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人生の岐路に立った時に知っておきたいこと

人には様々な人生がある。親を嫌って反面教師で生きる人もいれば、理想を持ちすぎたことで、生きにくいと感じたり。自分の生き方のパターン、捉え方が分かればどれほど楽なことか。今回の女性は“自分さえ我慢すれば丸く収まる”と思って生きていたけれど、ある事を理解すると、辛かった過去がすっかり代わり癒されたという体験です。

福田 裕菜さん 20代 女性【島根県】

祖母を憎んで生きていた…

私は小さい頃から祖母に怯えて、憎んで生きていました。

言うことを聞かなければ、嫌味を言われる、酷い時には物を投げられる。

祖母は母や弟にも同じことをしていました。父方の祖母なので、父はその光景をみて祖母を怒り、物凄い音をたててケンカをしていました。私達の目の前で怒ることもあれば、私と弟が寝た後にケンカが始まることもあり、いつも布団の中で震えていました。それが日常化し、私が中学2年生の頃に両親は離婚しました。父と母どちらについていくか?私と弟が選んだのは父でした。

当時は「引っ越したくない」「苗字が変わるのは嫌」と理由を並べてましたが、
今思えば「ケンカが絶えないこの家庭に父だけが残ったら崩壊するんじゃないか」という気持ちが強くて、それなら私達が残った方がいいと思い父についたと思います。家事はすべて祖母にしてもらっていました。ご飯も作ってもらっていましたが、週に2回くらい私だけ作ってもらえない日がありました。それは、祖母に従わなかった時やケンカした翌日などでした。

今日は、ご飯ないだろうなと思いながら学校から帰っていました。
ただ、ご飯を作ってもらってない事を父に言えば、また怒ってケンカになるので、言えませんでした。
夜ご飯は、父と私と弟と3人で食べていたので、私の分があるか先に確認して、用意されていない事が分かれば

「今日は寄り道したからご飯食べない」とか、「今から友だちのところ行く」
と言ってコンビニに走り、公園でおにぎりを食べたりしたこともありました。

 父は、どちらかと言えば放任主義で、夜遅く帰っても深く追求してこないし怒らないタイプです。
離婚をした時は、事業に失敗して、お金の余裕もなかったので、お小遣いもくれませんでした。 

祖父は祖母の味方でした。弟は母が出ていった寂しさから、毎晩声を押し殺して泣いていて可哀想で頼れない。
父も私達を学校に通わせるのが精一杯に見えて、本音は言えませんでした。
母も含め、家族には気を遣って生きてきたと思います。

早く大人になりたい!!

1番頼りたくない祖母に家事やご飯を作ってもらい、たまにお小遣いをもらう。
嫌いな祖母に従い、頼らないと生きて行けない。何もできない自分が本当に情けなくて、早く大人になって、一人で生きれるようになりたいと常に思っていました。
中学生の頃から、高校卒業したら働くと心に決めていたので、就職に有利な商業高校に進学しました。
部費が安くて活動が少ない部活に入って、バイトを始めて携帯代や日用品はバイト代から払っていました。
 高校では奨学金を使っていたので、成績はクラスで1.2番をキープし、資格はすべて取る、生徒会に入るなど、3年間優等生でいられるよう努力をしました。

そして就職先は、安定職・知名度有り・ボーナス有りの企業を選びました。
父にもそこなら安定だから大丈夫。すごく助かる。と言われたのでほっとしたのを覚えています。
 私が社会人2年目の時に、弟はサッカーをするため私立高校に入りました。
私立なのでやはりお金がかかり、学費や生活費を父に貸していました。
お金を貸すことに抵抗はなく、むしろ学費を払えない父を見るのが嫌で、
私が頑張らないと…
と度々お金を渡していました。

父が病気になる…

そしてその翌年、父が脳梗塞を患いました。
友だちとご飯を食べている時、電話がかかってきて、電話には「お父さん」と表示されているのに、呂律が回っておらず、何を言ってるのか聞き取れませんでした。これはまずいと家まで向かい、病院へ連れて行き、そのまま入院となりました。 

幸い、母が働いていた病院だったので、助けてもらいながら仕事終わりに病院に通っていました。
入院手続き、父の会社への連絡、弟の学校への連絡、すべて淡々と行いました。 

ここでも私が頑張らなきゃと冷静を装い、過ごしていました。
当時は「泣きたい」「誰かに頼りたい」という気持ちにすら気づかずに、大丈夫です!と周りの人たちには言っていました。幸い、父は回復に向かい少し病状は残っているものの普通に生活はできています。
父が倒れた時、私は仕事の担当が変わったばかりの時で、辞める方からの引き継ぎを受けていました。
この人がいなくなったら、私が頑張らないと仕事が回らないと思い一生懸命でした。

ある程度覚えて、出来るようになるとまた担当替え…
みんなに迷惑がかからないよう仕事を覚えるのに必死でした。

ミロスに出会い、柳沢講師のLifeコースとミロス実践コースを受講し、人生を開拓していくと
無能・無価値・不安定」を嫌い
有能・価値ある存在・安定」を求めているとはっきり分かりました。

 それを知って、過去の出来事を振り返ると、同じことしか起きてない!繰り返してる!ということに気がつきました。 

人から必要とされるため頑張る
大きな問題を乗り越えたら存在価値がある
私が我慢すればこの場は収まる
誰にも頼らず一人で頑張る

そんな人生でした。

それが分かると「私、アホじゃん」と思いました。
自分で問題を作り、苦しむのが何が楽しいのか…
でした。

 自分さえ我慢すれば…の繰り返し

システムを理解し私の目の前には、「無能・無価値・不安定な人」
体験しか来ないことが分かれば、はいはい!またこのパターンね!と受け入れられる。
本当に凄いことだなと感じています。 

後から母に、離婚して家を出たのは、私と弟のためを思っての決断だったと言われました。父も、祖母から母を守るため、家を出て良いよと言ったそうです。

自分だけが我慢すればいい。我慢すれば丸く収まる
これが私達家族の1つのパターンでした。 

それと同時に、父にも母にも愛されていて、いつも思われていたんだと分かり、
思えば祖母の口癖は「あなたのためを思って言っている」だったなと後から思い出しました。
 表現は違えど、みんながみんなを思っていました。 

それがはっきり分かった時、今までの出来事も、”辛かった過去”ではなく
自分のパターンを知るための“なくてはならなかった過去”に変わりました。
 今では母と一緒にミロスが出来ていて、より深く自分を知れる、同時に癒される環境に日々驚きと感動があります。

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