同じ失敗を繰り返すまいと誓った再婚。しかし、娘の病気に夫の裏切りと、その願いは反転し又も離婚の危機に。様々なメソッドやスピリチュアルを貪り続け頑張るも、理想とは真逆の現実が。そんな彼女が遂に手にした真実の答えとは!?
Yさん 50代 女性【千葉県】
私には、離婚、再婚の経験があります。
無意識で自分自身の“無能”を嫌い、“有能”のふりをして生きていた自分自身のプログラム故に、自ら頑張ることを諦めて、外側に価値を求める…それが私にとっての「結婚」でした。
だから、不倫したり、フリーターのような人と付き合ったりする友人のことを全く理解出来ませんでした。
しかし、家柄、学歴、仕事と、申し分のない相手と結婚し、羨望の眼差しを向けられ、誇らしい思いを感じたのも束の間。
僅か1年で突然、私は夫から離婚話を突きつけられたのでした。
一度目の結婚― 夫婦関係は修復出来ず…
その時、偶然手に取ったイメージ法の本に救いを求め、「幸せな未来をイメージする」事を懸命に試みました。しかし、人生どん底の私に輝かしい未来を想像する事など到底出来ません。
一瞬うまく出来ても、日常生活に戻ればイメージした未来とのギャップに苦しみは増すばかりでした。
それからというもの、プラス思考やスピリチュアルの本を読み漁り、瞑想の会に参加するなど、手当たり次第答えを求めて彷徨いましたが、何をやっても上手くいかず、落胆するばかりでした。
そして結局夫婦関係は修復出来ず、離婚に至りました。
再婚し、可愛い娘に恵まれるが
「もう二度と過ちは繰り返さない!」という想いで、元夫とは全く違うタイプの主人と再婚し、可愛い娘にも恵まれ、幸せの絶頂だったのも束の間。
娘が生後三ヶ月で川崎病にかかり、完全付き添い制の病院に、母子同室で一ヶ月半もの間入院しました。
普通は二週間程度で退院出来るはずが、重篤化した為、様々な治療法を試みても炎症が治まらず、担当医からは「後遺症も覚悟して下さい」と告げられました。
同じ病気で入院していた親子は次々と元気になり退院していく家庭や、後遺症が残った為に入退院を繰り返し、それが原因で離婚した家庭も目の当たりにしました。
恐怖のあまり、この場から逃げ出したいと感じ、母親失格と自分を責める日々。
そんな中、病状も回復に向かい、奇跡的に後遺症が残らず無事に退院することが出来ました。
エスカレートする「プラス思考」
しかし退院後は、病気の恐怖と、子育てがうまく出来ない罪悪感から、食べたい物ややりたいことを我慢して、自然食、自然療法、マクロビオティックと、家族を巻き込みどんどんプラス思考へとエスカレートしていきました。
そうして、自分自身を最も裏切って生きていた結果、またしてもパートナーに裏切られるという、前回と同じパターンで離婚の危機が襲ってきたのです。
子育て中の私は、怒りをなんとか抑えようと、フラワーレメディ、ホメオパシー、前世療法などの癒しを求めていきました。
それらも一瞬は心を鎮めてくれるものの、抑えた怒りはお酒を飲むと狂ったように爆発しました。
「前回と同じ失敗をしたくない!」
「離婚して親や娘を悲しませたくない!」
その思いで頑張れば頑張るほど、理想とは真逆な体験を繰り返しました。
そして完全にお手上げ状態となった時に、ミロスに出合ったのです。
「夫婦関係の修復」を超えた関係性へ
システムの理解を深めていくと怒りが消え、何をやっても憎しみの対象でしかなかった主人は、最も信頼できるパートナーへと変わり、権力闘争を繰り返してきた夫婦関係は、全く新しい形へと生まれ変わりました。
休日には二人でショッピングやドライブを楽しみ、主人からは想像もしなかった様な車や宝飾品、旅行をプレゼントされました。
相手と自分が等しくなると、相手の想いが理解でき、不要な争いを繰り返す必要がなくなりました。更に夫婦関係が整っていくと、親子関係、ビジネスまでもどんどん理想の形へと変貌を遂げていきました。
小さい頃病弱と言われた娘は、今では病院とは無縁の生活を送り、体育会系の部活やお稽古で、ハードな毎日にも疲れた様子を全く見せず、充実した学生生活を謳歌しています。
一人ひとりの変容が、平和につながる
ミロスを知った今、当時どれ程苦しい生き方をしていたのかがはっきりと分かりますが、あの時はあの生き方しか知らなかったのです。
プラス思考や精神世界、瞑想や様々な癒しは、私に本物の幸せをもたらしてはくれませんでした。
様々な答えを求めて彷徨い、体験し、やっとミロスシステムに辿り着きました。
今は私の体験全てが、出来上がったストーリーの中を、絶対平和の為に歩んでいるのだと分かります。
今後も一つ一つのプロセスを意識的に進んでいきたいと思います。
ミロスに出会わなければ、今の私はありません。
本当にありがとうございました。