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“認知症”と聞くと、どんなイメージが出てきますか?きっと介護する側のご家族は大変に違いない、もう治らないもの…と思われるかもしれません。
もし、“安心で楽々な介護”ができるなら、どんな介護をすればいいのか知りたいと思いませんか?


菅野 礼子さん 40代 女性【兵庫県】

母親が認知症に…

母の物忘れが気になるようになったのは、父が病気になってからだった。父は6年前の1月に胃がんと診断され、その年の5月に他界した。長年連れ添ってきた伴侶を失った母はみるみる元気がなくなった。

最初は会話が成り立たない程度で、日常生活に支障が出るほどのものではなかった。しかし、得意な料理は大味になり、苦手な掃除はさらにできなくなり、買い物に行けば、同じものばかり買ってくる。私が家事をしようとすると「私がするから手を出すな!」物を捨てようとすると「私が死んでから片付けろ、何も捨てるな、何も触るな」と怒った。

キレイ好きだったのに、お風呂に入らない、大好きな畑にも行かなくなり、働き者で社交的な母がどんどん怠け者になり他人と関わりを持たなくなり、家に引き篭もりがちになった。

介護生活が始まる

何度か母を病院に連れて行ったが、外ではいい顔をし「何も問題はない」と言い張る母に、医者からも「何も問題はありません」と言われ、問題視をしているのは自分なのか…と、悩んだりもした。母はいつもおかしいわけではなく正常だと感じるときも多かったし、認知症と診断されることへの恐怖もあった。母が母でなくなっていくような気がして怖かった。認知症でありませんように…そのことばかり思っていた。

ある日、帰宅すると母が裸で寝ていた。呼びかけても反応が著しく低下している。なんと診断されてもいい!このままの状態で良いわけがない!私は意を決し、病院へと向かった。こうして介護生活が本格的に幕を開けた。父の死から3年が過ぎようとしていた。

介護が楽になっていく:母を通して自分を知る

受け入れてみると、オバケのようにふくれあがっていた恐怖は鳴りを潜めた。「見ないことが恐怖なのだ」ということを、身を以て知った。「母に映し出される自分の無意識」を知るたびに、物事は好転し介護が楽になっていった。

主婦業に手を出されて怒っている姿は、「自分がしなければならない」と、人に甘えられず自立に傾く自分の姿だった。ずっと依存、甘えはいけないとして生きてきた母が、病気になって初めて甘えられるようになった。それは自分自身が病気にならなければ甘えることのできなかった過去の姿でもあった。

自分の仕事や、自分がやって当たり前のことに手を出されると、否定されたように、責められているように感じてしまうんだ。淡々と受け取り続けると、母は怒りを出すことがなくなり、私が料理や掃除をすることにも、甘えられるようになってきた。

また、母はデイサービスやショートステイという福祉サービスの利用や介護されることを拒否していた。それは母が嫌がっているのではない。私が周りを信頼せずに疑っているだけ。初めてのことへの不安、自分の恐怖心であることを受け取った。母を通じて自分の無意識を知るたび、介護はどんどん楽になっていった。

受け取ることで状況が好転する

ある時、母が転倒して両下顎骨折、緊急入院をしたと連絡があった。病院に向かう車の中、私はすべてをミロスの視点で受け取ってみようと思った。その病院では、両下顎骨折の手術ができず、転院することになり、さらに手術できる病院も限られているとのことだった。わたしは希望の病院を伝えたが、結局他の病院に決まった。

転院する前日、「心筋梗塞の疑いがあるので、緊急検査と手術が対応できる病院へと転院します」と連絡があり、さすがに焦ったが、それでも抵抗しない!とにかくどんなことも受け取る、母の状態は私の状態であると感じながら病院に向かった。私は医師からの説明をミロスの視点でそのまま受け取ると、あるべき場所にあるべきものがぴたっとはまっていくようにすべてが整っていった。なんと転院先が希望していた病院となった。

そして検査の結果も心筋梗塞ではなく『たこつぼ型心筋症』という、安静にしていると自然に治癒していくものだった。下顎骨折は手術の必要がなく経過観察で良いとも言われた。さらに歯科にもかかることができてしまった。

毎日楽しそうな母親

今、母は要介護3の認定を受け、週に4回のデイサービスに行き、もともとの社交性とユーモアを発揮し人気者になって毎日穏やかに楽しそうに過ごしている。自分の状態を受け取って、抵抗せずに周りに委ねているように見える。

母には認知症の周辺症状と言われる症状(幻覚や妄想、徘徊、異常な食行動、睡眠障害、抑うつ と不安など)が見られないため、ただの少し物忘れのひどいおばあちゃんのようだ。昼間にひとり家に残していても大丈夫な状態である。定期的に病院にかかることでの安心もある。

また、母が「介護が必要になったらもらえる保険」に入っていたことを知った時には 笑ってしまった。母はすべてを用意して病気になってくれたと感じた。

安心で楽々な介護ができる

親が認知症を患いながらも、こんなに穏やかな日々を過ごせ、フルタイムで働けるのもミロスシステムを知っているからだ。周辺症状がないからできることかもしれないが、そもそも出ていないことこそがミロスシステムのおかげだ。

母に不安は感じない。それは私が母の状態に不安がないことを教えてくれる。今後、母がどうなっていくのかはわからない。症状は徐々に進んでいくのかもしれない。止まったままかもしれない。良くなるのかもしれな い。他の病気にかかる可能性もある。だが、これからどうなろうと安心しかない。ひとつひとつ対応していける、そのことによって一番いい状態に落ち着いていくことを確信できる。

世間では、介護は多かれ少なかれ苦痛や葛藤、苦しみを伴うものだと思う。親の老後や未来に対しても少なからず不安や心配が存在するだろう。

だが、ここには『安心で楽々な介護』が存在する。何があっても大丈夫だという安心感の中、親の介護ができることは幸せなことであり、それ以上にミロスシステムを知れたことが最大の豊かさだと感じています。

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