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言いたいことを言えない人は、自分の発言や行動に対してあまり自信を持てないとか、仕事関係の方や友達、また夫婦であっても、ついつい本音を隠してしまう人もいるのではないでしょうか?相手を傷つけてしまうとか、関係性が悪くなるのが怖いと感じてしまうなど。今回の女性もそんな風に、言いたいことがあっても、言えなかったのですが、カリキュラムを受けたところ、自分とのコミュニケーションが取れずに生きていることを知り、自分を蔑ろにしていたことにも気づき、一気に周りとの関係性が変わっていきました。今は生きていることが豊だと感じる毎日を送られています。

Yさん 70代 女性【広島県】

母の想いに応えられない

私は5歳上の兄と二人兄妹ですが、間に死産の双子がいて両親からは大事に、かつ母からは心配で箱入り娘に育ててもらいました。

兄とは家で過ごす時間が少なく、破天荒ぶりから、一緒の思い出はほとんどありません。

父は7人兄弟の長男で、出征の経験もあり、親同士の約束で、母とはいとこ同士の結婚。

両親の土地に家を建て、兼業や投資もしていてお金には困ったことがありませんでしたが、長男として後を継ぐことが叶わず、その寂しさ虚しさを紛らわすためにお酒が手放せなくなり、アルコールの残った状態で仕事に出るので私はいつもハラハラしていました。

母は11人兄弟で学業が好きでしたが、進学は諦め、家族のために若いうちから働いてきました。
長男の嫁として家族に尽くすも「役に立たない」と外に出され(父も出征後痩せ細り家業を継ぐには無理と思われた様)、それでも親戚の子供を我が家で面倒を見るなど一生懸命でした。

母は、父のアルコール依存の姿に世間体と闘い、鬱で寝込むようになっていき、私はその姿が嫌でたまりませんでした。

両親の姿、自分だけを見てもらえない、そんな寂しさや、親族間のゴタゴタから、高校生の頃には無気力になっていて、出来ていた勉強もさっぱり分からなくなりました。

進学を望む母の想いにも応えられないジレンマもありましたが、全くやる気のない状態で、今思えばまるで死んだように生きていました。

家族を良くしたい!

そんな中、とある宗教の人から勧誘され、「家族を良くしたい」という想いから入会しました。

主人とは親戚からの紹介で見合い結婚し、実家で父の仕事を手伝いながら、長女と次女を出産。

主人は〇〇宗教に反対していましたが、両親が辞めるように私に言うと、主人がかばってくれる(笑)の堂々巡りをしながら継続していました。

結婚6年後、父が購入した土地に家を建て引っ越し、三女を出産後も『捨て育て』の教えを信じ、幼子のうちから一人置いて活動をしていました。

主人からは「家族が一番大事」と言われていましたが、私にとっては「家族のためにやっている!」などと主人のことを聞き入れませんでした。

長女と次女を〇〇に連れて行くこともしていたのですが、長女が中学2年生の時に、母の日の子供の集いに参加するよう懇願しました。

長女は「行ったら〇〇を辞めてくれる?」と泣いて訴えたことで
ハッとしました!

ちょうどその頃、教えと自分の行動に矛盾を感じていたのもあり、娘の一声に迷いなく退会しました。
主人も心から喜んでいました。

自分を生きることが喜び

その後も外側に生き方を求めることは続けていて、何か違うと感じては辞めるのを繰り返していたところ、知人の紹介で2008年神戸で開催されたLive in MIROSSに長女と参加したのをきっかけにミロスに触れ続けています。

娘と一緒に、また一人で、沢山のカリキュラムを通して自分を知っていく中で、父が亡くなったときに不謹慎にも安堵した自分を許すことができました。

母に対する拒絶がどこから来ていたのかを理解したり、両親が愛し合っていたことを知れたり。

20年前に悪性リンパ腫ステージⅢで抗がん剤治療の経験があったのも、両親と同じく寂しさから作り出したものと受け取ったり、その中で家族(母と暮らしている兄夫婦も)がどんどん変わっていき、楽になっていきました。

母方の家系は自殺者が多く、母自身も父が亡くなった後自殺未遂をしています。

母が生きていてくれた感謝はあるのですが、ミロスを通して、「生きてなかったのは私だった!」と他者の目…特に母の目を気にして自分がなかったこと、自分を生きてなかったことが受け取れたことで、自分を生きることへの喜びを感じられるようになっていきました。

自分とのコミュニケーション

今回、長女と一緒にミロス実践コースを受講したことで、さらにいろんな気づきがありました。

講師からお互いが距離を置いて日々の出来事や感じた事を言えてないのでは?と親子に壁があることをまず気付かされました。
私は「自分に自信がないです」と発していました。

私たち親子が話す直前にシェアした方が「子供の事が不安なんです」と楽しそうに不安を何度も口にされる。

親子で何でも話せる凄い子供さんなのになぜ不安なの?とひとごとのように笑って聞いていました。
しかし、不安なのは私だったと一致しました。

娘が傷つくかもと言えないのは、本当は自分が傷つくのが怖くて不安だった。

自分とのコミュニケーションが全くないからでした。

父母を観て作り上げた「無価値な私」は間違った思い込みだったと、そこからも解放されました。

授業で、親子共々、マイナスに触れるのが怖くて結局は、両極から逃げてると言われました。

ぼんやり生きている。

おかしいと思うこと、理不尽だと思うことがあっても、客観視するというのではなく、触らない、感じないようにする、放っておけばなんとかなるかも、そんな生き方でした。

唯一無二の自分に、失礼な扱いをしていたことも受けとりました。

言いたいことが言えなかったけども

終了後は長女と何でも感じた事を話せるようになった事が嬉しく幸せです。
これからは自分を大切にして今を楽しんでいこうと思いました。

そして、喜び、感動もあるうちに、行動に移したことがあります。

カリキュラムのなかで自宅への侵入路がない、道がないことを話しました。

道がない、自分の進む道がはっきりしないのにそのままにしておくなんて!と講師に言われ、本当にそうだな、ぼんやりにもほどがあると思い、いままでなら無理だったけど、道のことで叔母と話をすることができました。

ちょうど息子も来ていて、

私はこのままでは将来、袋地のままでは家も建て替えることも出来なく、子どものことを思うとちゃんとしておきたいと自分の思いも話す事が出来ました。

叔母から「あなたが困る事はするつもりは一切なく、そういう事とは知らなかった。ごめんね、20年間も辛い思いさせて悪かった。」とまで言ってくれました。

私も「自分の思いを話さなかったから、今回ちゃんと話しが出来て良かったよ」と。

代々続いていた、「言いたい事が言えない」という思い込みの人生が終わりました。

いま、生きていることがとても嬉しく豊かです。

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※追伸1

娘がこんなことをカリキュラムの仲間の方に送った内容です。

母が「おばちゃんのところに行ってくるね」と言った後の後ろ姿がいつもより背筋が伸びてきたなと思ったのですが、今日は話が弾んでるのかなと感じるような長めの滞在から帰ってきて、「話ができたよ」と聞いて、驚きました。

父に話しただけでも、私的には進展に感じてましたが、ラインにコメントなどもできない母が、今日まで過ごしたのかと思うと、母の子供を想っての決意に沢山感じました。

田坂講師からの「道もはっきりした」と言ってもらい嬉しいねと母とシェアしました。

※追伸2
この文章を書き上げた今日、兄が心臓の緊急手術になり、入院の保証人のサインをしました。

自分の生い立ちからしっかり見つめたことで、血の詰まりが兄に起こり、それが無事、手術で詰まりをとることができました。詰まってた自分を終わらせられました。また、思い込みの激しさも発覚。

「8歳上の兄」から、と文章を書き始めましたが、サインした時に、兄の年齢が5歳上だとわかりました。

何十年もの思い込みも終わりました。

全てがクリアになっていく毎日を楽しんでいます。

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