MIROSS ACADEMY

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“コンプレックス” という名の甘い蜜

子供が産まれた時、親の願いは「元気にすくすく育ってほしい」…ただそれだけではないでしょうか。ところが、子供が成長するにしたがって、親はいろんなことを子供に期待するようになり、様々なものを与えようとします。すべては子供のためであり、幸せになって欲しいという親心からなのですが、親が「よかれ」と思ってしたことが、かえって裏目に出てしまい、子供の可能性を狭めてしまうこともあるのです。

私も娘が産まれてからは、わが子の顔を見ているだけで幸せでした。「勉強やスポーツで活躍して欲しい」とか「将来、良い学校に入って欲しい」などとは考えもしませんでした。

しかし、たまたま立ち寄った書店で『天才児を育てる』という育児書を手にしたことから、親心の背後に潜む私のコンプレックスがうずき出したのです。その頃、まだミロスを知らない私は、まさか自分がコンプレックスに動かされているとは思いもしませんでした。

親がどう関わるかによって子供は天才児になれる ― その本に書かれていた一文に私の無意識のコンプレックスが触発され、まだ0歳児の娘と共に幼児教育に取り組み出したのです。ピアノ、英会話、スイミング、そろばん…と、本当にたくさんの習いごとをさせました。そして、家では私が先生になり、びっちり教育しました。他にも、脳の発達を促すといわれるサプリメントを飲ませ、食事にもこだわり、子供を天才児にするという目標に向かって、がむしゃらに頑張っていました。

なぜ私は、そこまで “学力” にこだわっていたのか ─ それは、人生の “勝ち組” になるには、勉強して優秀な成績をあげて一流の学校に入り、一流の仕事に就くことが最短最速の方法だと信じていたからです。

その結果、娘は優秀な成績をあげるようになり、志望する小学校にも合格。また、“優秀な子供を育てた母親”として自分の評価も上がり、このまま母娘共に幸せのレールの上を進んでいくかのように思えました。しかし、事はそう単純ではありませんでした。

娘の幸せを考えて始めたつもりが、いつの間にか “成績” を重要視するようになっていたのです。娘が良い成績を出しても、下がることへの不安から、心から喜べなくなっていきました。そして、成績が娘の評価になり、また、母親である自分の評価にもなり、“常に良い成績を出すこと” “上位でいること” が目的になってしまったのです。

次第に親子関係がギクシャクし、娘は勉強をしなくなっていきました。それでも私は、今まで頑張って築いてきたものを守ろうと必死でした。そして、娘になんとか勉強をさせようとしましたが、どんどん言うことを聞かなくなっていったのです。

子供から笑顔が消えても、子供から憎まれても、「これこそが子供のためだ」と思い込んでいたため、そんな自分の行為を止めることができませんでした。そして、もうどうにもならなくなった時、ミロスに出合い、なぜこんなことになってしまったのかを理解することができました。

実は私の母も教育熱心な人でした。私は親に喜んでもらえるのが嬉しくて勉強を頑張っていましたが、大学受験のとき、志望する大学に合格できず、私にとっては不本意な大学に入学することになりました。その時、親をがっかりさせてしまった自分への失望が学歴コンプレックスとなり、それ以来、肩身の狭い思いをしていたのです。

社会人になると、そのコンプレックスをバネにして仕事でのし上がり、ある程度のポジションを獲得しましたが、結婚し、出産で退職することになりました。今まで仕事をバリバリすることで自分の評価を得ていた私は、専業主婦になり、また自分の中にぽっかりと穴が開いてしまったのです。その満たされないものを今度は “優秀な娘を育てること” で埋めようとしていたのです。

産まれた時、そのままでよかった子供にあれこれ手をかけ過ぎて、その子が本来持っている可能性を狭めてしまっては、親にとっては本末転倒です。私はミロスに出合い、本当の意味で「親が子供のためにしてあげられること」を学びました。私が何も言わなくても、娘は自ら勉強をするようになり、めきめきと才能を伸ばしています。私も “教育ママ” という称号からも解放されました。

近年、少子化の影響により、子供一人を養育するのに必要なお金が増えているのも、その子にかける親の期待の大きさの表れではないでしょうか。その親心が空回りしないように、そして、親も子もまったくストレスなく、毎日を楽しみ、本来持っている未知の可能性を引き出していく ― そんな “まったく新しい子供と親の生き方” を実体験をもとにお伝えしています。

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