めて、少しだけのつもりだと言っておきながら、その後9年間も同居する事になりました。

私達5人家族に加えて3人がふえたことになり全部で8人家族の生活は忙しくなる一方でした。
母にとっては、自分を捨てた親の面倒を見ることになり、それは、それは嫌だったことだと思います。
夫にも気を遣い祖母や叔母や、その連れ子にも気を遣い、板挟みになりながらも面倒を見ていました。
そして私達子どもにとっても甘えたい時に甘えることも出来ずの生活を強いられていたのです。

私は両親に迷惑かけないように生きていきました。

母を捨てた祖母達親子を預かる父の思い…
父も小さな時に両親を失い、母も同じように祖母に捨てられ両親を知らずに生きてきました。
お互い寂しい思いをしてきた者同士、断る事が出来なかったのだと思います。
家族だけの生活がしたい!けれど誰にも言えずに皆、遠慮しながら過ごしてきました。
近所の人からは、父のことを苦労人で本当に偉い人やねと言われていましたが…
『細かい事は一切何も言わない寡黙な父…(偉い父)』でした。
とにかく嫁にいった私を良く気遣う優しい父でした。

今まで、自分の父の事は美化していて偉い人、ましてそんな父に向って逆らえるはずもありません。
思えば文句の一つも言いたいこともありましたが言えませんでした。
なんて言いたかったのか??と考えてみると…

それは「誰が大事なのよ!家族だけで楽しくしたかったよ!」って…言いたかったし、寂しかったよ!もっと私達を見てよ!もっと話しを聞いてよ!
もっともっと…言いたい事が山ほどありました。でも言えません。
お父さんが凄いと感じていたので嫌なことなんて言えませんでした。

そんな実父に比べて、私が嫁入りした先の舅さんは、文句の多い人でした。
舅の一言で全てが決まり、それに抵抗してはいけません。姑さんは逆らった事がほぼありませんでした。
意見を言うと最後まで反対されて、それが辛くて「もういい!」と諦めていったようでした。
舅さんは、いつも自分が一番偉い自分の言う通りにせよという具合でした。
そんな舅さんも元々は苦労人でした。
14歳の頃から鋳物屋さんに丁稚奉公にいき(当時の労働条件は過酷)、手先が器用で腕の良い職人さんだったので、2つ目の会社では社長さんの跡継ぎが来るまでは重宝がられていましたが、最後は辞めざるを得ないようになり、そこからは持ち前の「なにくそ精神」から一人で会社を立ち上げていくような頑張り屋さんでした。

私の中でもとてもやりきれないエピソードの一つとしてこんな事がありました。
私が結婚して直ぐの頃に私の名前は「良子」と書いて「よしこ」というのですが、
『親戚に「よしこ」が何人もいるので、今日から「りょうこ」にする』と言われて、今ではその呼び名の方が長く使われているぐらいです。
そんな文句ばかり言う舅が私は大嫌いでした。
『文句ばかりのうるさい舅…(大嫌いな人)』

こんな二人の男性ですが、どちらも家族の為にひたすら頑張って生きてこられたとは思います。

私は実父と比べて舅さんへの思いは違って捉えていました。
言葉数が多くて文句ばかり言われていたように思えて大嫌いでした。思えば舅さんが頑張ったからこそのことが沢山ありましたが…とにかく嫌いだったので思い込みからみる舅さんは嫌なことしか映らなかったです。

寡黙な父と嫌なことしか言わない舅…どう見ても同じなんて考えたこともなかったけれど、MWMコースで紐解いてもらったお陰で、“形は違うけれど、お互い苦労して家族の為に頑張り抜いた人ですよ~”と講師に言われて、初めて“ほんとだ!同じだ!”と思えて本当に癒やされました。
嫌いだった舅さんに対しての思いが変わっていくのが感じられました。状況(外面)が違うので全く分からなかったです。

偉い父と大嫌いな舅、でもどちらも同じ良い所と嫌な所があっても良かった…
やっと舅さんを受けいれられたと感じたのです。
なんだかいつも心の中にもっていたモヤモヤした気持ちが、ス~~~と取れていくのが分かりました。
同じだったんだ…。

どちらも頑張り続けた人達…
そしてそれを支えた母と姑達の人生がようやく見えてきたのです。
私の人生も、どちらの家族も、みんな“障害物競争”のような人生でした。

そして私…
家族や親族の為にひたすら面倒を見てきました。舅、姑の介護もしました。
父にも母にも頼れず、迷惑かけず生きてきました。
お嫁入りしたときに「もう帰る家はないんだ!」くらいの覚悟で嫁いで来ました。
何があっても我慢するんだ!何処かで感じていたことでした。

自分に与えて来た、頑張ることでしか生きてこれなかった人生。認めてもらいたくてやり続けてきました。
人の為には良くしますが、自分の為には優しく出来たのでしょうか?
私自身、良く病気もしました。そうしなければ休むことが出来ないからです。
嫁いだ先も自分の実家も頑張ってこられた方達の集まり…

そしてそれを支え続けた私の夫の頑張りがあったお陰で、今好きなことが出来ています。
過去の出来事は変わりません。
でも明らかに自分の思いは変わり、癒やされている自分がいます。ミロス凄いです。

私の人生これからがスタートです… !! !!

 

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