MIROSS ACADEMY

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キャッチフレーズ

世界を救う創造力─絶対平和の実現へ

現代社会はさまざまな問題で溢れており、私たち人間が一日たりともその影響を受けずに生活することは不可能に近いでしょう。私自身、環境問題や人の暮らし方に興味をもち、地球を救いたいという強い思いに導かれて、ミロスシステムという新次元の思考テクノロジーに出会いました。いま人生を振り返ってみると、それはすべて必然だったことが分かります。

小学校4年生のある日、学校から帰ると、いつもいるはずの母がそこにいませんでした。病院に入院したというのです。保険や化粧品の販売員として毎日はつらつとしていて、優しくて一度も怒ったこともない母。その日から、まるで明かりが消えたかのような暮らしが始まりました。幼かった自分にとって、母の不在はよほどのショックだったのでしょう。その前日まで母といっしょに家で暮らしていた記憶が今でもありません。

父は大手企業の管理職にありながら、毎日病院に母を見舞っていました。ところが、そこで見たものは、療養生活で辛い思いをしている母に対する父の厳しい言葉でした。それは弱者に対する虐待でしかありませんでした。この体験が父に対する私の強烈な敵意をもたらしました。

「この男を殺さなければ、母が死んでしまう。父から家族を守らなければ」

母を守らねばならないという強い責任感と、現実には何もできないという無力感のはざまで、私は葛藤に苦しんでいました。

ところが、真実はそうではありませんでした。母は末期癌で、余命宣告を受けていたのです。母を溺愛していた父は、抗がん剤を使用した治療で弱っていく母を見ていることが耐えられず、弱音を吐く母を叱咤激励していたのです。

当時、私たち子どもには、母の命がもう長くないという真実は知らされていませんでした。その無知ゆえに、母に対する父の必死の看護を虐待と見なしていたのです。

やがて、手厚い看護も空しく母が他界。目を閉じると、母の凄まじい亡くなり方が鮮明にフラッシュバックするため、恐怖で眠ることができませんでした。愛する母を失った深い悲しみと苦しみで、私は毎晩、もがき続けました。

「自分は弱すぎる」
「何もできない自分が許せない」
「生きることは、どうしてこんなに苦しいのだろう」
「なぜ自分は生まれてしまったのだろう」

母を亡くして茫然自失の父に鞭を打つように、そんな問いを浴びせる毎日でした。

深い苦しみのなかで私が出した結論は、「楽しいことをやること以外、生きる意味はない」ということでした。楽しいと思えることは徹底してやり、少しでも楽しくないと感じることはやめました。中学校ではバスケットボール部に入り、練習に没頭しました。しかし、それは楽しむためであると同時に、自分の身体をいじめ抜き、苦しみに耐え抜く精神力を鍛えるためでもありました。練習で疲れ果てた状態になることで、やっと眠ることができる毎日─当時の私はそれほど母の死を引きずっていたのです。

やがて過度の練習がたたり、下半身麻痺の症状が現れました。さらに不幸は重なるもので、医師から将来失明する可能性が高いことも告げられました。

「どうして自分ばかり、こんな苦しい目に遭わなければならないのだろう」

人生に絶望して自暴自棄になり、死ぬことばかりを考えるようになっていました。もはや落ちるところまで落ちてやろうという思いも湧き上がってきましたが、自分に命を与えてくれた母のことを思うと、どうしてもそれを許すことができませんでした。

母の壮絶な死を目の当たりにし、自らも苦しみのどん底を体験するなかで、私は人間のあらゆる苦しみを根絶したいという思いを抱くようになっていました。その思いは「地球を救う」という思いへと発展し、環境への興味へと繋がっていきました。そして、環境を研究するにつれて、「空間とは何か」を探求するようになり、それを学ぶために建築学校に入りました。

素晴らしい先生との出合いに恵まれ、空間の研究に没頭するようになった私は「環境の再生こそが人間の再生である」と考え、失明する前に可能な限り多くの建築に触れようと、日本全国と海外を渡り歩きました。

研究が深まっていくにつれて、人に影響を与えているのでは環境ではなく、空間そのものであるという結論に至りました。

「空間に必ず秘密がある。空間の正体を知りたい。そして、思うがままに空間をデザインしたい!」

しかし、いかに素晴らしい建築や空間を見ても、私が求めていたもの、つまり「人間を幸せにするための圧倒的な創造力とは何か?ガウディのサグラダファミリアを超えるものはないのか?」という問いに対する納得のいく答えにたどり着くことはできませんでした。そんななかで、クリエイティブを求める旅が始まります。インスタレーションをはじめとするアート活動に携わりながら様々な方の話を聞くなかで、私の自分探しは迷宮へと入っていったのです。

当時、湾岸戦争やオウム真理教の事件が連日テレビや新聞で取り上げられていました。そして、あの衝撃的な映像─ツインタワーの崩壊を見て、私は「人間とはなんて愚かな存在なのか」と、どうすることもできない虚しさと儚さ、そして強い憤りに呑み込まれていきました。

「こんな人類なんて、消えてなくなればいい…」

どんどん大きくなる虚無感。そして、人類から苦しみを根絶したいという思いと、その対極にある残酷な思いの間で葛藤に苦しみました。

「本物の創造力がほしい。それさえあれば、もう何もいらない」

そんな想いでいっぱいになっていたとき、私はミロスシステムと出合いました。

ミロスを通して知ったことは、それまでの私の考え方とは真逆の概念でした。「人を救うために空間を創造する」と心に決めて活動していた自分に突きつけられた「空間とは人である」という言葉。空間の正体を探求してきた自分にとって、このシステムの発見者であるロスコ氏の言葉はあまりにも衝撃的で、とてつもなく感動的でした。あまりの感動に歓喜で何か月も泣き続けたことを思い出します。

その日を境にして、建築に答えを求めることはなくなりました。それは同時に、私の「自分探し」が終わった瞬間でもあったのです。

見えない世界と見える世界が融合する

学生時代から空間に興味を持っていた私は、アートや空間デザインを手がけていました。当時は、どうやって新しいもの、斬新なデザインやアイデアを絞り出すのか、どうやって世間を驚かせるのか、感動させることができるのか─それしか考えていませんでした。それが私にとっての「クリエイティブ」だったのです。しかし、ミロスに出逢い、真のクリエイティブとは圧倒的な感覚であり、それとは全く次元の異なるものであることを知りました。

私たちが生きている三次元の世界(上下、左右、前後で構成される空間)では、あらゆるものが2つの極のペアとして存在しています。光と闇 過去と未来 生と死 男と女。これらはいずれも、一方だけで存在することはできません。もう一方と必ずセットで存在しています。これを相対の関係性といいます。

これはデザインやアートなどの創作活動においても例外ではありません。創作者である自分が、その外的環境(キャンバスなどの媒体)に対して表現するからです。つまり、創作活動は、作る者(自分)と作られるもの(媒体に表現された作品)という相対関係のうえに成り立っているということです。

さらに、創作者である私たち自身にも、相対の関係性が内在しています。私たちは、必ず父(男性)と母(女性)から生まれます。そのため、父と母からそれぞれ、男性性と女性性を遺伝子という形で受け継いでいます。私たちは肉体的な特徴から「自分は男である」「自分は女である」と思って生きていています。そして、普段から「男性は男性らしく、女性は女性らしく」という社会通念のために、内面の異性(男性であれば内面の女性性、女性であれば内面の男性性)を抑圧して生きています。つまり私たちは、生まれた瞬間からずっと内面に葛藤を抱えながら生きているわけです。

ミロスシステムでは、この内面の葛藤が、あなたが目の前の世界、つまり外的環境に映し出されていることを明らかにしました。

環境問題や戦争をはじめとして、今、世の中ではさまざまな問題が起こっています。それは一見、私たち個人とは直接的な関係がないように思えるかも知れません。しかし、実は自分が見ている世界に感じていることはすべて、自分の内面にある葛藤が外的環境に反映したものに過ぎないということです。

私はこれを知ったとき、長年にわたって解明しようとしていた「空間や環境の正体」が、内なる男性性と女性性という相対のペアの関係性によって生み出されているという「答え」を手に入れたのです。

話を創作活動に戻しますが、デザインやアートとして創作したものは、作り手の内面にあるものを表現したものである以上、そこには必ず葛藤が表現されています。内面の男性性と女性性—その2極が引き合い、反発し合うことから生まれたエネルギーだといえるでしょう。長い歴史のなかで私たち人間が生み出してきた素晴らしい創作物─絵画や彫刻、建築など─は、このエネルギーによる偉業だといえるでしょう。

しかし、もしその内面の男性性と女性性を融合させ、葛藤を解消することができるとしたら─そこには従来生み出されてきたものとは全く次元の異なる「新しいクリエイティビティ」が発露することは容易に理解していただけるでしょう。ミロスシステムとは、そんな不可能を可能にする「宇宙でもっともロマンチックなテクノロジー」といっていいでしょう。

全く新しい創造の世界

ミロスシステムでは、人間の設計図に基づいてこのようにして内面の葛藤を終わらせていくことにより、自分と相手という2極をも融合していきます。それは、自分から相手を見る視点で生きるのでもなく、相手から自分を見る視点(他者基準)で生きるのでもない、その2極を超えた全く新しい視点を得ることになります。その結果、あなた自身が目の前に葛藤を感じるような事象が起こらなくなっていきます。

これをクリエイティブの観点でいうと、自分と相手(外的環境)という分離がなくなったとき、自分という創作者でもなく、その対象でもない、まったく新しい視点での創造である「超越空間」が“始まり”、その領域でリアリティーを体験することができるようになったのです。それは人類に届けることができる最高に感動的なイベントだといえます。

ミロスシステムの理解によって新しい視点を手に入れるということは、まさに新次元の視点を手に入れることによって、まったく新しい領域で創造をすることだといえます。ひと言でいえば、あなたの存在の本質であるクリエイティビティそのものとなり、それを体現する生き方を手に入れるということです。私は、「自分自身の設計者(プログラマー)になる」という人類未体験の領域、創造性と愛の世界に皆さんを誘っています。

毎瞬毎瞬が感動と創造でできている

ミロスシステムに出合い、「人が空間である」という答えを得た私は、日々、システムのなかで生きながら、講師活動を通してシステムをお伝えしています。

「自分と相手」という分離の世界、相対の一方から見た世界から脱却した私が目にしているのは、真の豊かさのリレーです。ご縁をいただいた皆さんが、私と同じように内なる葛藤から解放され、歓喜の人生を楽しまれている世界─それは、葛藤から解放された私の内面が目の前に映し出された世界なのです。

ミロスシステムの素晴らしい点のひとつは、このようにしてシステムを理解した人の変容が、それぞれの「縁」を通してどんどん広がっていくことです。それはまるで、一輪一輪、唯一無二の美しさに溢れる花が次々と咲きみだれていくのを見ている感覚です。システムに触れた方がご自身の生まれ持ったもの、クリエイティビティを発露させる。人間の根源を体現する。

私は、アーティストやデザイナーの方が持っている「人を驚かせたい、喜ばせたい、感動させたい、作品を通して豊かになってほしい」という強い思いを形にするのは、このような生き方を体現することなのではないか、と思っています。システムの理解によって新しい視点を手に入れた新次元のクリエイティビティには、従来のそれを超える「すべてのすべて」があるからです。

一人ひとりが自らの存在の正体を知って生きること、あるがままに自らの本質であるクリエイティビティを表現すること、それが本当の意味でのエンターテイメントだったのです。

そこでは、作品によって人を受け身的に感動させるのではなく、その人が人生の主人公として自ら宇宙を創造することであり、その領域で縁を得た人がさらに自らの宇宙を創造していく…これが本当の意味での豊かさのリレーなのです。

どんどん宇宙が広がる体験は、何ものにも変えられない感動です。頭をひねって考え出したものをキャンバスに描くのでもない。映像をスクリーンに投影するのでもない。バーチャルリアリティの装置を使って疑似体験をしてもらうのでもない。ミロスシステムの理解を通して、いま生きているこの目の前の世界(空間)の正体を見破ったとき、いま体験しているこの世界こそがバーチャルリアリティの世界であることを瞬時に体感します。実はそれこそが、人間の本質である真のクリエイティビティが発露して生み出された「あなたの創造物」なのです。

毎瞬、毎瞬、思い通りに宇宙を創造している感覚。それを体験している(観ている)自分とは何者なのか。それは、従来の人間の概念を超えたもの─私たち一人ひとりのなかにある「神性」と言えるかもしれません。人類は、内なる男性性と女性性の融合、さらに統合により、自らの限界を突破したのです。

これまでの人生で、さまざまなクリエイターやアーティストの方々との貴重な出逢いをいただきました。世界平和や人権などテーマをもって活動されている素晴らしい人たちもたくさんいらっしゃいました。それは、唯一無二の存在としてこの世に生を受けたお一人お一人が、自らのテーマを表現されているからだと思います。

私は、ミロスシステムがあれば、そのような素晴らしい表現、生き方を「全く新しい視点」から俯瞰し表現することが可能になると考えています。そして、全く新しい創造性が問われる時代にあって、あるがままで生きることが最高のクリエイティブであり、エンターテイメントであると確信しています。

このような「人間の再生」こそが環境の再生であり、地球の再生でもあります。私は皆さんといっしょに、新しい文明を創造していくためにミロスシステムをお伝えしています。目の前の世界の変容、その連鎖、そして拡散─世界平和という言葉をここまで身近に感じたことはありません。

このシステムは、人類が初めて手にする「絶対安心」の新たな感性なのです。

 

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